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【エッセー】書く直前に題材を消失した者の末路

<二転三転>

今日は、とある方の、とある投稿について、物思いに耽る一幕があったので、引用させていただいて、自分なりに考えをまとめようと思っていたのだが、状況が変わってしまったようだ。

三浦祐太朗さんのことは今日初めて知った。たまたま「Threads」を開いたら、たまたま投稿が目に留まって、たまたま気になったから、たまたま今日の題材にしよう、と決めていた。それ以上でもそれ以下でもない。

注釈

これだけだと、「えっ?どういうこと?」「特定の方に対して配慮にかける投稿ってどんな内容?」と思わせてしまうだろうが、投稿主の方が削除した以上、僕の口からは何も言うことは出来ない。

情報化社会と呼ばれる現代においては、炎上騒動等を受けて、投稿を削除したとしても、スクリーンショットを撮影していたりして、結局広まってしまう(デジタルタトゥー)ことも多数見受けられるが、それを僕は良しとはしていない。

奇しくも、メモ代わりに(今日の題材として使用するための備忘録として)、軽い炎上状態(というか物議を醸したと表現した方が正しい気もする)を起こしていた投稿のスクリーンショットを行なっていたが、これをUPするのは人としてどうなのか、と判断して、丁重に削除させてもらった次第である。

なお、僕以外の誰かが、本人が削除した投稿を保存していて、「実はこんなことを投稿して炎上していたんだけど~」などと拡散行為に及んでいる可能性も無きにしも非ずだが、その件に関しては、僕はもう、首を突っ込むつもりはない。

・・・というわけで、内容に直接触れる気はないのだけど、だったら今日は、どうやって話を進めていこうか?


<SNSの仕様>

んじゃあ・・・、とりあえず、ココに言及してみようか。

今回、”たまたま三浦祐太朗さんの投稿が目に留まった”わけだけど、これって、他のSNSでも、同様のことが起きるか、と言われたら、全部が全部、そういうわけではないよなー、とは思っていて。

「Threads」って、アプリを開くと、見知らぬ人のバズッた投稿みたいなものが、タイムライン表示される仕様だと思うんよね。で、これって、「Instagram」の場合だと、また違うんだよ。こっちは、フォローしている人の投稿がタイムライン表示される。少なくとも僕の場合はそう。もしかして、人によって、違ったりするのかな?

「Threads」と似た感じだなーって仕様なのが「Tiktok」。これも、アプリを開いた途端、見知らぬ人のバズった動画っぽいのが、いきなり再生される仕組み。今はもう慣れたけど最初はビビった。

慣れるまでは、再生するか否かはコッチに決めさせてくれ~と思ってた気もするけど、「Tiktok」って、そういうアプリじゃないんだろうね。多分。数秒間で、自分に刺さるかどうかを直感的に判断して、刺さったら継続、刺さらなかったらピョーン(下にスクロールすると次の動画が表示される仕様)。あのスピード感は僕は一生慣れることはなさそう。

大学生&大学院生の頃、教育実習で、中高生と接する機会があったけど、ノリが若過ぎて全く会話に付いて行けなかった記憶。話すスピードが速い、まぁそれも確かにあるんだけど、僕の感覚で言うと、「えっ、もう次の話題にうつるの?」「まだその話題途中じゃないの?」ってトコで、「あとさー」「ほんでさー」って、矢継ぎ早に新たな雑談ネタが投下されていくさまを、ただただ眺めることしか出来なかったのは、なかなかの衝撃だったことを、僕は今でもハッキリと記憶している。

余談

<タイムラインの功罪>

・・・で。

SNSによってタイムラインの表示のされ方が違うよね~、って話を展開してきたのだけど、僕に言わせれば、「見知らぬ人のバズッた投稿」よりも「フォローしている人の投稿」が目に入って来た方が、精神衛生上、ずっと良いのだ。

これは僕の持論ではなく、割と良く聞く話だと思うけど、ニュース番組を見てると、ポジティブな話題よりもネガティブな話題の方が取り扱うケースが多くて、見終えた頃には、すっかり気分が重く沈んでしまっている、なんてことがある。だから自分にとって不要な情報はシャットアウトした方が良いと。

その話と、今回の「見知らぬ人のバズッた投稿」は、ちょっと似通る点があると僕は思ってる。もちろん、「あぁ、この投稿、見れて良かったなぁ~」って思う時も、無くは無いけれど、どちらかといえば、「知らぬが仏だったなぁ…。」って感じて、そっと離れるケースの方が、多い気がする。

じゃあ、今回はどっちだったのか、と言われれば、これは珍しいケースで、どちらでもない、あるいは、考える機会を与えてもらった、という意味で、見れて良かった、ってタイプの投稿で、是非を問うのが難しいなぁ、だからこそ考え甲斐があるなぁ、って感じだった。なので、ピックアップして、一人、静かな空間で、沈思黙考したかったのだけど・・・、まぁこればっかりは仕方ない。投稿主さんの意向に沿うのが礼儀というものだろう。

とはいえ、日頃から「キャパオーバー」が口癖みたいになっている僕としては、本当に必要としている情報のみを受信したい、という欲求が、おそらく他の人と比べて、多少なりとも強いタイプのはずだ。そんな僕にとっては、「見知らぬ人のバズった投稿」は、情報処理に要するエネルギーの総量を増やされる、という意味においては、あまり歓迎していない、のが実情なのである。

となると、「じゃあ見なけりゃいいじゃん」という結論に達するわけだが、僕自身、目に入らないようにしたいのだけれども、「SNSの仕様」で述べた通り、アプリを開いた時点で目に飛び込んで来てしまう仕様らしく、「自分から見に行っている」というよりも、「半強制的に見させられる」といった感覚に近いのだ。これが僕としてはいかんともしがたい。

僕個人の要望を端的に述べさせてもらうと、アプリを開いたら、まずは自身のアカウントのプロフィール画面に飛んでいただきたい。そこから各ユーザーによって操作をお任せする、みたいな。意外とそういうアプリって、有りそうで、無い。ほとんどのSNSが、”他の人はこんな投稿をしています”と言いたげな画面を表示してくる。


<noteの仕様はいいぞ>

考えてみれば、今こうして書いている「note」もそうだ。アプリを開くと「フォロー中」の欄には、自分がフォローしている投稿が表示されるが(これは何も問題無し)、それとは別に、「今日のあなたに」という欄も設けられており、見知らぬ人の投稿が表示される。

ただ、「note」に関しては、さほど問題視していなかったし、むしろ、歓迎している部分もあった。なぜなら、「今日のあなたに」に表示される投稿は、僕好みの記事が結構多いからだ。事実、ソコに表示された記事を読んで、「この投稿者さん良い文章書くなぁ…。」と思って、フォローに至った人も、何人か居ると思う。

というのも、「note」の「今日のあなたに」は「見知らぬ人の投稿」が表示される点は同じだけれども、「バズった投稿」というよりも「あなたはこういう記事を読みたいんじゃないですか?」とオススメされているのだ。ココに大きな違いがある。

「今日のあなたに」に表示される記事のタイトルは、とっても、平々凡々だ。断っておくが、これは誉め言葉である。今、パッと開いて、目に入って来た記事のタイトルは「毎日暑いね」だった。うんうん。こういうのがいいんだよ。こういうのが。

僕は、何気無い日常の1コマを切り取って、筆者が思索する文章を読みたいのだ。僕の好みの文体か否かを見分けるポイントは非常に分かりやすい。”追体験出来るか否か”。この一言に尽きる。

あっ、そうそう。「追体験」と「共感」は、似ているようで、ちょっと違うので、勘違い無きよう。確かに、ニアリーイコールのパターンもあるんだけどね。イコールの意味で受け取られて、「分かる~!」って共感された時の、「あっ、えっ、とっ、どないしよう…。」って困ったことが何度かあるので、面と向かって「追体験」ってワードを使いづらくなっている自分が居るのは内緒。


<今日はこれくらいで許してやる>

そもそもの出発点で頓挫した形なので、支離滅裂な文章になるのも致し方ないと言えよう。

僕はよく「書きたいことはあるけれどうまくまとめられない」って感覚に陥ることがあるのだけど、今日に関しては「書きたいことはあるけれどソレを書こうとすると投稿主に迷惑が掛かってしまう」だから。こんなパターンは、毎日、取り留めのない文章をUPしてきた僕も、初めての経験だ。そういう意味では、良い一日になったと言えるのかもしれない。初めて記念日。イエーイ。

”書きたいことはあるけれどうまくまとめられない”

この一文を書いて、フッと、思い出した太宰作品があるので、その一文を引用して、今日は終わろうと思う。

「私は、こういう随筆は、下手なのでは無いかと思う。」と書きはじめて、それからまた少し書きすすめていって、破る。「私には未だ随筆が書けないのかも知れない。」と書いて、また破る。「随筆には虚構は、許されないのであって、」と書きかけて、あわてて破る。どうしても、言いたい事が一つ在るのだが、何気なく書けない。

▶どうしても、言いたい事が一つ在るのだが、何気なく書けない。

この感覚、メチャクチャ分かる。「何気なく」というのがミソなのだと思う。なぜ「何気なく」書けないのかと考えると、ヘドロのような感情が、ワラワラ出て来て、”自己嫌悪”という名の沼に落ちるのであった。

そうしていると、書く気力すら失って、自暴自棄な行動を取ったり、現実逃避に走ったり・・・、まぁもう、思い出すだけで吐き気を催すような過去が、僕には、山ほどある。

「書きたいことが無くても書き始めればスラスラとペンが動くものだ」などと謳う文章も、僕は割と見かけることがある。その視点も交えながら、一つ、記事にしてみたいと、たった今、思い付いた。

明日の題材になるかもしれない。

知らんけど。

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