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【ショートショート】インターホン

「ピンポーン」
やっぱり、今日もか。もう、勘弁してほしい。
「......かえ.....し.....」
何を言っているのかよく聞き取れない。いつもそうなのだ。ただでさえ、くぐもった声なのにかすれていて、何だかとても遠くから聞こえる気がする。
「ああ、もう、ほんと迷惑。何時だと思ってんのかな。」
時計を見ると、案の定、深夜の2時を回っている。まったく非常識な人間がいるものだ。こんな時間にいたずらなんて———。

はじまりは3日前だった。大学の課題に追われながら、うとうとしていると、突然インターホンが鳴ったのだ。
「誰?こんな時間に。」
すると、インターホンから「......か......」とかすれた声がかすかに聞こえた。
流石に怖かったが、正直課題が進まなすぎてそれどころではなく、私は酔っ払いでも間違えたんだろうと思い直し、その日は大して気にもとめなかった。むしろ、眠気も覚めて課題に集中できた分感謝すらしていたくらいだ。

次の日、また私が課題をしていると、「ピンポーン」とインターホンの音がした。
「......か......し......」
今度は昨日よりはっきり聞こえる。心なしか、声が近づいている気がした。それでも、まだ何を言っているのかは分からなかった。
私は少し気味が悪かったので、勇気を出してインターホンを覗いてみた。けれども、そこにはもう誰もいなかった。酔っ払いにしては逃げ足が早い。
しかし、悪質ないたずらだ。私は次第に恐怖よりも苛立ちが勝ってきて、その日はイライラして寝付けなかった。

そして、今日、またインターホンが鳴った。今日こそ、犯人を捕えないと。私は急いでインターホンに向かった。
でも、画面には誰も映っていない。おかしい。すぐに見に来たはずなのに。いくら何でも逃げ足が早すぎる。
その瞬間、私の中の苛立ちが少し弱った気がした。忘れていた恐怖が立ち返ってくる。私は逃げるようにして布団を被った。布団の中では、鼓動がいつもより激しく、うるさいほどに鳴っていた。

(*)

あれから一週間。私はもう限界だった。あれからもずっと、毎日同じ時間にインターホンは鳴った。
4日目、5日目と私はしっかり画面を確認した。鳴ってから見に行くんじゃなく、鳴る前から待機していた。インターホンが鳴る。その瞬間、私はこの目で画面を見ていたのだ。それでも、画面には何も映らなかった。
そして、決まってその後にはあの声が聞こえてくる。6日目には、「お......かえ......き......した」くらいはっきりと聞こえるようになった。明らかに声が近くなっていく。それからは怖くて、耳栓をしたので、声はそれ以来聞いていない。
それでも、いくら耳栓をしようが、インターホンは聞こえてきてしまう。もうノイローゼになりそうだった。

「琴音、ちょっと今日泊まってもいい?」
私は同じゼミの琴音にそう頼んだ。
「あー、ごめん。今日うち親戚泊まりに来ててさ、ちょっと厳しいかも。」
「そんな、それって、その、どうしても、ダメかな?」
「うーん、きついなあ。てか、珍しいね。ユウが泊まりたいなんて。なんかあったん?」
「うん、ちょっとね......」
私は琴音にすべてを話した。
「え、それやばいね。」
「でしょ?ちょっと、一人じゃ怖くて......」
「うーん、そしたらさ、アタシが行ってあげるよ。ちょっと気になるし!」
「え、でも、悪いよ。」
「いいっていいって。よし、行くよ!」
そう言うと、琴音はサッと立ち上がり、何だか楽しそうに歩いて行ってしまった。
「琴音!そっち反対!」
「えっ!うそ!早く言ってよー」
「アハハハッ、ほんと先走り過ぎだよー!」
「琴音が遅すぎるんだよ。さあ、早く部屋行くよ。」
琴音は道もわからないのに、どんどん歩いていく。そんな琴音の背中は、何だかいつもより大きく見えて、頼もしい気がした。

(*)

「着いたよ。あがって。」
「オッケー。靴脱ぐよね?」
「何言ってんの。当たり前でしょ。」
「あははっ、ごめんごめん。」
「もうっ」
怒ったフリを見せながらも、私は琴音に感謝した。正直、今ここにいるのも怖い。そんな私を気遣って、何事もないかのように琴音はあえてふざけてくれているのだろう。私は、琴音の優しさが身に染みて嬉しかった。
「琴音、ありがとね。」
「ん?」
「いや、一緒にいてくれて」
「ああ、いいっていいって。アタシもユウと泊まりたかったしね!」
「ふふっ、本当に優しいなあ琴音は。これなら、インターホンが鳴っても怖くなさそう。」
「あ、そうだ。インターホンってどこにあるの?」
「あれ?分からない?ここだよここ。毎日毎日、ほんとうるさいんだから。しかも、画面には誰も映ってないんだよ?おまけに変な声だけ聞こえるし。もうどうにかなっちゃいそうだった。でも、今日は琴音がいてくれるから、怖くないね。こんなインターホン、こうしてやるっ!えいっえいっ!」
琴音といると、何でもできる気がしてくる。インターホンがなんだ。もう、何だって怖くない。そうだ、今日こそ犯人を捕まえてみようかな。私がインターホンを見張って、琴音がドアをすぐ開けて、捕まえて......。何だか、楽しくなってきた。
私は満面の笑みで琴音の方を見た。琴音もきっと一緒にふざけてくれるはずだ。

しかし、振り返った先の琴音の顔は、一切笑っていなかった。
「......琴音?どうかした?」
「......」
「琴音?大丈夫だよ!私たち二人なら、インターホンなんて怖くないよ!犯人とっ捕まえちゃおう!」
「......ユウ、さっきから何を言ってるの?」
「え?だから、インターホンを......」
「インターホンなんて、この部屋のどこにもないじゃない」
「......え?嘘、そんなはず———」
振り返ると、そこにはビリビリに破れたカレンダーが一つかかっているだけだった。
「......え、どういうこと?インターホンは?」
「ないんだよ、最初からインターホンなんて!」
「そんなことないよ!だって、毎日、音が」
「目を覚ましなよ!ユウ!幻聴なんだって!」
幻聴......?いや、そんなはずない。あれは、あの音は確かに毎日響いていた。幻聴なんて、そんなもんじゃ、決してなかった。
「ユウ!しっかりして!ユウ!」
「琴音、違うの、琴音、あれはね、本当にあったの!本当よ!」

「ピンポーン」

「......え?」
「鳴った。この音、この音だよ。」
「そんな、でも、インターホンなんて、どこにもないじゃない。」

「ピンポピンポーン」

インターホンのチャイムが涼しい部屋に、こだまする。あんなにうるさかった部屋。今は、あまりの静けさに、鼓動だけが響いている。
恐怖が、こみ上げてくる。怖い怖い怖い怖い。やっぱり、逃げればよかった。こんなとこ、帰ってこなければよかった。

「ピンポピンポピンポピンポーン」

「ああ、もう何なのよ!しつこいしつこいしつこいしつこい!」
もう限界だ。こんなとこにはいられない。逃げよう。何としてでも。
ドアの先に、何がいようと関係ない。大丈夫逃げられる。琴音と一緒なら。何でもできる。
「琴音、一緒に逃げよう!」
「......」
「琴音!早く逃げ......琴音?どこ?ねえ、どこなの?返事して!琴音!」
さっきまであんなに騒いでいた琴音が、私を守ってくれていたはずの琴音が、どこにもいない。部屋をどれほど見渡しても、隣にいたあの温もりは、一切の痕跡を残さず、消えてしまった。
「嘘、嘘でしょ琴音」
私は玄関に走った。靴、靴があるはず。琴音の脱いだ靴が、まだ温もりを持ってそこにあるはず......靴がない。

どういうこと?琴音はどこに消えたの?琴音は一体......琴音?

琴音って?そもそも、琴音なんて友達いたの?全部、私の妄想?いいや、そんなはずない。だって琴音は同じゼミの......。
「嘘、嘘よ」
私は机をひっくり返した。引き出しも、本棚も全てのものを出した。しかし、どこにも大学の教科書は見つからなかった。

「どこ......どこからなの?どこからが本当?琴音はいない?私は大学に通っていない?なら課題は?インターホンは?あのかすれた声は?」

その時、激しい頭痛が襲った。
「うっ、ああっ、くっ」
記憶がどんどん蘇ってくる。そうだ。私は、そもそもユウなんて名前じゃない。琴音なんていなかった。だって、私が琴音だもの。

そして、私は大学になんか行っていない。だから、課題なんてそんなのあるはずがない。

本当の私は、どうしようもなく根暗で、馬鹿で、醜くて、貧しくて、そんな自分が耐えられなくて私はユウという人格を生み出し、本当の自分を理想化して親友に仕立てて、まるで大学に行って幸せに過ごしているかのような錯覚をしていただけだったんだ。

思い出した。すべて思い出した。私は、どうしようもない、根暗で、馬鹿で、醜くて、貧しい、クズだ。

全身の力が抜ける思いがした。頭はまだ割れるように痛い。視線の先の壁には、当然インターホンなどなく、そこにはビリビリに破かれたカレンダーがひっそりとぶらさがっているだけだった。
もう、ダメだ。今度こそ、本当の本当に限界だ。

私は、もう、いられない。

軋む身体を引きずり、ゆっくりと玄関に向かう。ここは何階だっけ。まあ、何階でもいい。低かったらもっと高いところに行こう。それだけの話だ。

ドアノブに手をかける。心なしか、いつもより軽い気がした。

ドアを押す。外の空気が冷たく肌を刺す。

静かだ。鼓動の音も、もう聞こえない。

ドアを開くと、目の前には手に余るほど雄大な世界が広がっていた。

一歩、また一歩、足を踏み出す。柵を超え、ヘリにたつ。そして、最後の一歩を踏み出すその時、耳元でかすれた声がはっきりと聞こえた。


「おむかえにきました」

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