「8月ジャーナリズム」の本質
8月6日は、言うまでもなく、1945年に広島に原爆が投下された日です。毎年、平和記念式典が開かれます。
長崎原爆の日、そして終戦の日とともに、毎年、平和のありがたさを考える機会として各メディアは戦争についての特集を組みます。広島と長崎では被爆者の体験談を中心に核兵器の非人道性を大きく伝えます。NHK広島放送局では、毎年、核兵器関連のNHKスペシャルを制作することが「責務」です。
このように8月になるとメディアで「核兵器廃絶の願い」や「不戦の誓い」が集中的に報道されることは、いつしかこう呼ばれるようになりました。
「8月ジャーナリズム」
この呼び方、称賛ではありません。メディアに対する批判や皮肉という色合いが濃いのです。NHKに身を置いた頃から、私はそうした批判は的を得ていると考えてきました。
圧倒的に多いのは「受難」のナラティブ
「8月ジャーナリズム」が批判を受ける理由は多岐にわたります。まず、「マンネリに陥っている」「8月以外は知らんフリ」といった指摘。これは、広く「カレンダー・ジャーナリズム」に対する批判の一種だといえます。
例えば、東日本大震災を考えていただければ分かりやすいと思います。
毎年、3月11日が近づくとメディアは急に被災地の現在を伝え始め、それは11日の震災発生の日にピークを迎えるわけです。そして、そこから一気に被災地の姿は紙面や画面から消えていく…
一年のカレンダーに合わせて数日だけ特集を組み、残る360日ほどは冷淡…という姿勢への皮肉をこめて生まれた言葉が「カレンダー・ジャーナリズム」です。
ほかに「8月ジャーナリズム」への厳しい視線としては、「そもそも第2次世界大戦は8月15日に終わったわけではない」という事実をスルーしている、ということが挙げられます。
これは上智大学の佐藤卓己教授がかねて強調しているのですが、国際法的に第2次世界大戦が終わったのは米戦艦ミズーリ号の甲板で日本政府の代表が降伏文書に調印した1945年9月2日です。
8月15日を過ぎても千島列島や満州ではソ連軍が侵攻を続けるなど、名実ともに、8月に戦争は終わりませんでした。
ちなみに、8月15日が終戦の日と定められたのは1963年の閣議決定だそうです。戦後20年近く経ってのことでした。
"history"を二つに割って…
私が「8月ジャーナリズム」に違和感を覚えてきた最大の理由は、報じられる内容の大半、いや殆どが、「いかに戦中の日本人は辛い目に遭ったか」という、被害者としての目線からの物語であること。それは戦死、空襲、疎開、貧困などであり、その頂点は広島と長崎が原爆投下によって受けた甚大な被害です。
こうした傾向を、日本大学の米倉律教授は「受難の語り」への偏重だと指摘します。
米倉教授は、戦後から現代まで、毎年8月に新聞や放送局がどのように戦争を伝えてきたのかを膨大な量の報道から分析しています。そして「8月ジャーナリズム」の流れが本格化したのは終戦から10年後の1955年だったと明らかにしました。
「受難の語り」が圧倒的に多いということは、「加害の語り」が圧倒的に少ないことをも意味します。それが中国、韓国、北朝鮮をはじめとする主にアジアの国々との間で歴史認識をめぐる摩擦が生じる大きな背景となってきました。
さらに、「加害の語り」が少ないことは、歴史を修正しようとする誘惑への落とし穴をつくっているように思えてなりません。例えば、1937年に南京で日本軍が一般住民を虐殺した事件や、従軍慰安婦問題、あるいは戦時中ではないですが関東大震災で発生した朝鮮人虐殺など… 「そもそもなかった」「被害者は言われてきたより圧倒的に少ない」などなど。
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