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『仲間外れ』について、色々考えてみた。

イジメの一形態とかとして行われる、『仲間外れ』。

特定の人をグループに入れないようにしたりするやつね。

今回はこの『仲間外れ』について、私が考える事をちょっとまとめて書いてみようと思う。

『仲間外れ』は悪い事。だけど…。

ちょっと書いたように、『仲間外れ』はイジメとかの一形態として行われることがある。

こうしたことからも、一般的に『仲間外れ』は、してはいけない悪い事、とされているように思う。

たしかに、『仲間外れ』にされる被害者側からすれば、自分1人だけ集団から排除されているように感じるし、嫌な気持ちになるだろう。

孤独が1日15本のタバコを吸うのに匹敵するほど健康に悪いとされるように、『仲間外れ』は精神的苦痛をもたらし、精神疾患にもつながるだろう。

こんな風に、被害者側からすれば最悪

でも、加害者側に立って考えてみてほしい。

加害者側は、必ずしも被害者に精神的苦痛を与える意図を持っていないのではないか。

被害者側が特定のグループに入れて欲しいと願うのと同じように、加害者側も特定の人をグループに入れたくないと願っている場合もあると思うのだ。

例えば、極端な例になってしまうが、経済学を研究する大学の研究室に対して、全く経済学の知識を有さない小学1年生の子供が「仲間に入れて欲しい」と言ったとしよう。

研究室側としては、当然断る(=『仲間外れ』にする)だろう。

研究室側としては、そもそも両者のレベルが違いすぎて、小学生が研究について行けないとか、他の研究員の邪魔になるとか、互いにとって良くないと判断するからだ。

このように、人には誰しも、自分と付き合う人間を選ぶ権利があるはずなのだ。

一応恋愛の例も書いてみる。

「AさんやBさんからの告白はOKしたのに私からの告白を断るのはおかしい!不平等だ!」

なんて事を言う奴、ヤバいでしょう。

このように私的な人間関係には、安易に平等!とか言うべきでない。

こうして考えると、『仲間外れ』=悪、とするのは良くないと思う。

これは安直な決めつけだ。

(参考までに。)

したがって、学校教育の場とかで、教師が仲間外れにされた子を無理矢理グループに入れたりするのも良くないと思う。

グループ側も嫌々受け入れざるを得ないこととなり、それが後々のケンカとかの原因となるだろう。そうならなくても、『仲間外れ』にされた人がその集団内で『浮く』と思う。

じゃあどうしたら良いの?私の提案。

『仲間外れ』にされた人を放置するのもダメ、無理矢理グループに入れ込むのもダメ。

じゃあどうしたら良いの?

私が思いつく解決策を提案しよう(もう既に実施されているかも知れないが)。

それは、『(国なり学校なり会社なりといった中立的な機関が、)『仲間外れ』にされた人の受け皿を作る』というものだ。

人が何かの集団、グループに入ろうとするとき、そこには何らかの目的があるはずだ。

グループに入らなくてもその目的を達成できるような仕組み、受け皿を国なり学校なり会社なりが作れば良いのだ。

その具体的な在り方は、状況によって様々異なりまくるだろうから一概には言えないけども。

例えば、学校のイジメとして『仲間外れ』が生じた場合。

まず、その子が何のためにグループに入ろうとしたのかを考える。

おそらく皆で遊びたい、とかだろう。

授業で先生が「~人のグループ作ってください」みたいな指示を出した可能性もあるね。

後者の場合は、そもそも先生が指示の出し方や授業のやり方を工夫すれば済むと思う。

問題となるのは前者の場合。

このような場合、私は学校側が『仲間外れ』にされた子達を集めてみんなで遊ぶような場所を設定したりしたら良いのではないか、と思う。

差し支えなければ先生が子供の相手をするのでも良いかもしれない(可能ならば同世代と交流させた方が良いとは思うが)。

なお、ちょっと脱線するが、学校のイジメについては他の対策方法も無数に考えられよう。

例えば、ある研究によれば学校のイジメは教師の目線があればあるほど減少するらしいので、物理的に教師の目を増やしたりするのも良いかもしれない。

また、最新の研究によってイジメの加害者、被害者、傍観者の性格特徴などが明らかになってきているので、こうしたものをクラス編成の際に考慮する、とかもすべきだ。


今回はこんな感じ。

ここまで読んでくれてありがとうございました!

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