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神護寺展ではありません!! 神護寺 京都市右京区

5年ほど前、仕事のベースにしていたのは関西。その頃一緒に仕事していた京都出身の方に、京都のオススメのお寺はどこかと尋ねてみました。観光客であふれているようなお寺は除外してねと条件付きで。
少し考えての返答は大覚寺。
もう1人京都でホテル勤務経験のある人の答えも、面白いコトに同じ。
2人ともあんまり詳しくないんですと言われてましたが。ウーム。

後日、最初に質問した人から「父に聞きました」とお寺リストをもらいました。見てみると創建の古いお寺がいろいろ、もちろん大覚寺も。
ただしリストのトップは神護寺。これは世代の違いでしょうか。

トーハクでの2025年最初の特別展は大覚寺展(予定)、現在開催中の特別展は神護寺展(2024年9月8日まで。別にトーハクの関係者ではありません)。
奇しくもザックリ同じ山で、上(神護寺)と麓(大覚寺)のお寺。


トーハクの神護寺展は入場者数10万人を超えたそうです(好評なのかどうかは不明)。noteにも記事があふれていますが、展示室はほぼ撮影不可のようなので、内容の差別化には文章力と多面的な視点が問われます。
残念ながら今の自分には、文章一本で勝負できるほどの能力は備わっておりません。そもそも神護寺展には行ってないし。

神護寺を地図で確認してみると、市街地からはそれほど離れていないとはいえ、結構な山の中。すぐそばには明恵上人と鳥獣戯画ちょうじゅうぎが図で知られる高山寺もあったので、流行り病が落ち着きはじめたころにみやこびとのオススメを思い出して足を運んでいます。
ここからは、神護寺展ではなく神護寺の記録です。


神護寺じんごじ

京都府京都市右京区梅ケ畑高雄町5

神護寺は和気清麻呂が創建した山城の高雄山寺と河内の神願寺(所在地不明)が合併してできた真言宗のお寺(清麻呂没後に子の真網まつな仲世なかよの要請によるもの)。正式名は神護国祚真言じんご こくそ しんごん

車で行ったのですが中心部から国道162号線を北西に。道沿いには駐車場がパッと見なさそうだったので、嵐山・高雄パークウェイの高雄側の駐車場を利用(ガラガラでした)。駐車場は清滝川をはさんだお寺の対岸(反対側)にあり、一旦川まで下りてそこからお寺まで上がるという高低差が2倍になる行程。ちょっとした山城攻め。
神護寺の麓にはホテルがありましたが、駐車場は有料で利用できたのかもしれません。(そもそも人があまりいなかった)
実は先に高山寺を拝観しています。こちらもけっこうな高低差。両方参拝したい方は、持久系の脚力が必要です。


清滝川を渡ります
谷からのスタート地点
神護寺本坊
パンフ 2022年版
和気公廟堂 お墓へはもう少し登ります


和気清麻呂という人

皇居の北東に建つ清麻呂さん(東京都千代田区)

和気清麻呂わけ きよまろ(733-799) は備前(岡山県和気町)の人。
当時、道鏡というお坊さんが天皇の寵愛を後ろ盾に皇位簒奪を計画。清麻呂さんは豊後(大分県)の宇佐神宮まで神託を確認しに行って簒奪計画を防いだ人(その経緯にはいろいろなドラマがあったようです)。
道鏡の失脚後に清麻呂さんは朝廷で出世しますが、平安京への遷都を進言・推進したことで知られてます。


少し神護寺を離れます。
護王神社(護法善神社から改称)はもともと神護寺(和気公廟堂の場所)にありましたが、明治期に京都御所の西側、現在地に遷座されています。

護王神社(京都市上京区)

護王神社は清麻呂さんと姉の広虫さんを祭る神社。
朝8時ごろ見学していると、出勤前にお参りされる方々がチラホラ。
イノシシと足腰御守が面白いなと思って写真を撮っていたのですが、神護寺に足を運んだコトでハナシが繋がります。

清麻呂さんはある時足が不自由になりますが、イノシシの群れに遭遇した後に歩けるようになったそうです(かなり要約)。そのエピソードから狛犬がイノシシ(狛猪)になっていて、足腰にご利益があるとされています。

護王のイノシシ


続いて飛ぶのは岡山

和気神社(岡山県和気郡和気町)

和気神社は和気氏発祥の地にある和気氏の氏神。清麻呂さんと広虫さんも祭られています。
神社の由来や誰の像なのかも知らずに撮影(資料館目当ての2018年)。

和気神社のイノシシ なぜか七五三仕様

時系列的に岡山→護王神社→神護寺→東京とつながり、非常にうっすらと見えてきた清麻呂さん。なにせ奈良時代の方。 

神護寺に戻ります

鐘楼堂

鐘楼堂は屋根の修復費用をクラウドファンディングで募集中(1次目標はクリアした模様)。神護寺展には下向できなかった国宝があの中に。

金堂

神護寺展で展示される多くの仏像群は、この金堂が本来の定位置。建物は昭和期の山口玄洞さんによる寄進。
楼門、毘沙門堂、五大堂、鐘楼は江戸期に京都所司代板倉勝重いたくら かつしげ(1545-1624)によって整備。

五大堂
毘沙門堂(元金堂)
大師堂(重要文化財)

大師堂は唐から帰国した空海さんが一時期住まいとした場所。
現在の大師堂は細川忠興ほそかわ ただおき(三斎:1563-1646)による寄進。

空海という人

空海くうかい弘法大師こうぼう たいし:774-835)は、讃岐(香川県多度津町)の生まれで、紀州高野山に宗教都市を作り上げた人(今ではインバウンドあふれる観光地)。ちなみに空海さんは、高野山の奥之院御廟で今も生き続けている人らしい(もはや人ではない)。また三筆(書の上手な人)の1人。

(参考)空海さん(真言八祖像) @トーハク

真言八祖像は密教を伝えたインド・中国・日本の高僧を描いたモノ。1314年の制作(鎌倉時代)。空海さんはベスト8に選ばれし方。

(参考)隅寺心経 @トーハク

空海さんの書写と伝わるお経、奈良時代のモノ。
素人目にも習字のお手本のようなキレイな書体。

神護寺展では空海さんは主要キャストの1人のようです。
空海さんと最澄さいちょう(766-822)は日本の密教界の二大巨頭。ちなみに最澄さんも神護寺ゆかりの人のようです。

明王堂

明王堂には空海さんが制作した不動明王像が安置されていたそうですが、平将門の乱鎮圧のために明王像は関東へ出張。乱の鎮圧後には、関東に留まり成田山新勝寺のご本尊に。
現在の神護寺のご本尊は平安時代後期のものだそうです。
扁額「明王堂」の揮毫は7代目市川團十郎によるモノ。


神護寺のお宝といえば、教科書に載っていた源頼朝像平重盛たいら しげもり(1138-1179)と藤原光能ふじわら みつよし(1132-1183)とともに国宝指定されています。正確には、それぞれ三人と伝わる像。
頼朝さんは足利直義あしかが ただよし(尊氏の弟:1307-1352)、重盛さんは足利尊氏たかうじ(1305-1358)、光能さんは足利義詮よしあきら(尊氏の子:1330-1367)かもねという説もあり、歴史・美術マニアを楽しませています。

(参考)伝源頼朝坐像(重要文化財) @トーハク

こちらも源頼朝と伝わる坐像、鎌倉時代のモノ。ご存じ鎌倉幕府初代将軍。

(参考)足利尊氏坐像 安国寺所蔵

重盛さんではない場合の候補になっている尊氏さん。こちらは尊氏最古の像とされ、京都の東岩蔵寺から地蔵寺を経て、大分の安国寺に伝わっています。ご存じ室町幕府初代将軍。


神護寺展で展示されているお宝たちを、神護寺では見学できていません。
しかし高低差のある地形を歩き回り、トーハクで得られる数倍以上の運動量とお宝群の器たちを体感。

帰路は来た道を戻らずに嵐山・高雄パークウェイを下りました。
有料道路なので交通量はかなり少なく、リッタークラスのバイクがけっこうなペースで走っていました(1,000ccには少しタイトか)。
けっこうな勾配を下っていると、道を山側からふもと側へと鹿が大ジャンプで横切り、フロントガラスの前をキレイに弧を描きました。目の当たりにした鹿の驚異的な跳躍力。
ぶつかっていたら大変なコトになっていたかもしれませんが、清麻呂さんのご加護があったというコトにしています。

嵐山・高雄パークウェイからの京都市街  京都タワーが見えます


神護寺界隈はあらかた見て回ったつもりでしたが、自身の記憶と収集した資料と写真を整理し記録してみると、意外と見落としていたコトに気付きました。清麻呂さんについてもあまり分かっていません。
千年の都は深い。



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