目が光る(12)

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医務室から10分ほど歩いた所に、治療場はあった。

外側は白塗りのコンクリートに囲まれていて、中央の雛壇のような小階段を上がった先にある両開きの扉はあせた黄緑色をしており、ところどころメッキが剥げてさびた鉄が剥き出しになっている。どこか既視感のあるその外観は、まるで学校の講堂のようだった。

時計を見ると、13時を回っている。治療開始の時間はとっくに過ぎていた。それにしては、異様なまでに静かである。

「あの、治療ってまだ始まっていないのでしょうか」

天宮はさも当然であるかのような口調で答えた。

「いや?はじまってるわよ。」

「それにしてはあまりに静か過ぎる気がするんですが」

「まあ、見ればわかるわ。ついてきて」

天宮は階段を上ると、寄りかかるようにして扉を押した。重い扉がゆっくりと開いていく。

天宮に続くようにして扉をくぐると、そこは禅室だった。

中では50人ほどの人が背中を向かい合わせになって2列に並び、目を瞑りながら座っていた。

なるほど、座禅である。だから、あんなにも静かだったのか。

理解したような顔の彼を見て、天宮はようやく一息ついたような心持ちになった。

「ね、見れば分かったでしょ」

天宮の皮肉めいた言葉は、追い討ちのように作用し、彼の心を暗くした。確かに、天宮の言う通りである。百聞は一見にしかずと言うが、見た方が理解が早いのは間違いない。彼は無駄な手をかけさせてしまったことを恥じた。

しかし、同時に拭い切れない憤りが湧いてきたのも事実であった。別に何もそんなに引き伸ばさなくてもよかったのではないか。もっと早く、簡潔に、基本的な説明をしてくれさえいれば、彼はひとまずは満足したはずだった。

それすらしようとしないのは、明らかに天宮の怠慢であり、彼だけが責められるのは納得がいかなかった。そもそも、分からないことを知ろうとするのが、どうして咎められなければいけないのかということについては、彼は全くその答えを持たなかった。

彼はそのくすぶりを何とか心のうちに押し込めようとしたが、天宮はそれを見逃さなかった。彼の目が一瞬、わずかに光を強めたのを天宮はしっかりと目にしていた。

しかし、天宮は何も言わなかった。否、あえて言わないようにした。そして、他の患者たちの邪魔をしないよう、声を潜めて説明をはじめた。

「これが治療の基本よ。慣用句病の根本は肥大化した性質が症状として肉体に支障をきたすことにある。さっきは言ってなかったけど、これって要は精神の一部が肉体と融合して分離した状態にあるってことなのよ。だから、その分離した精神を統一するのが最終目標ってわけ」

「だから、座禅なんですね」

「そうよ。でも、いきなり統一しようとしちゃだめよ。症状は意識すれば意識するほど酷くなるもんなの。だから、訳もわからず精神統一だけに集中しちゃうと、結果的に症状ばかり意識しちゃって、かえって逆効果だわ。そうならないために、3つの段階を踏む必要がある。」

「3つの段階?」

「そうよ。3つ目は当然精神統一だけど、そのためには自身の性質をコントロールする必要があるわ。でも、最初からコントロールはできない。じゃあ、それをできるようにするには、どうすればいいか。自分を知るのよ。自分の性質の何がいけないのかを突き詰めるの。それがあんたが今からやる第一段階の治療よ。」

自分の性質の何がいけないかを突き詰める。彼には天宮の言っていることがよく分からなかった。

「何がいけないのかってもう分かってるんじゃないですか」

「ふうん、大きく出たわね。いいわよ、言ってみなさい」

「記憶が確かであれば、僕の性質のいけないところは、注意深すぎるところだと先生はおっしゃったはずですが」

天宮は鼻で笑って、両袖に手を入れ、右の口角だけを上げて嘲笑うように言った。

「ほらね、やっぱり分かってない。口答えする前に、ようく考えることね。さっ、治療治療!時間がもったいないから、早くあんたも始めな」

そんなことを言われても、彼にはどうすることもできなかった。せめて何が分かっていないのか考えるための、手がかりが欲しかった。

「そんな、先生、教えてください。僕は何がいけないんですか」

「だから、それを考えろって言ってるんでしょ。大体ね、人に教えられちゃ意味がないのよ。これは自分で気づいて、真から納得しないと効果を発揮しないの。あんた、考えるの得意なんでしょ?大丈夫、大丈夫、考え続けりゃ分かるわ。ま、いつになるかわかんないけど。」

そんなものなのだろうか。彼にはうまくいく未来がちっとも見えなかった。一切の見当がつかない彼にとって、それは真っ暗な洞窟で一つしかない宝石を探し出すよう言われているに等しかった。

彼は動けなかった。どう動かばいいか分からなかったのである。身体だけではなく、頭もまったく働かなかった。

天宮は微動だにしない彼に、追い討ちをかけるように言った。

「なにつったってんの。そんなことしてたってはじまらないわよ。じゃ、あたしはもう行くからさ、せいぜい頑張りなよー」

スタスタと歩いていく天宮を見送る彼の目はいっそうの光を放っていた。しかし、障子から多量の陽光の差し込む昼の禅室は明るく、彼は全くそれに気がつかなかった。

そして、彼は仕方なく座禅を組み、目を瞑った。その瞬間、目の前が真っ白に瞬き、彼はまた意識を失った。

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