
死ぬのが怖い人へ (5)
子供の頃から死の問題に取り組んできた私は、情報収集のため親鸞会にも顔を出しました(※第3話・第4話を参照)。そして退会した後も妙好人と浄土真宗について、情報を集め続けました。
この第5話では私が得た情報についてまとめます。
情報収集して分かったこと
私が大学時代までに集めた情報には、死の問題を解決するのに欠かせないものが含まれていました。
まず妙好人について。
彼らが住んでいた世界は獲信・他力信心・信心決定などと呼ばれます。死の恐怖を超越した境地であり、ノーベル賞候補にノミネートされた鈴木大拙は、禅宗の高僧と並ぶほど妙好人たちを高く評価しました。
私も死の問題を解決するため、小学生時代からさんざん本を読み漁ってきましたが、めぼしいものはほとんど無かったです。
中には尋常でない修行をして、無の境地(?)みたいな世界へ入ったという聖者の記録もありましたが・・・厳しい修行ができない私には参考になりませんし、その聖者の発言は神がかり的で、オカルトっぽく思えました。
客観的にみて死の問題を解決したといえるのは、禅宗の高僧か、浄土真宗の妙好人くらいのものでした。
なぜなら、死の問題を解決したというには、少なくとも以下の2条件を満たす必要があると考えられるからです。
1、死への恐怖、死後への不安が解決されている。
2、それが死ぬまで崩れない。
実際に生きた人間がこのような境地に入ったという記録は少なく、とくに私と同じような凡人がその境地に入ったというのは、妙好人以外にありませんでした。
死におびえていた私としては当然、妙好人のようになりたいわけです。
そこで次に注目したのが浄土真宗です。
妙好人たちはそれぞれ、ちがう地域に住んでいてお互いに面識もない、農民や大工などの一般人でした。普通に考えたら何の共通点もない人々でしょう。しかし彼らは別々の地域に住んでいたのに、同じように死の問題を解決していました。それは妙好人たちが浄土真宗の教えを聞いていたことと関係があります。
妙好人たちはそろいもそろって、みな浄土真宗の教えを聞いていたのです。
浄土真宗はどうやって成立したのか?
ここで妙好人を生んだ教えである、浄土真宗の発祥を書いておきます。
親鸞(しんらん、1173年 – 1263年)
浄土真宗は仏教の一派であり、鎌倉時代を生きた親鸞によってまとめられました。
親鸞は1173年に京都に生まれました。父親は日野有範(ひのありのり)、母親は吉光女(きっこうじょ)といいました。しかし子供時代に早くも母を亡くしたとされ、9歳で出家して僧侶になりました。仏道修行の本場である比叡山で20年間も修行を続けましたが、どうしても悟りは得られません。
そこで親鸞は29歳で比叡山を下りて、救われる道を求め、京都の吉水で布教をしていた法然を訪ねました。誰でも救われる教えがあることを知った親鸞聖人は、約三カ月にわたって法然の元に通いました。そしてついに救われた親鸞は『教行信証』という書物を書いてその教えをまとめました。
・・・というのが浄土真宗の発祥です。
つまり親鸞は小さい頃から出家して、マジメに修行をしていたのに、悟りを得られなかった。そこで「修行で悟れない者でも救われる教え」を探して、師匠となる法然にめぐり会った。法然から受けた教えによって救われた親鸞が、書物にまとめた内容が浄土真宗の教えとなったわけです。
その教えが、後に妙好人を生んだということになります。
ではそもそも仏教とはどういうものなのでしょうか?
仏教とは何か
仏教で悟りを得るといえば、基本的には、厳しい仏道修行を行う必要があります。みなさんもテレビで修行者を見たことがあるかもしれません。
代表的な修行として、滝に打たれる・座禅・断食・断眠などがあります。そうやって煩悩(苦悩を生む悪い心)を克服し、心も行ないも清らかにすることで悟りを開きます。その結果、苦しみの世界から抜け出るというわけです。
出家して修行する人もいます。
まずは、家族と仕事を捨て、修行僧になる(出家)。そして危険な山の中を走ったり、滝に打たれたり、座禅や断食をします(修行)。そうやって心も行いも清らかにして、悟りを開くわけです。そのため出家できない人にとっては手が出せない教えも多いのです。
例えば荒行として有名な千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)では、そのあまりの過酷さに、実際に命を落とした修行者もいたそうです。
千日回峰行の準備をする修行者
(写真:1954年7月発行の国際文化情報社「国際文化画報」より)
ところが浄土真宗では修行する必要がありません。自分の力で悟りを開くわけではなく、阿弥陀仏という仏様の力によって苦しみの世界から抜け出る、という教えです(後のページでくわしく説明しますが、従来の仏教から考えてもコペルニクス的な教えです)。
人間は通常、死への恐怖や人生の孤独など、どうしようもないものを抱えています。しかし妙好人の言動にはそのような悲壮感は見当たらず、人生の根本的な苦しみから自由になっている印象を受けます。まるで重い荷物を誰かに預けたかのような軽やかさを感じさせるのです。
浄土真宗はどのような教えか?
浄土真宗の教えを知った私には、分からないことがありました。
というのは、浄土真宗の教えの基本はシンプルなので、簡単に理解できたのです。にもかかわらず、ノドから手が出るほど欲しかった獲信にはたどりつけない・・・。
ここで浄土真宗の教えを簡単にいうと、以下のようになります。
仏教では「仏に成る(悟りを開く)」ということが最高のゴールである。なぜなら仏というのは、全く執着や苦しみのない理想の境地だから。
しかし仏になるには、普通の人間には不可能なほど厳しい修行をしないといけない。それでは修行ができない一般人は、いつまでたっても苦しみの世界から抜け出ることができない。
ところがはるか昔、法蔵(ほうぞう)という修行者がいた。その修行者はとても慈悲深く「迷い苦しみ続けている者たちを、極楽に往生させ、仏に成らせてみせる」という願いを起こした。
気が遠くなるほど長い間、厳しい修行をして善根を積み続けた法蔵は、その修行の功徳を「南無阿弥陀仏」に詰め込んだ。迷い苦しむ者を救う「南無阿弥陀仏」を完成させたわけである。法蔵は阿弥陀仏という仏になった。
そして今、私が南無阿弥陀仏ととなえること(いわゆる念仏)は、阿弥陀仏から与えられたものである。
南無阿弥陀仏ととなえる者は、死ぬと同時に、極楽浄土と呼ばれる素晴らしい世界へ生まれ、仏に成らせてもらえる―――これが阿弥陀仏の誓願(約束)であり、阿弥陀仏の本願と呼ばれる。
と、こういう教えです。
「はるか昔に最高に慈悲深い修行者がいて、気が遠くなるほど修行をして救いを完成させ、その功徳を南無阿弥陀仏に詰め込んだ」・・・
・・・まるでおとぎ話のような教えですが、そこには重要な何かがあるはずだ、と私は考えました。なにせ獲信した妙好人たちが皆この教えを聞いていたからです。
親鸞の時代も、妙好人の時代も、そして現代も、浄土真宗の教えの内容は変わりません。
まあ、阿弥陀仏の話は何度聞いても、まるでおとぎ話のような内容なのですが・・・そこには重要なものがあると私は考えました。
以上が、私が情報収集して分かったことのまとめです。
生きた獲信者に会いたい
さて、親鸞会に見切りをつけて退会した私は、1つの明確な目標を持っていました。
それは生きた獲信者に会うということです。
浄土真宗の妙好人のようになれれば、つまり獲信できれば、おそらく私が取り組んできた死の問題が解決されるはず。しかし本を読んでいるだけでは、いまいち、浄土真宗の救いというものがよく分からない。
前述した阿弥陀仏の話も、まるでおとぎ話にしか思えない。なんでこんなものを妙好人たちは疑い無く聞けたのか?
「よし、先輩を探そう」と私は決意しました。先に獲信した人がいるのならば、その人から直接に話を聞くのが一番よいと考えたのです。ちなみに親鸞会に顔を出していたときも獲信者探しをしていたのですが、信頼できそうな人は見当たらず。
親鸞会を退会して時間があったので、お寺や浄土真宗の集まりにいって獲信者を探しました。
しかし最初は、よく分かりませんでした。口では「浄土真宗はありがたい」「阿弥陀様がありがたい」と言う人は多かったのですが、どうもピンとこない。妙好人のような「いつ死んでも大丈夫」という死の不安を超越した境地ではなく、一般的な信仰に思えました。
「○○がありがたい」というだけなら、別に浄土真宗でなくても、新興宗教の人々も言います。
お寺に生まれた青年たち(お坊さんのタマゴ)に聞いてみても、「阿弥陀様がありがたいという感覚はありますよ。小さい頃から話を聞いてきたし」といった答えが大半でした。
そこで「あなたは本当に極楽にいって仏に成るのですか?」と質問すると、キョトンとした顔をして「いや・・・そこまでは断言できませんが・・・」と、何とも煮え切らず言葉を濁されるばかり。
もしこれが本当の獲信者ならば、もっと突き抜けたものがあるはずではないか? 例えば妙好人の庄松であれば「わしがいくら嫌がろうとも、極楽につれていかれてしまう」とでも答えたのではないかと思います。
妙好人の言行録を読んでいた私には、何とも物足りなかったです。
キヨマルさんのこと
しかしある日、明らかに今までとは違う手ごたえを感じました。
場所は大阪のご家庭で、真宗者が数名あつまったところに寄せてもらった時でした。
どうしても獲信したかった私は、その集まりで「明日にも死ぬかもしれない、命をかけて浄土真宗の救いを得たいという思いで来ました」と話しました。
すると迫力のある外見の中年男性(マンガ『傷だらけの仁清』の主人公似)が、開口一番、
「それ、ウソやろ」
と言いました。
「凡夫が仏法に命かけられるわけないやん」
と。
・・・私は命をかけているつもりだったのですが、同時に、全く命懸けになってくれない自分の心にも気付いていました。なぜか心の底ではヘラヘラ笑っている奴がいるのです。
今思えば、煩悩(凡夫の自性)を変えようとしていたわけですが・・・彼の言葉を聞いて「ああ、見抜かれたな」と思いました。
その男性は「キヨマルさん」と呼ばれていました。本名かどうかは分かりません。元は暴力団だったということです。
彼の言葉には突き抜けたものを感じました。
たとえば
「教行信証(※)なんてなあ、他力信心いただく前に読んで理解しようとしても、絶対に無理や。あんなん頭おかしなるで」
「でもな、獲信したら、聖典なんかでも、ほんまそうやそうや、ゆうて、スッスッと読めるようになる」と。
※教行信証(きょうぎょうしんしょう)・・・親鸞が浄土真宗の真髄をまとめた聖典。
キヨマルさんの教えてくれたことは、今まで聞いたことの無い表現でしたが、実感がこもっており、また妙好人の言行録とも一致していました。
彼の言葉は荒いかもしれないが、その通りだと思いました。
そもそも「阿弥陀仏が」「法蔵菩薩が」という単語が出てきただけで、私には分からなかったのです。本当にいるのかどうか分からないし、きっと他力信心を得た人のみが真実に聞信できることだと考えていました。
他にも「絶対にタマとったると考えていた因縁の相手を見つけたが、獲信した後だったためか、なぜか引き金がひけなかったエピソード」とか、物騒なお味わいを話してくれました。
話し方はドスがきいていましたが、どの話にも、変なごまかしや理屈で煙に巻くような部分は見当たりません。かなり注意して話を聞いてみたのですが、浄土真宗の他力信心の定義に合致している、と言わざるを得ませんでした。
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結果としては、キヨマルさんとのご縁は続きませんでしたが、生きた獲信者だと思えた人との強烈な思い出です。
この出会いによって「妙好人の世界は伝説ではない。生きた獲信者は存在する。これからさらに浄土真宗について調べていけばよい」と自分を励ますことができました。
(次回の記事は、私が獲信できずに葛藤した日々を書く予定。興味がある人、続きを読みたい人はシェア・ツイートしてくださるとありがたいです)
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