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生きるための珈琲

18歳の頃、紅茶を毎日飲んでいた。

といっても茶葉に凝るだとか淹れ方に気を配るといった事は全然無く、今でも市販されている某メーカーの商品のレモンティーを毎日飲んでいた。
甘いのにレモンのおかげでさっぱりした飲み口のそれを、初めて飲んだ時にいたく気に入ったのがきっかけだった。

それ以来、最低でもペットボトル1.5リットル分を毎日飲んだ。
喉が渇いた時も、食事の時も、運動の後も。
当時はまだ水を買う習慣が無かったから、結構甘めに仕上げられているそのレモンティーで水分補給する日々を、延々と繰り返していた。



そんな生活を半年ほど続けて19歳になった。
たまたま体重計に乗る機会があり、表示された数字を見て目を疑った。
人生で最大、最重、これまで見た事の無い数字が、現在の自分の体重を示す表示としてそこにあった。

今振り返れば完全に自業自得にして因果応報だけれど、当時は真面目にショックを受けた。
打ちひしがれながらも、このままではダメだと本気で思った。
これ以上太りたくないし糖尿病も怖い。何とかしなければ。

とはいえ原因が明らかなので対策も立てやすい。
真っ先に飲み物を水に切り替え、朝食をウィダーインゼリーで済ませる事も始めてみたりなど、摂取カロリーを減らす事を本気で考え始めた。



そうやってダイエットに一念発起したのと時を同じくして、父の知人に喫茶店を営む人がいる事を知った。
郊外にあるその喫茶店に初めて訪れた時の印象は、今でもおぼろげに思い出せる。
田園風景の真横を走る国道沿いに佇む木造の一軒家の様子は、あなたが「ペンション」や「コテージ」という言葉から連想する物件がそのままそこにある、と言い切っても過言ではないかもしれない。
車を数台停められる駐車場がある以外は、周囲は見渡す限りの田んぼという立地。天井が高いおかげで開放感のある涼しい店内には、がっしりした木製のテーブルと椅子が幾つかぽつぽつと置いてある。そして窓の向こうに広がるのは風光明媚な田んぼと山々。

そこで初めて飲んだホットのブラックコーヒーが、まさしく人生を変える一杯だった。
コーヒー豆の販売も行っているその喫茶店は、市内でも有名なコーヒーの専門店だったのだ。

これまでコーヒーはどちらかというと苦手で、母がたまに買ってくる甘いカフェオレなら何とか口にできるけれど積極的に飲もうとは思えない、ましてやブラックコーヒーなんてあり得ない、というありさまだった。
それでも飲んでみようと思ったのは、甘くない飲み物を好きになれたらレモンティーの代替になるという打算的な期待と、「ここのコーヒーは本当に美味しいから」という父からの勧めがあったからだった。

お揃いの瀟洒なソーサーとカップで出てきたそのブラックコーヒーについて、どんな味だったかは全く覚えていない。
ただ、先入観として抱いていた苦味が感じられなかった意外性と、砂糖もミルクも入れていないコーヒーがこんなに飲みやすくて美味しいなんて、という予想外の驚き。
そのふたつが今でも記憶に残っている。



不思議なことにそれ以来、ホットのブラックコーヒーならどこのものでも飲めるようになった。
出先だけでなく、スーパーで買える粉末をお湯に溶いて飲むタイプも何の抵抗もなく美味しく飲めた。
アイスコーヒーは例えブラックであってもホットコーヒーとは全然違う味だと感じられたので、別物として相変わらず苦手なままだった。だから夏場もホットのブラックコーヒーばかりを選んで飲んだ。
おかげで甘いレモンティーを遠ざける事が出来て、それからは口にする水分はたまに飲む麦茶を除けば、水とホットのブラックコーヒーばかりになった。

ウィダーインゼリーだけの朝食はお昼まで持たずにすぐ挫折してしまったけれど。
ブラックコーヒーの美味しさを知る事が出来たおかげで、糖分を含む飲み物を口にしない生活は苦もなく続けられた。
その結果、半年で11㎏痩せる事にも成功した。
緩やかに減らした影響か、未だにリバウンドもせず今に至っている。



そんなふうに好きになったホットのブラックコーヒーだけれど、本格的にのめり込んだのは作家・森博嗣さんの存在を知ってからだ。
『すべてがFになる』等のS&Mシリーズや、映画化もされた『スカイ・クロラ』など、彼の著作にはあちこちでブラックコーヒーが印象的に登場する。
ご本人も無類のコーヒー好きらしく、過去のブログを読んだ際に「マックのコーヒーが好き」や「一日に5杯飲む」などの記述があり驚かされたものだった。
本気でコーヒーにのめり込むなら、豆から選び自宅で本格的に淹れる側へと向かってもおかしくない筈だが、そうならなかったのは森さんの影響も大きい。
お湯で溶いて飲むネスカフェのコーヒーを愛飲してきた。
朝食時に飲み、午前中に飲み、昼食時に飲み、午後に飲み、おやつを食べながら飲む。一日に5杯飲む生活が習慣として長く続いた。



このままではダメかもしれない、という考えが十数年ぶりに脳裏に過ったのは2020年4月。
誰も予想すらしなかったCOVID-19の影響で緊急事態宣言が発令され、仕事で出社が必要な日以外は極力家から出ずに過ごす事になった。
テレワークの準備が整ったおかげで出勤は週に一日となり、それ以外の外出は最寄りのスーパーの開店時間に合わせて週に二回、朝7時からの30分だけにすると決めた。

その合計三回の外出を除いて、ひたすら自宅から一歩も出ずに過ごす事を続けるうち、どうしてもうまく眠れなくなった。
最低でも7時間は眠らないとすぐ調子が悪くなる体質で、コロナ禍において体調を崩す事は極力避けたいから睡眠時間はしっかり確保したい。
けれど何時に眠ったとしても、翌朝の4時に必ず目が覚めてしまう。
そのまま朝まで寝付けず睡眠時間がいつもより短い状態が蓄積され、次第に体調にも影響が出始めた。

身体が疲れれば眠れるだろうと考え、「自宅でできる運動」といったワードでYouTubeを検索して、ヒットするものも幾つか試した。
でも緊急事態宣言の前までは「自宅から駅まで」と「駅から職場まで」を歩いて往復する、合計すれば40分超になる運動を毎日のように行っていたのだ。それに比べたら自宅でちょこっと行う運動などどうしても及ばない。
他にもぬるめのお風呂に長く浸かる事なども試したけれど効果は出なかった。

何か打てる手は無いかと考えた時に、真っ先に思い当たったのが毎日飲んでいるホットのブラックコーヒーだった。
カフェインが持つ覚醒作用は書き連ねるまでも無いだろう。
現状で最優先されるべきは体調管理。
うまく眠るために必要なら試すべきだ。

早速翌日の朝食から、ホットのブラックコーヒーを断つ事にした。
しかしその日は午前中からテレワークに支障をきたす程の強烈な眠気に襲われてしまい、やむを得ずお昼前にいつもより濃いめのブラックコーヒーを飲んでやり過ごした。
(結果的に夕方に目が冴えてしまい途方に暮れる事になった)

翌日は試しに朝食時だけホットのブラックコーヒーを飲んでみたら、午前中は問題なく過ごせたものの今度は午後が激烈に眠い。
ただその睡魔を耐えて日中をブラックコーヒーに頼らず過ごしたその日の夜は、久々に翌朝いつも起きる事にしている時刻の5分前まで一度も目を覚ます事無く眠れた。
活路を開けた。そう思った。



どこで得た知識だったか思い出せないけれど「疲れているのに眠れないのは、眠るための体力すらも無くなってしまっている状態」だと目にした事がある。
休日にしっかりお昼寝をして身体を休める事で、体力が回復してうまく眠れるようになるのだと。
そのためのお昼寝に必要な事は以下の2点らしい。

・ 朝はいつもと同じ時刻に起きる
・ 15時以降はお昼寝をしない

という訳で直近の休日に試してみる事にした。
朝いつもと同じ5時55分に起きて、お洗濯や部屋の掃除を済ませてから、ホットのブラックコーヒー無しの朝食をとった。

その後はずっとお布団に寝転がって本を読みながら過ごした。
すぐにうたた寝をして目を覚まして、いきなり寝落ちたんだなと思っているうちに再度眠りについており、次に目を覚ましたのはお昼前だった。

ホットのブラックコーヒー無しの昼食後も、同じようにお布団に寝転がって本を読んでいるうちに眠っていて、目を覚ましてみれば14時半過ぎだった。

起き上がった時には身体も頭もずいぶんスッキリしていた。
昼間にそれだけ眠ったのは本当に久しぶりの事だったけれど、その日の夜もわりとすぐに眠る事が出来た。
それ以来、朝の4時に目を覚まして眠れなくなるといった事もなくなった。
体質や個人差もあるだろうから誰にでも当てはまるわけではない筈だけど、私の身体にはよく合う対処法だったようだ。



緊急事態宣言も解除されて、週一日だった出社の頻度は週三日まで戻った。
まだまだかつての日常には程遠いとはいえ、好きだった近所の幾つかのお店も営業再開して、本屋さんを眺めた後に昼食をとってのんびりする休日を過ごせるようにもなった。

一方で店頭のレジに張り巡らされた透明のビニールシートや、行列の間隔を空ける事を推奨する床に貼られたビニールテープなど、前と同じだとは決して言えない痕跡を街の至るところで目にするのも確かだ。

そして私は今でも、ホットのブラックコーヒーを飲むのは出来る限り朝食の時だけにする生活を続けている。



ブラックコーヒーを控える生活をいざ始めてみれば、これまであんなに一日に何杯も飲んでいたのが嘘みたいに、あっという間に順応出来た。
出社日と自宅から一歩も出ずに過ごす休日は、ブラックコーヒーを飲むのは朝食の時だけにして、それ以外の時間は水やルイボスティーといったノンカフェインのものか、カフェインの含有量が通常のコーヒーよりも少ない無印良品のカフェインレスコーヒーを飲んでいる。

外出する休日だけは昼間にブラックコーヒーを飲む事もあるけれど、出先で歩き回るのが良い運動になるからなのか、寝付けなくて困ったという経験は今のところ無い。



あまりの呆気なさにときどき思うのだ。
体調管理の一環でブラックコーヒーを控える事にした選択は、
・身体を守るために大好きなものを断った
・大好きだと思い込んでいたものを断つことで自分の身体を守った

そのどちらにあたるんだろうかと。



ただ好きなものと、摂取する事が習慣となった結果欠かせないと信じて疑いもしないもの。
それらは特に嗜好品においては、全く別物の癖にとてもよく似ている。

今年の春、ステイホームが推奨されたあの特異な状況下。
私にとっては習慣だったブラックコーヒーを介して「当たり前のものを疑ってみる」という見方を得られた貴重な機会でもあった。
言葉にすればありふれた教訓だけど、体験を通して得た実感は大きい。
かつてのレモンティーの時点で学んでおけという話なので、ずいぶん遠回りをしたけれど。



この変化を通して、新しい気付きもあった。
日中、たまに出先でブラックコーヒーを飲んだ時に、それが美味しいものだと本当に嬉しくなる。
如何にこれまで「ホットでブラックなら何でもいいや」という雑な気持ちでいた事かと呆れもするけれど。今は美味しいブラックコーヒーに出会う度に、コーヒーを好きになった原点に立ち返った気分でしみじみと味わっている。
これもまた間違いなく今年の春を経た上での変化だ。



吉田篤弘さんの著作『月とコーヒー』の後書きに、こういう言葉がある。

生きていくために必要なものではないかもしれないけれど、日常を繰り返していくためになくてはならないもの、そうしたものが、皆、それぞれあるように思います。

ブラックコーヒーはそれまでの私にとって、間違いなく「日常を繰り返していくためになくてはならないもの」だったけど、いったん距離を置いてみる事で、ブラックコーヒーそのものを冷静に直視出来るようになった。
その冷静さをもって向き合う事で、やっぱり自分にとって必要なのだと実感も出来た。

生きていくために必要なコーヒー。
欠かせないからこそ断つという選択が、より良い関係と未来を連れてくる。
そういう事もあるのだ。




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