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そのとき身体に電流がはしった 書くこと・考えることが好きな理由

育児は仕事の遠回りかもしれないし、仕事は育児の遠回りかもしれない。

日々あらゆる事柄に身も心も引き裂かれたり、かわいい笑顔に癒されたりしながらなんとかバランスをとって生きている。

どんな励ましの言葉も響かないときもあるけれど、この迷いの多い日々もいつか糧になると信じたい。

そう信じられるような経験を、かつてしたことがあるのだ。

大学生のとき、自主ゼミというものに所属していた。

単位には一切関係のない、自主学習ゼミ。
決まった曜日に開催され、1年時から所属することができた。

私の学科ではなぜか自主ゼミに所属するのが当たり前という風潮があり、サークルのように入学してすぐ勧誘の嵐がある。4年かけて「源氏物語」を読破するゼミや、漢文を扱うゼミ、日本語学のゼミなど教授ごとに色々あった。様々なゼミに見学に行き、私は昭和文学ゼミというところに入会を決めた。

そこは「昭和」という時代にこだわるわけではなく、近現代の短編を読み、ゼミ生の発表に沿って議論を交わすところだった。

首都直下型地震が来たら死ぬな、と思うような、天井まで本が並んだ狭い研究室で短編を読み込み、一緒に発表するメンバーとレジュメを作成する。

読みの方向性は各自バラバラで構わない。

研究室は狭すぎて、ゼミ発表自体は別に教室を借りて行っていた。メンバーは学部1年生から院生まで揃っており、喧々諤々の議論をする。
院生も学部生が相手だからといって手を抜かず、いつも深い知識と豊富な経験の高みから理論的にボコボコにされた。最高だった。それが終わったら有志で研究室にぎゅうぎゅうになりながら酒盛り。

なんせ単位に関係ないし、教授が何でもウェルカムな人だったので、他学科生も、留学生も、他大学の生徒まで入り混じっていた。それはもう刺激的だった。

そんな楽しい自主ゼミだったが、大学3年のとき、サークルの部長に就任してから足が遠のいた。

私は漫画研究部に属していた。漫研は漫研なので、漫画を読んだり、絵や漫画を描いたりする。しかさ案外ダラダラまったりしてるだけじゃなくて、週に2回部会があり、部長が司会進行役となって連絡事項をやりとりした後、部室の掃除をしたりしていた。今思うとすごく真面目だ。

毎月コピー誌を発行していたし、学園祭では似顔絵、作品の展示販売、子供向けアトラクションと、なんと3つの内容で参加していた。

振り返るとちゃんと活動し過ぎていてびっくりする。

そんなわけで学園祭の時期はそれなりに忙しく、止むを得ずゼミに行かぬ日が増えた。

準備に十分な時間が取れないので、発表の回数も、以前に比べて抑えるようになっていた。

学園祭を終え、肩の荷が下りた私はまたゼミに参加するようになった。
3年の秋だった。

久しぶりのゼミは緊張したけれども、素知らぬ顔で教室をくぐれば今まで通りするっと受け入れてくれる。やさしい、ありがたい場所だ。

そうやって徐々に参加回数を増やし、発表の時を迎えた。

久しぶりの私の発表は坂口安吾の『桜の森の満開の下』。

発表は、やはり緊張する。

レジュメを用意するのも久しぶりで、私、大丈夫かな、と心配であった。

頭の中はずっと作品の解釈のことばかり。授業中、自主ゼミのレジュメを書いていることもあった。(ごめんなさい)

学生の若さと奢りで、レジュメを仕上げるのは大抵前日の夜か当日の朝。
おおむね毎回徹夜だ。

その時もいつも通り、とっぷり夜が深まった頃、自室の椅子の上に体育座りをして、時折くるくる回りながら、6割ほど書いたレジュメと向き合っていた。

時刻は午後3時過ぎだっただろうか。

あの時のことは今でも忘れらない。

突然、ビビッと電流が体を駆け抜けた。

考え続けていたテーマ、解消したい疑問のピース。

それらが脳内で一気につながった。

ふるえた。

体中をかけめぐる興奮。
ノートパソコンのキーを押すたびに、今、自分が掴んだものがこぼれ落ちてしまいそうな繊細なこわさがあった。

こんな恐怖は初めてだった。

世界は暗くて静かで穏やかなのに、私の体内には激しい信号が流れている。

私がいま掴んだのはなんだったっけ。
落とさないように、漏らさないように。

手の中の水をひとつぶも溢さないで運ぶように、慎重に慎重に、言葉をつづった。

その時の発表は会心の出来だった。

密かに尊敬していたガチ文学青年の友人が、「ちょっとサボっている間にこんな発表ができるようになるなんて、貴女はズルい」と言ってくれ、後輩も「鳥肌がたちました」と言ってくれた。

それがとても嬉しかった。

なぜあんな体験ができたのか、はっきりとしたことはわからない。

けれども、もしかしたらサークルで忙しく離れていた時間が、私の中のなにかを醸してくれたのかもしれないと思っている。

以来、直接関係のなさそうな別の体験が、ある分野も豊かにすることがあるのではないかと信じるようになった。

育児は仕事の遠回りかもしれないし、仕事は育児の遠回りかもしれない。

けれども、無駄な経験はない。すべてがどこかでつながっていて、いつかどこかで花ひらく。

そう信じたい。

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