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流浪の月/凪良ゆう

久々に表紙買いをしたぞ!な一冊。
知ったきっかけは本屋大賞の受賞決定をお知らせする丸善ジュンク堂書店さんのツイート。帯で下半分隠れてたけど、それでも見えている上半分に強烈に惹かれて翌日仕事終わりに買いに走りました。

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帯ついてるとこんな感じ。
お行儀よくきれいに盛りつけられているのに、左上のどろりとした赤いソースだったり右下の食べかけのように机を汚すスプーンとアイスだったり(こちらは写ってないけど)、なんか不穏なんですよね。白いレースのランチョンマットより黒に近い焦げ茶のテーブルの面積の方が大きくて画面が暗いところも。
そして読み終わって改めて眺めてみて、この物語自体を表現している表紙なんだなってしみじみと思った次第。食べかけのアイスだけでなく散らばった苺も、ままごとみたいに飾りつけられているかすみ草も。
そんな感じで初読み作家さん。以下は表紙にある粗筋です。

あなたと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。わたしを心配するからこそ、誰もがわたしの話に耳を傾けないだろう。それでも文、わたしはあなたのそばにいたいーー。再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める。新しい人間関係への旅立ちを描き、実力派作家が遺憾なく本領を発揮した、息をのむ傑作小説。

真実というものがなんかこう巨大なビルみたいな姿をしているとして、遠くから見るか近くから見上げるか、正面玄関から見るか中に入ってあちこち見て回るか、晴れた日の朝に全体を見るか深夜に懐中電灯で照らすことが出来る一部だけを見るか、とまあ「どんなふうに見るか」で同じものでもずいぶん印象が変わるのは当たり前のことで、そんでもってここまで書いたところで無理にビルに例えなくてももっと最適なものが書名にあるじゃないかとようやく気付きました。
月。
外的要因によって様々に表情を変えているように見えるだけで、月そのものはずっと変わらずただそこにあるというのに。
見上げ愛でる側から、満ち欠けをもとに様々な呼び方をされるもの。

厄介なのは更紗と文、二人の関係性を誰もが見たいように見て言いたいように言うこと。
名付けようのない二人を外野が勝手に何らかの枠に押し込める。
正義感や好奇心で好き勝手にトリミングしてこれが事実だと喧伝し拡散する狂騒。
SNSや掲示板やネットニュースなんかで濁流のように日々飛び込んでくる情報との距離感を今一度熟考するきっかけになると同時に、職場の人から友達家族恋人まで、人との適切な距離感に思いを馳せる事と時代に沿って価値観をアップデートしていく事のふたつを怠らないようにしたいな、というところまで考えました。
内容自体は読みやすい文体と目が離せない展開のおかげで一気読みの没頭っぷりだったので、読み終わった後に。

noteに本の感想を書く時には展開の重要なネタバレになるような事は書かないと決めているのでふんわりした表現になるんですけど、個人的には安西さんの存在が月の満ち欠けそのものみたいで面白いなと思うんですよ。
あの人たぶん本当にあのまんまの人なんだと思う。こっち側の解釈や感情で印象が変わるだけの話。
そして安西さんが特に分かりやすいので名前を出したけれど、更紗と文を筆頭に、登場する誰もが同じようなものである事も確かで。
本書の登場人物だけでなく、今を生きるわたしたちすべてに言えることでもある。

そばにいたい。
幸せでいてほしい。
そういう祈りの両立を矛盾だとか執着だとか共依存だとか言いたいように言う人がいても、結局のところどこから見るかの違いでしかない。
でも真実を事実で塗り重ねるという許されないことを匿名の大衆は平気で行う。
だから黙る。守りたいから。
誰よりも想っていること。

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