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離婚についての考察 その2

※この文章はもちろんHorace Silverと関係はありません。今聴いているだけです。

息子が2歳を越えたとき、そろそろ二人目が欲しいと妻が言い、私は出産後、久しぶりに妻と寝ました。

そんなある時妻は青森の実家へ帰りたいと言い、私は仕事に没頭したく、また、毎週金曜日には女を抱いていたため、これは幸いと、悩んでいるふりをしながら妻の青森行きを承諾しました。心の中では喜んでいたのです。

青森の実家に妻が帰ると、当然のように私の生活は独身のそれのようにさらに奔放になっていきました。妻と子どもがいなくなった開放感と、何をしても問い詰められる心配の無い環境が私の歯車をまわし続けます。

月に一回週末に青森へ行き、旦那面、父親面をし、そしてまた東京へ戻り、狂ったように私は歯車をまわし続けるのです。

そんな生活の中、妻から二人目の子どもが生まれそうだという連絡を受け、急いで青森にある病院へ向かいました。

まだ雪の残る、寒い季節でした。

病院へ着くと妻はすでに出産を終えており、私は旦那面をしてお疲れ様でした。と言いました。

看護師が産まれたての子どもを連れてきて抱かせてくれたんです。女の子でした。そして、なぜか私の目から涙は溢れませんでした。

二人目の子どもが産まれてからも、私の生活は変わりませんでした。

そして月に一回帰っても、妻と会話をしなくなっていきました。

正直に言うと、この生活を2年続けるとお金が無くなってきました。

当たり前の結末です。

一介のサラリーマンが毎週遊びながら月1回青森に行くなど、元々破綻は見えていた話ですが、大して考えもせずにこの生活を走らせていました。

借金をしました。

返済に困り、さらに借金をしました。

誰にも言わず、この時を重ねました。

このままでは破綻すると思い、元々今の仕事内容にも飽き飽きしていたのでこれはちょうどいいと異動願いを青森へ出し、それが受理されました。

そして青森での暮らしが始まるのです。

青森で暮らし始めると出費は少なくなり、生活は安定しました。

しかし出張が多くなり、出張先の各県に女を作り、行くたびに抱いていました。

出会いが無いときはマッチングアプリを使い、サイト内を漁り、どんな女性でも抱きました。

性的な喜びを高めるために、勃起薬なども常用するようになり、それを使って女性の恍惚とした表情をみる事が何よりの喜びとなり、頭の中が猥褻な事で埋め尽くされ、その思考が精液となり爆ぜる瞬間が止められなくなっていました。

その間も、妻は子どもを育てていました。

仕事のことには一切口を出さない妻を私は無関心と感じていたし、バレてもどうにかなると考えていたのです。

こんな生活が1年続き、私は東京に戻りさらに自由な生活を手に入れたいと考え始めるようになっていきました。

続く

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