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『ギラギラ』発『レディメイド』経由『うっせぇわ』行き

「歌声に惚れる」という体験をした事があるでしょうか。


わたしに関して言えば、(noteにも何度か書いていますが)ポルノグラフィティさんの十数年来のファンでして。
とはいえずっと同じ熱量で追っているわけではなく、十数年の中には歌を聴く頻度が減る時期もそりゃあります。
でもそうやってしばらく離れていたとしても、好きな歌を久々に聴いてしまえばもうボーカル・岡野昭仁さんの歌声に、一気に心を鷲掴みにされて引き戻されてしまうのです。
これが惚れた弱みというやつなのか、と何度となく感じてきました。


昭仁さんの歌声が絶対王者として自分の中に君臨してはいるのですが。
それ以外にも何度か、この人の歌声すごく好きだ!!!という、第一印象でいきなり心奪われる出会いをこれまでにも何度か経験してきました。
※詳しくは下の記事に書きました。

これを書いたのが、昨年12月のこと。
あれから5か月。
ひっさびさに「歌声に惚れる」を体験した感銘を発信すべく、これを書いている次第です。

記事タイトルからピンとくる方もいらっしゃると思いますが。
Adoさんの話をします。



〇 〇 〇


わたし自身はテレビを観ない人間という事もあり、流行には疎い方だという自覚もあります。
なのでAdoさんを、もとい『うっせぇわ』という歌の存在を知ったのも、たまたまツイッターで見かけたこの記事がきっかけでした。


(全く知らないままに興味を抱いてクリックしてしまったので、見事なタイトルのつけ方だと感服する次第ですよほんと)



読み進めていくうち、自分が

・『うっせぇわ』を聞いていない30代

である事に加えて

・『ギザギザハートの子守唄』を知らず『15の夜』も聞いていない30代

である事を自覚して、なんとも宙ぶらりんな立場じゃないかと実感したわけですが。
そんな目線から眺める中で、印象に残ったのが「優等生」「信頼」といったワードの使われ方でした。

若者が大人世代に反発心を持っているなら、それは自分たちにわかるかたちで表現されるだろうと思う大人世代は、楽観的である。若者は、あなたの前では最後の直前まで「優等生」で「模範人間」だろう。
抗議とは、「真意が伝わるはずだ」という信頼と表裏一体である。

「期待」に置き換えた方がしっくりくるんじゃないかな?と感じた「信頼」なんですが、そのせいで日頃から考えていた事を言い当ててらっしゃると感じたのも確かだったんです。
分かってくれることを期待して衝突するのってエネルギーが必要なんですよね。しんどいし消耗もするし面倒くさい事でもある。
だからその存在と「面倒くさい」を天秤にかけて後者が上回るなら、ぶつかるより諦めて離れる方がずっと手っ取り早い。
学生時代に毎日毎日同じメンバーが揃う学校に通う事から逃れられなかったのが心底キツかった自分が、社会人になってようやく身につけられた処世術でもあります。

そういうかたちで自分の中にリンクするものを見つけた一件が、『うっせぇわ』という歌を聴いていないにもかかわらず心に残る存在へと変えた出来事になりました。
(記事中の序盤にYouTubeリンクあるけど、先入観ナシで読もうと思ってこの時はクリックしなかったんですよね)




それから数日が経って、YouTubeをひらいていた時。
ふと『うっせぇわ』の存在を思い出して検索。
そしてMVを視聴しました。

ぶったまげました。

例えるなら頭を鷲掴みにされてそのまま壁に叩きつけられるような。それでいて、それが決して不快ではなく、むしろ痛快でもある程の歌声。
この声、この個性、18歳、、、
いろいろな衝撃が残響のように離れない。
たった一回のその視聴で、歌声に魅了されてしまったのです。



この声で歌われる他の歌はどんなふうに響くんだろう?
気になってサムネイル一覧を眺める中で、『うっせぇわ』の世界観からかけ離れたイラストが気になってクリックしたのが『ギラギラ』でした。

ローテンポなイントロに始まり、気だるげに響く歌声。
それがまた『うっせぇわ』の痛快さとは別次元の響きでもって心地よくてですね。

Ugly 正直言って私の顔は
そう神様が左手で書いたみたい

なんていうフックのあるフレーズにドキリとして。
1番サビ終わりの「ギラ」「ギラギラ」「ギラ」の部分に、このたった2文字や4文字にここまで個性と感情をのせる事が出来るのかと驚かされ。
地声と裏声の振り幅と、そのグラデーションを堪能できる「Give Love 花は満ちて」の部分に聴き入り。
その先に待ち受けていたのが、歌声の表現力とMVの構成が見事に調和したラストの高揚感。

……好きになってしまった。
この『ギラギラ』という一曲に惚れ込んでしまった事で、歌っている人のことを「Adoさん」という名前を持った存在として認識するようになりました。




それからはしょっちゅうYouTubeで『ギラギラ』を再生しては見入っていたのですが、程なくAppleMusicで聴ける&MVも観られる事を知りまして。
おかげで暇さえあれば聴く&観るを、もっと気軽に行えるようになりました。なったやろがい。
で、『うっせぇわ』で歌声の魅力を知ったのは確かだけど曲もMVもなかなか強烈なので、聴いてて心地良い『ギラギラ』ばかりを選んでずっと聴いていました。



そうして一曲ばかりをエンドレスで聴くうちに若干興奮が落ち着いてきて、他の曲にも興味が出てきたため、AppleMusicで『ギラギラ』の隣に並んでいた『レディメイド』のMVを試しに再生してみました。

結果わたしこっちの方が好きだわ!!!!という、はじめましてならではの衝撃と驚きとよろこびに打ち震える事になりましたよ。

イントロから曲調が好みである事を確信してわくわくしながら聴いていたら、他の歌たちとはまた違う解放感に満ちた歌声が聴いてて気持ち良くて。
序盤は妥協とか迎合とかが垣間見えるけれど、焦燥の中盤を経て最終的にサムネイルの強気な笑顔でバッターボックスに立つっていう展開も率直に好き。

舌を鳴らせば下種張りと
不適合者は魔女狩りさ
鼻高々にヒーローぶって
きっと楽なんだなあ

作詞作曲者がどの歌も違う人なので一概には比べられないけど、何気に『うっせぇわ』に匹敵する勢いで、冷めた眼差しと痛烈な皮肉を歌詞に落とし込んでますよね。
そこもまたツボで、自分が好きな要素に満ち満ちた一曲である事の自覚が重なった果ての「わたしこっちの方が好きだわ」でした。




その流れで現時点での最新曲『踊』を聴いたものの、こちらは一度聴いたところでは心の琴線に触れず。
(だいぶ経ってMVを観てようやく好きになれた次第)

なので今度は『レディメイド』一曲を暇さえあれば聴いたり観たりなどして、その合間に『ギラギラ』を聴くという偏執的な楽しみ方を続けました。
曲調が全然違うから飽きないんだほんとに。




で。
AppleMusicで『レディメイド』をシングル&EPとして聴くと2曲収録になってまして。
1曲目が表題の『レディメイド』で2曲目が『うっせぇわ(Piano Ver.)』というアレンジバージョンなんです。

作業中BGMにしている時なんかに『レディメイド』を聴く流れでそのピアノアレンジバージョンな『うっせぇわ』も繰り返し聴く機会が出来たわけですが、原曲以上にAdoさんが表現力を発揮する箇所が増えているな??と感じつつ聴いた事で、久々に原曲の『うっせぇわ』に興味が湧いてきてですね。


先日、最初の時以来にMVを通して観てみました。

ちょっと待ってくれ。
これもしかして最後、女の子撃たれてる…?

初めて観た時に気付けずスルーしてしまっていたのですが。
そこに気付いてから一気に解釈の余地が広がって『うっせぇわ』という歌そのものに興味が湧きました。


MVを見ずに聴いている時は、この記事の冒頭にリンクを貼った記事で紹介しているように
>大人への断念であり、実際には語られることのない本音
という解釈でもって納得できていた筈なんです。

断念という前提があるからこそ、既に諦めている相手を前に、本音を曝さず模範人間としてやり過ごしていくことが必要になる。
分かってくれる事を期待してぶつかるのと同じぐらい、「社会人じゃ当然のルール」や「不文律最低限のマナー」なんていう外圧をうまくやり過ごす事にもエネルギーって要るものです。
Adoさんがその驚異的な歌声でもって「あなたが思うより健康です」「一切合切凡庸な あなたじゃ分からないかもね」などと思いっきり解放する様を目の当たりにする事で、溜飲が下がって英気を養える。
『うっせぇわ』ってそういう歌だと思ってたんです。


でもよく聴いたら、そしてよく見たら。

だったら言葉の銃口を
その頭に突きつけて撃てば
マジヤバない?止まれやしない
不平不満垂れて成れの果て
サディスティックに変貌する精神

終盤の転調後も銃を持っていて、なんならぶっ放そうともしている。
自分が放った言葉の銃弾の威力に、自分自身が取り込まれてしまった結果なのか。

一番最後の「問題はナシ」で銃を持つ代わりに仮面を装着しているところも意味深だし、頭部を狙っているのが彼女を疎ましく思う誰かなのか、それとも感化されて変貌した誰かなのかによってもまた解釈が変わってくるわけで…。

という視点で考えた結果、この歌に二回登場する「問題はナシ」というフレーズ、一回目は分断からくる処世術でも、二回目は完全に暴走だよなあ……という結論に至って改めて構成に唸っています。
その変化をもたらしたのが「顔面にバツ」なんじゃないか。
サディスティックに変貌する精神ではその「顔面にバツ」を心の内側に留め置けなくて、結果誰かに撃たれるというかたちで招いてしまった自壊だった、という事ならなんとも皮肉な歌になるね。


ところでその「顔面にバツ」も元ネタというか、その表現を演出として使っている『聲の形』という作品が既にあるので、直前の「二番煎じ」がブーメランになっちゃってるのもエグいなとひしひし感じます。。。




Adoさんの歌声の話をするつもりが、ついつい曲解釈に脱線しました。
でもそんなふうに考えられる歌は大好物だし、そういう想像を拡げるためにはAdoさんの歌声も欠かせない要素ですし。
(Adoさんを批判する人の中に「作詞作曲を自分でしていない」という意見があるのを時々目にするのですが、個人的には一曲一曲が「それぞれの分野のプロフェッショナルが本気を出した結果得られた達成」という受け止め方をしているので気にならないです)

そんな感じです。
この記事を書くにあたって、取り上げた3曲を繰り返し聴いたりMVを観たりといった事を重ねたのですが、それでも未だに飽きそうにないです。
これからも新しい歌を楽しみにしています!







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