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【3313字】2024.07.12(金)|大谷翔平が手袋の土を払った仕草が物議を醸しているらしい

大谷は1回表、大谷は二塁打を放った後、左手のグローブを外して、立ち上がりダグアウトの方を見つめながら、右手を股間付近で前方へ、また後方へと激しく動かした。大谷自身は手袋に付いた土を払った“意図せぬ行為”だったのかもしれないが、米国のMLBシーンには誤った印象を与えることとなった。

さらにネット上では米MLBファンの反響が止まず。「侮辱的だ…」「クレイジーなことをしているのか、それともただの“いたずら”なのか、本当に混乱している」「日本では何か別の意味を持つのでしょうか?」と批判的なメッセージや困惑するファンの声が挙がるなか、人格を否定するコメントまで噴出する事態となった。

しかし一方ではそうした声に対し、「みんな、落ち着いて、彼はこの国に来たばかりだし、手袋についた土を払い落としていただけだよ」「グローブから土を払い落としているだけ…」「下品な考えに呆れる」といった大谷を擁護するコメントも寄せられるなど、スーパースター大谷翔平のプレー中の“行為”を発端に、動揺が広がっている。

リンク記事|引用文

<所感①>

「日本では何か別の意味を持つのでしょうか?」という一文に笑った。

うーん、そうだなぁ…。動画は確認させてもらったけど、あんまり、見た覚えないけどね。ああいう仕草。シーズン中は毎日のように野球中継見てるけど。主に日本のプロ野球と高校野球を。でも、もしかしたら、ホントはやってるんだけど、カメラで抜かれてないだけかもしれないね。あと、カメラで抜かれていたとしても、気にしないだろうから(動画で見た時も「あぁコレが物議を醸しているのか…。」と感じただけだった)、認識に上がっていないだけの可能性もある。

少なくとも、こういう類いで、日本のプロ野球が、物議を醸したケースは無いんじゃないかなぁ。そもそも「侮辱行為」で、物議を醸すっていうのが…。いや、まぁ、無いことはないか。「ストライク・ボール」の判定とか。ジェスチャーに対して、審判に対する侮辱行為と見なされて、物議醸すとか。佐々木朗希が確か・・・。

これね。話題になったね。すっごく。まぁ色んな状況が重なったと思うんだけど・・・。完全試合を達成して間もない頃だったりとか。「令和の怪物」というネーミングが全国区になっていたりだとか。こういう表現は語弊があるかもしれないけれど「行為」よりも「選手」にフォーカスされているような気がしてならない。「何をやったか」よりも「誰がやったか」の方が重要というか。現実問題、メディア的には、そっちの方が重要な気がする。下世話な話を展開したいわけではなくて。何でもそうじゃん。人が集まるコンテンツを発信していかないと。商売事なんだから。

”判定に不服そうな立ち居振る舞い”という視点に立って考えれば、1試合見るだけでも、結構、あるからね。バッターもピッチャーも。「えっ、今のがボール?」とか。「えっ、今のがストライク?」とか。そりゃあ本来は褒められたもんじゃないんだろうけど。記事の文中にも出て来る伊藤大海のコメントが真実を言い表しているんじゃないかと感じる次第である。

「たしかに、相手のある事で相手を不快にさせたり、必要以上のリアクションは控えるべきだと重々承知ですが…我々は無感情のピッチングマシーンではない。命懸けの一球一球に感情が入るのも当たり前で、それが自然と出てしまうことも多々あります」

リンク記事|伊藤大海「Twitter」|引用文

1回表、大谷はライトへのヒットを放つと、2死一塁の場面で二盗に成功。直後に左手のグローブを外し、股間付近でパタパタと土を払う仕草を見せた。この行為が“卑猥で侮辱的なジェスチャー”としてSNSで瞬く間に拡散されたほか、米メディアも紹介するなど大きな騒動となった。

一連の動作について、昨年まで10年以上マイナーリーグの審判を務めてきた松田貴士氏はXで見解を投稿。「もちろん当の大谷選手は1000%悪気はありませんが、手袋を払うこの仕草、海外では挑発的かつ卑猥なNG行為」と紹介。さらに「何も知らない人からすると大谷選手が盗塁を決め、キャッチャーに対し『10年早いんだよ!』と言っている感じです」と海外での受け止め方についても語った。

そして、かつてドイツのサッカーリーグ「ブンデスリーガ」で2017年、相手指揮官に向かって同様のジェスチャーを行なった選手が極めて重い処分、2万ユーロ(当時約267万円)の罰金に科されたとの記事を引用し、日本と海外での受け止めの差について強調した。

もちろん大谷本人は意図せずに行なった行動だったが、アメリカを中心に物議を醸している今の状況を見ると、知らなかったでは済まされない、処分が科されてもおかしくない重大な侮辱行為だった、ということなのかもしれない。

リンク記事|引用文

<所感②>

「手袋を払うこの仕草、海外では挑発的かつ卑猥なNG行為」という一文に引っ掛かりを覚えた。これはつまり「手袋を払う仕草そのもの」が「海外では挑発的かつ卑猥なNG行為」ということなのだろうか。それとも「股間付近で手袋を払う仕草」が「海外では挑発的かつ卑猥なNG行為」ということなのだろうか。記事を見ただけでは判然としなかった。僕の読解力が欠如しているだけかもしれないが。

「読み方がヘン」だとか「解釈の仕方がおかしい」といった文言は、学校で、国語の授業を受けている時から、よく周りから言われていた気がする。あとは道徳の授業なんかもそう。いや、むしろこっちの方が、周りから、変な人として扱われることが多かった気もしてきた。いずれにせよ、どちらも、「こういう風に読むのが正しいんです」「こういう風に解釈するのが正しいんです」という、価値観の押し付けを受けている気がしてならなかった。「国語」にも「道徳」にも、興味関心はあるのだけど、学校で受ける「国語の授業」も「道徳の授業」も、全然、楽しくなかった。

特に道徳は苦痛だった。「こころのノート」という教科書を使って授業を進めていくのだが、僕には、大変申し訳ない言い方になって恐縮なのだが、「先生にとっての道徳的な行動」をなぞっていくだけの授業にしか思えなかった。「えっ、それが『道徳』なの?」と思いながら聞いていた気がする。

一方では、「国語の教科書」や「こころのノート」を、休み時間などに、パラパラッとめくって、たまたま認識に上がった箇所に目を通して、文章を読んでみると、考えさせられる一文に出会えたり、「ハッ!」と気づきを得られる一文に出会えたり、「なるほど!」と思わず膝を打ってしまうような一文に出会えたりしたものだ。あの感覚が僕は好きだった。けれども授業が始まると好きじゃなかった。この矛盾に僕は大変苦しんだものだ。


<まとめ>

「大谷ハラスメント」という言葉を思い出す自分が居た。

「所感①」にも記載したと思うが、もう一度、問いたい。今回、物議を醸したこのテーマは、「大谷翔平が行なったから」ではなくて「この仕草自体に大きな問題があるから」ここまで話題になったのかと。

こんな言い方をしては失礼極まりないが、このトピックスに関しては、僕は、「へぇ~そんなことがあったのか」程度のインパクトしか覚えていない。ただただ、大谷翔平ファンでもなければMLBファンでもない僕からすると「また大谷翔平か…。」としか思えないのが、実情である。

下衆の勘繰りをすると「大谷翔平というキーワードを用いればアクセス数が増加するからか?」とさえ思えてくる。逆説的に考えれば、だからこそ「大谷ハラスメント」という用語が生まれたと言えるのではかしら、と。

僕が教職を志している時期があった関係で、現役教員の知り合いの話を聞く機会があるのだけれども、中には「大谷翔平のような人間を目指せ!」という訓示を行なう先生も居るらしい。それを聞いた時は、「おお…。大谷ハラスメント、恐るべし…。」と、戦慄(わなな)いてしまったものだ。具体的には「マンダラチャート」だとか「人生設計ノート」の実践を勧めているのだとか。「まぁツールを紹介する分には良いか…。」と、内心、ホッとしたのも事実である。

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