目が光る(14)
少年はしばらく口をあんぐりと開けたまま放心していたが、急に我に返ったようにかぶりを振って、勢いよくカーテンを閉めようとした。
「ちょ、ちょっと待ってくれないか」
思わず彼は声をかけた。そのあまりの怯えぶりに、何だか少し傷ついた気がしたのである。自分はそんなにも怖いだろうか。
少年はカーテンを引く手を途中で止めて、カーテンの端から恐る恐る顔を覗かせている。その目はきょろきょろと泳いでいて、彼は一層落ち込んだ。
何とか怖いものではないということを弁明しようとして、彼は軽く咳払いをしてからできる限り優しく、少年に話しかけた。
「えっと、君は昨日食堂で倒れていた子だよね?体調はどうだい。」
「......」
少年は何も言わない。完全に不審がっているようだった。ここで彼は少年の症状を思い出した。
少年の慣用句は、確か「顔から火が出る」だった気がする。すると、この子の性質は「恥ずかしがり屋」なのか。なるほど、どうりでビクビクしているわけだ。初対面の成人男性などに声をかけられたらたまったもんじゃないだろう。
彼は自らの無神経さを恥じた。症状なんて分かっていたはずなのに、少年には酷なことをしてしまったようである。
その時、彼は自分が少年を見下していることに気がついた。内心的にではない。物理的な話である。彼はベッドから起き上がり、移動しようとしていたので、当然立ち上がっていた訳なのだが、少年はベッドに腰掛けながらカーテンを開けていたようで、彼は自然少年を見下ろす構図の中に組み込まれざるを得なかったのだった。
自分が少年の身であれば、知りもしない成人男性に見下ろされながら、突然声をかけられたら、そりゃあ驚くだろうな、と彼は思った。そして、彼は膝を曲げて、腰をかがめた。
敵意がないことを示すために、まずはじめにしなければならないのは、目線を合わせることである。彼がこのことに気がついたのは会社間の取引の中でであったが、それはビジネスでも、プライベートでも変わらない。人間どうしが対等にコミュニケーションをとるには、同じ高さでものを見ることが、何より重要なのだと彼は経験的に知っていた。
顔をのぞき込むと、少年は眉をひそめていて、まぶたは上下ともにピクピク動いている。口びるはうっすらと紫がかっていたが、頬はピンクを通り越して赤かった。
「怖がらせたようで、申し訳ないね。君、名前はなんていうんだ。」
「......」
少年はまだ何も答えてくれない。それどころか、目も合わせてくれないようだ。流石に、まだ心を開いてくれないか。
「ごめん、怖いよな。こんな知らないおっちゃんに話しかけられても。まあ、とにかく、元気そうでよかった。じゃあ、俺は行くから、治ったらまたな。」
彼はこれ以上は少年が気の毒だと思い、立ち上がった。すると、少年の方からかぼそい声が聞こえてきた。
「......ました」
「ん?なんかいったか?」
「あ、あの、ありがとうございました。」
お礼?彼には心当たりがなかった。食堂での騒ぎの中、彼は人が変わったようにテキパキと指示を出す天宮の近くでただオロオロとうろたえだけである。何も感謝される覚えはない。
「えっと、俺、なんかしたかな?人違いじゃない?」
「い、いえ、お、岡田さんで合ってると思います。」
「そっか。でも、俺なんか君にしたかな?ちょっと覚えてないんだけど。」
すると、少年は深く息を吸ってから答えた。
「き、昨日、あ、天宮さんと一緒に、ぼ、僕を運んでくれて、ありがとうございました。」
少年の声は、さっきたくさん吸い込んだ息は一体どこへ消えたのかと思うほど細かった。目の前にいるのにも関わらず、かろうじて聞き取ることができるかどうかというくらいである。それゆえに、とりあえず音に集中した頭がその言葉の意味を理解するまでに、多少のラグが生じ、彼は少し間を置いてから驚いた。
「君、運ばれた時のこと覚えてるの?」
あの時、少年は顔の原型も保てないほどの大やけどを負っていた。そんな状態で意識を保てたというのだろうか。
「は、はい、ぼ、僕顔に火がついても、だ、大丈夫なんです。か、顔はぐちゃぐちゃになりますが、し、死なないみたいで。」
驚いた。そんなことがあるのか。業火に焼かれながら、意識はそのままなんて地獄も地獄じゃないか。彼は少年の苦しみを少し想像するだけで、堪えがたい気がした。
天宮の言葉が蘇ってくる。
「ね?あんたは運がいい方でしょ?」
彼女の言う通りである。所詮自分は目が光る程度で、不用意に目を瞑ったら意識を失ってしまうということはあるが、それ以外は人目につくという点以外特に不便はなかった。目を瞑れないという問題だって、注意さえしていれば大したことはないし、人目につくということも、例えばこのような俗世から離れた環境ならば目立たない。正直、普通に生きるだけなら、容易なのだ。
けれど、少年は違う。この子は自分にもどうしようもない性格のせいで、毎回地獄のような苦しみを味わわなければならないのである。しかも、彼の性質はただシャイであるというそれだけである。何もこんなにひどい罰を受けなくてもいいじゃないか。彼はこの少年の不幸な境遇を思うと、どうしようもなく胸が痛んだ。
そんな彼の悲痛な表情を読み取ったのか、少年は明るさを繕いながら言った。
「あ、あの、し、症状はもう慣れました。だ、だから、あまり心配しないで、だ、大丈夫です。」
「でも、さぞかし、苦しいだろう。」
そう同情する彼に帰ってきた言葉は意外なものだった。
「い、いえ、あ、ごめんなさい。ぼ、僕の説明がよくなくて、あ、あの、い、痛くはないんです。」
「え?痛くないのか?」
「は、はい、ど、どういう理屈か知らないんですけど、も、燃えても痛くはないんです。」
彼は拍子抜けして気分だった。同時に、あれだけ同情してみせた自分のおこがましさが、なんだかとても恥ずかしい気がして、彼の方こそ顔から火が出そうだった。その気恥ずかしさから、彼はなんとか表情を取り繕って、話題を逸らすことにした。
「そうなんだ。なら、心配しなくても大丈夫そうだな。そしたら、ここで受けた治療ってのは顔の皮膚を治しただけなのか?」
「は、はい、し、識名先生が治してくれました。」
識名。その名前を聞いた途端、彼はあの時に天宮に保留させられた質問を思い出した。彼はその疑問を少年にぶつけてみることにした。
「その治療ってのは、どうやるんだ?」
これで初めてこの部屋を訪ねたあの時の疑問が解けるはずだ。一体、識名はどのようにしてあのひどい傷を癒したのだろうか。少しの間を置いて、少年は口を開いた。
「ご、ごめんなさい。ち、治療の時の記憶は、な、ないんです。」
治療の時の記憶がない?運ばれる時の記憶はあったのに?
「は、運ばれる時の記憶はあったんですけど、こ、このベッドに寝てしばらくして、だ、段々眠くなってきて、意識が......」
なるほど。麻酔でも使ったのかもしれない。考えてもみれば当然だ。やっていることは外科手術なのだから、麻酔を使うに決まっているし、術中に患者に意識などあるはずがない。なんておかしな質問をしたのだろう。
ここに来てから、普通ではあり得ないことが起きすぎていて、感覚が麻痺してきている自分に苦笑し、彼は今自分がやるべきことをもう一度考え直した。
何をするはずだったのだろうか。朝起きて、みぞおちを打ち、手紙を......。そうだ、修行。修行が始まっていないか、時間を確認しなければならないのだ。
「そうか、変なことを聞いて悪かったな。まあ、とにかく無事で何よりだ。じゃあ、俺は修行にいかないとだから、もう行くよ。邪魔したね。落ち着くまでゆっくり休んで。また、会おう。」
彼は口早にそう言い、デスクの上にある時計に目をやった。すると、時計は七時五十分を指している。まずい、修行まであと十分しかない。ダッシュで行けば間に合うか?
その時、彼は自分が修行場への道をよく知らないことを思い出した。かすかに、昨日の記憶はある。けれども、自身はない。誰か道案内が欲しい気がした。
そこで、彼は名案を思いついた。そうだ、少年も修行のはず。ということは、少年についていけば場所がわかるんじゃないだろうか。
彼は少年の方を振り向き、こう尋ねた。
「もう修行始まるんだけど、よかったら一緒にいかないか?俺、まだ来たばっかで道がよく分からないんだ。どうか、よろしく頼むよ。」
「......」
何も答えない少年を見ていると、シャッとカーテンの音がした。
「い、いやだ、し、修行なんて、い、行くもんか......」
まさかの返答に彼は口をあんぐりと開けながら、閉じたカーテンをぼーっと眺め、ハッと我に返って、修行場に急いだ。
焦りながら、横目でチラッと見た時計はすでに七時五十五分を過ぎていた。
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