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【ショートショート】先生バイバイ
遂に、この日がやってきたのか。
彼は、慣れ親しんだ教室のドアの前で、しみじみと天を仰いだ。
今日は送別式である。今年初めて教師となった彼にとって、この日は特別であり、少し緊張した。
一回深呼吸をしてから、取っ手に手をかけ、勢いよくドアを開ける。目の前には、この一年共に過ごしてきた子供たちが、一人も欠けることなく座っていた。
彼は一歩一歩踏みしめるようにゆっくり歩いた。目の前にあるはずの教卓が異様に遠く感じる。長かった。ようやくこの日が来たと思うと感慨深いものがある。
はじめはどうなるかと思った。みんな覇気がなく、誰一人として学校を楽しみにしている様子がなかったのである。
そんな彼らと自分の小さい頃と比べてみると、とてももったいない気がするのだった。あと二年でこの子たちは中学生になる。何のしがらみもなく学校生活を楽しめるのは今だけしかないのだ。
彼は新米教師らしく、はりきった。とにかく、この子たちが学校を楽しめるように工夫した。
授業では雑談や冗談を意識的に言うようにしたり、みんなが参加できる体験型に切り替えたりし、他にもホームルームを増やしたお楽しみ会をたくさん開催したり、とにかく自分の経験を思い出しながら、生徒たちの心に寄り添って、その期待に応えられるように努力した。
その結果、生徒たちは笑顔を取り戻し、クラスは活発になった。内気で無口だった相澤も今では毎日笑顔を絶やさないし、つまらなそうに冷めた様子だった高村も、今や目をキラキラさせている。
彼は達成感に包まれながら、目の前にいる成長した生徒たちの姿に感動した。今日でお別れなのだと思うと寂しくて、涙がこぼれそうだった。
彼は何とか泣かないように堪えながら、教卓に両手をつき、最後のスピーチをした。
「みんな、よく成長したな。」
生徒たちは皆うれしそうに話を聞いている。中には、涙をもう涙を流している子もいた。彼もだんだんと熱くなってきて、スピーチに力がこもる。
「いいか、自由に楽しめるのは今しかないんだ!君たちには残るあと一年も、悔いのないよう楽しく過ごしてもらいたい!」
彼は溢れる思いの丈をとことん生徒にぶつけた。そして、最後に次のように締めた。
「この一年、みんなと過ごせて俺は幸せだった!ありがとう!これからも頑張るんだぞ!」
鳴り止まないほど大きな拍手が教室中に響く。彼は、それを聞きながら安堵した。俺はちゃんとやってこれたんだな。そして、これからも生徒に寄り添って努力し続けようと彼は決意した。
拍手が鳴り止み、彼が連絡事項に移ろうとした時だった。
「先生、ちょっと」
遂にこの時が来たか。彼が振り返るとそこには学級委員の石川が色紙を抱えて立っていた。
「先生、一年間ありがとうございました。これ、みんなの気持ちです。受け取ってください。」
「石川、みんなもありがとな。」
彼は身を固くしながら、その色紙を受け取った。そして、息を飲んでゆっくりと色紙を見た。
『100円』
彼は驚愕した。嘘だ。そんなはずない。こんなに頑張って、生徒たちの感触もいいのにこんな安いはず......。
その時だった。ガラッとドアが開き、教頭が教室に入ってきた。
「教頭先生、違うんです。これは。」
「笹倉先生、残念です。君はよく頑張ってくれたのですが。」
彼はみるみるうちに青ざめた。つい数分前に抱いていたあの達成感は一気に消え失せ、彼はその落差に耐えきれず言葉を失った。
「笹倉先生、本日××年三月二十日をもちまして、100円で売却となります。話がありますから、至急校長室まで。」
教頭が言い終わると、ガラガラッと前と後ろの二枚の扉が勢いよく開き、体育教師の中原と新島が彼の腕を掴み、教室の外へと連れ出す。
「おい!お前ら!どうしてだ。どうしてだよ!楽しんでたじゃねえか!なめやがって。俺は......俺がどんだけお前らのために......。クソがっ!」
なすすべなく引きずられていく彼の声が教室中にうつろに響き渡り、ガラガラという音とともにまるでノイズキャンセリングされたかのようにパタっと聞こえなくなった。
次の瞬間には、もう教室は活発な笑いに包まれた。その笑いはこの一年で発されたことのないくらい、快活で明るい爆笑だった。
(*)
桜はもう散り始め、大型連休が迫っている昼休み、教室には数人の女生徒が残って噂話をしていた。
「あの先生、安すぎて講習場おくりになったらしいよ」
「え、やばっ。もう一生出てこれないじゃん」
「かわいそう〜。まあ、いっか。アイツ『楽しめ』ばっかで授業全然進まなかったし。こちとら受験なんだっつーの。」
「ほんと最悪。売り値も100円だしさ。安すぎてみんな泣いてたじゃんね。ま、私たちがつけたんだけど。そのせいでもっとしょぼい先生しか買えなかったのほんと無理。」
「まあ、結果的によかったんじゃない。おかげでペットが手に入ったんだし。ね、先生?」
そう言ってニヤリと嗤う少女の手には赤いリードがつながれ、その先には同じく赤い首輪をつけ、舌を出しながらハッハッと言っている定年間近のかつて教師だったものが這いつくばっている。
「さっ、早く授業はじめてよ。真面目にやってね。『楽しむ』とかそういうのいらないから。」
その教師のような何者かは、四つん這いのまま、ただ用意された原稿を必死に読み上げていく。
「おい豚、ちゃんと読めよ。講習場おくりにするぞ。」
「ごめんなさい、安売りしないでください。」
「あっはは、去年まであんなにいばってたのにね。いい気味だわ。あー、『先生売買』ってほんと最高。これからもよろしくね、先生。」
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