見出し画像

不思儀式

この世には不思議なことが多い。

やたらと僕に襲いかかってくるが、そんなもん一纏めで対処できるはずもなく、1つ1つ丁寧に処理していくのだが、不思議なことに不思議は僕の前に律儀に一列になり処理を待っている。

そんな調子なので、割と僕は不思議が好きなのである。

ある日僕の目の前に、見たこともないほど透明でそれでいてなおかつ驚くほど濁った不思議が現れた。

その不思議が僕に言う、「君は死んだらどうなるの?」と。

あぁ、だからこんなにも透明で濁っているのかと一瞬の内に理解した。

「死」に触れる瞬間は人生のうちに何度か訪れる。

ひいおばぁちゃんが亡くなった時。飼っていたハムスターがある日冷たく硬くなっていた時。おじいちゃんが亡くなったと深夜告げられた時。

前触れがあるようで突然に目の前に現れる。

人の生を奪って行き、優しく冷たい目で僕を一瞥して去っていく。

死は幾度となく僕に近づくが僕に触れようとはしない。

人は人の力を借りて、死というものを認識するのだ。

自力で認識するものもいるが……いや、横入りはダメだ。いっぱい並んでいる不思議がいるでしょう。ちゃんと列になりなさい。その不思議はまた今度。

僕は少なからず数回は死を経験している。だから不思議に死について説いてやれるはずなのに、出来ない。

自分の死はどうしても経験できないので、死について説いてやれないのだ。

「僕は死んだら死んだことになる。今まで何度も死を見てきて、死のその後も見てきたが言ってやれることがない。自分に経験はあるが自分としての経験はないのだ」

情けないほど陳腐な回答に不思議は困った表情を浮かべる。

いやすまん。でも、こんな最低な回答でもこれ以上最高な回答はないと思うんだ。どうやって伝わるかな。いや、伝えた時には伝えれないと思う。

また困った顔をして見せる。

「またおんなじこと言ってる」

不思議は膨れっ面をしている。

そうこの不思議は、僕がどんだけ透明で尚且つ不透明な程の回答をしても諦めることなくまた列に並ぶ。

そして月日が経つと目の前に現れるのだ。

そうこうしている内に、一つ死について分かったかもしれぬことがある。

なんでこんな簡単な事に気がつかなかったのだろう。

そうだ、「死の不思議君」。君の存在こそが「死」そのものなんじゃないのだろうか。

君の不思議は君と僕が死んだ時に解決できるんだ。だから、そうだな……あと60年、いやどうだろうか。でもそのくらいだな、申し訳ないが懲りずに列に並び続けてくれないだろうか。

その間、君は同じ質問をし僕は同じ回答をするだろう。

「まだ分からないよ」

「まだまだ」

「う〜ん、もう少しじゃないかな」

そして段々と、他に並んでいる不思議が列から離れていき、いよいよ君と僕だけになる

「ここまできたか。後は君の不思議だけだな」

「もう少しだと思うよ」

「ここまできても分からないとは、君の不思議は人騒がせだな」

そしてその時が来る。

「あぁ……そうか、そういうことか。え? まぁ落ち着いてまずどこから話そうか」

そうして僕の前から不思議はいなくなるのだ。

でも今は言えない。人は意地悪な生き物だ。言わない方が面白そうなので、僕は不思議に。

「知らん知らん、もう一回列並んできて」とあしらう。

そうすると不思議は優しく冷たい目で僕を見て、最後尾へと向かっていく。

僕はそんな不思議が好きだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?