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武士道って何?

「武士道」とは何か?

今の時代に「サムライ」と呼ばれる人は多くいるけど(野球のサムライジャパンなど)
いわゆる2本差しの「侍」または「武士」はいない。

それでも、「サムライ」は
日本人だけではなく、海外の人からも尊敬されている理由。
それは「サムライ」の生き方である

「武士道」

に秘密が隠されているのではないか。

先日、武術研究科甲野善紀と、スラムダンクを代表とした
漫画家井上雄彦との対談著作
「武」

を読んで、自分が思う「武士道」について
そして日本人の世界から賞賛される精神性について
これだ、と思う発見があったので
ご紹介したいと思います。

肩書としては、普通の”会社員”でしかない私ですが
「武士道」について駄文を書き連ねます。
どうぞお付き合いください。

〇武士道のイメージ

皆さん、「武士道」と聞いて何をイメージされますか?

私の場合は

「武士の生きる道」

というイメージでした。

では武士とはどんな人だったんでしょうか?

振り返ると、私の中の武士のイメージは以下の通りでした。
・殿様の家来
・殿様に付き従い戦う戦士(または兵士)
・殿様への忠義心が強い
・殿様に何かあれば、命を懸けて戦う。
・武士は食わねど高楊枝に代表される、商売下手
・刀を持っている

上記定義から導く「武士道」とは

「映画”忠臣蔵”に出てくる家臣たちの生きざま」

が私の武士道イメージに近いと思いました。

では、他にどのような定義があるのでしょうか?

Wikiではこんな感じで書かれています。

「武士道(ぶしどう)とは、日本の近世以降の封建社会における武士階級の倫理・道徳規範及び価値基準の根本をなす、体系化された思想一般をさし、広義には日本独自の常識的な考え方を指す。
  これといった厳密な定義は存在せず、時代のほか、身分や地域によってもその解釈は大きく異なる。また理想化された美学・宗教的な側面もあり、その実像とは大きく異なる場合がある[注釈 1]。日本人論を語る上で欠かせない概念であるにも関わらず曖昧な点が多いため、古くから学者の間では大きな研究テーマとなっている。」

つまり、色々議論されているけどはっきりした定義は無いんですね。

でも、なぜか日本も含む世界中で武士の精神(サムライスピリッツ)は高い評価を受けています。

定義があいまいにも関わらず、です。

なぜでしょうか?

〇「武士」の魅力

そこで”武士の魅力”について
上記著書「武」から、私がこれは!と思った内容を引用すると
下記になります。

甲野「洋の東西問わず、自分の価値観を優先し、そうした危険の中に身を置ける人が憧れや尊敬を受けるのだと思います。日本は武士という形で端的にでたんでしょうね。」(p131,抜粋)

上記の「そうした危険」とは、自分の体が怪我や死など、危険な状態に向かっていることを表しています。

そこで私は思いました。

「自分の身体よりも、そこにある自分の情熱を大事にしている」(p131,甲野抜粋)

姿に、人は感動し、大きな魅力を感じるのではないか。

もし日本も含む、世界中で「武士」が評価されているならば
私は上記内容が「武士道」のヒントなのではないかと思いました。

武士は戦士なので、必要であれば、人を殺さなければならない状況に陥ることがあります。

時代によって、人が考える命の重さは違うので一概には言えませんが
人の命を奪うことは、大変なことであるということに変わりはないと思います。

そうすると倫理的に葛藤が出てくる。

どんな理由であれ、人を殺しても良いのか。

また、相手を殺す状況は必然自分の命も危うくなる可能性があるため
本能的に「死の恐怖」が沸いてくると考えられます。

よって、生き死にだけではない、自分の寄る辺になる
なにか」が必要になってくるのではないでしょうか?

生き死にだけの話であれば、宗教的な思考になる事も当然考えられます。
禅宗に傾倒する武士が数多くいたのも納得できます。

ですが、武士個人個人の根底に、上記の「なにか」があるのではないかと思います。

著書「武」には、その「なにか」について、このように記述しています。

甲野「武士の生き様といっても「こう振舞うべきだ」という何かが決まっているわけではなく、自分の確固たる価値観にどう殉じていけるかが重要であって、必ずしも世間体が大切なのではない、とも言える。ある面では自分で作っている、自分が納得できる価値観ですよね。」(p142,抜粋)
井上「「武士である」とは、自分が選んだ生き方を引き受けることなんですね」(p142,抜粋)

つまり、その「なにか」とは、「確固たる価値観」なのではないかと思いました。

「自らの死を超越する価値観」(p162,抜粋)

この精神が、武士道の根本なのではないかと強く感じました。

そして、今を生きる私たちは、この精神を持つ人間を「サムライ」と呼び、尊敬の念を集める対象になるのではないかと考えました。

〇結局武士道とは

よって、武士道とは、決して「切腹」を象徴とした
死を軽んじているという精神を言うのではなく

生と死を冷静に、俯瞰的に見て、受け入れ
尚且つ、自分の「確固たる価値観」に殉じることが出来る精神性のことを
言うのではないでしょうか。

現代においてもジャンルを問わず
外国人から「サムライ」と称賛される人たちは
その確固たる価値観を元に、自分の命を投げ出しても
何かを表現している人たちなのではないかと思います。

例えばスポーツで言うと、私見ですが先般行われたオリンピックにおいて
結果を出すために肉体的、精神的な限界に挑戦し
自らの健康などを顧みず、自分を追い詰めながら
自分の求めている結果を追い求め
必死に頑張っている選手たちのプレーは、感動を呼びます。

それは、時代は違えど武士の生き様である

「武士道」

と呼んで良いのではないでしょうか。

そして現代の日本人においても
その精神性に感応し、賞賛し応援し歓声を上げて称える姿が多く見受けられます。
つまり、現代日本人の根底にも武士道精神が流れているのではないかと
感じずにはいられません。

〇おわりに

いかがだったでしょうか?

ほぼ、甲野善紀先生および井上雄彦さんの受け売りのようになってしまいましたが、私が実感として感じた「武士道」についてお話しました。

自分自身、このような「武士道」精神に大きな魅力を感じますし、そのように生きていきたいとも思っています。

ただ、自分にとっての「確固たる価値観」とは何か?と聞かれて
即答出来るでしょうか。

私は、難しいです。。

また、これを見つけたとき、その価値観が思いもよらないものの可能性もあります。
ただ、それはきっと揺ぎ無く、変化するものではない実感とともに湧き起るものなのでしょうね。

いずれ気づくであろうその価値観を、楽しみに、かつ少しドキドキしながら待ちわびて生きたいと思います。

お付き合い頂きありがとうございました。




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