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【夢日記】おばさんに求愛されて最初は拒否反応を示した僕だったが・・・。

田舎暮らしの体験みたいな感じで、気の置けない友人達と、1週間ぐらいのどかな場所で暮らしていた。ポツンと一軒家に出て来そうな場所をイメージしてもらえると、大きく外れていない気がする。それが、ポツポツと数軒ぐらい建っていると思ってもらえたら良い。

その日、僕が洗濯当番だったのだが、洗濯物をまわした後、干すことを忘れていることに気付いて「あっ!生乾きになってしまう!二度手間になる前になんとかしなければ!」と焦り、夜遅くから、洗濯機がある場所へと駆けて行った。

田舎暮らしということもあってか、洗濯機は、部屋に備え付けておらず、少し離れた場所まで行く必要があった。とはいえ、コインランドリーみたいな場所があるわけではない。日頃から住まれている方々が、共同で使用されている洗濯機ルーム(?)を、御厚意で、僕達も使わせてもらうことになっていたのである。

その洗濯機ルームには、日が出ている間に洗濯物をまわして干すところまで済ませておいて、翌日、乾いた洗濯物を取り込んで、またまわして干して・・・、というルーティンで使っていたので、日没後から、僕達がその場所に赴くことは、今まで無かった。

また、その洗濯機ルームは、僕達のような若者、若者とは言っても三十路手前なのだが、田舎というのもあって、お年を召された方々が多く住まわれていたこともあって、相対的に若者に分類されるという意味で、僕達のような若者が使用することは、無かったのである。

そんなわけもあって、僕がバタバタしながら、洗濯機ルームへと駆け込んだら、同じタイミングでその部屋を利用していたおばさんに「あれっ?」「こんな時間に珍しいねぇ?」と、驚きと笑いが入り混じったリアクションで出迎えられた。

僕は「いやあ、すいません。驚かせて。ちょっと、洗濯物を干すのを忘れてしまいまして・・・。」と、苦笑いを浮かべながら「生乾きの嫌なニオイになる前に干したくて、急いでましてね・・・。」と、独り言のように呟きつつ、確認しようとした。

後ろから、おばさんが「いや~、間に合わんでしょうねぇ(笑)」と、経験則から来るものなのか、軽い調子で僕の微かな希望を打ち砕く発言をしてきたが、案の定、と言うべきか、洗濯物は、生乾きの嫌なニオイがまとわりついてしまっていた。

僕は「もう一回まわさないとダメですよね、これ・・・。」とおばさんに問い掛けると「その方がいいだろうねぇ(笑)」と、やはり軽い調子で応じてきた。僕とおばさんの声の調子が、とにかく合わない。むしろ、狼狽と落胆の色を隠せない僕を見て、ほくそ笑んでいるようでもあった。

僕はそんな違和感を覚えつつ「そうですよねぇ。じゃあもう、ココに居ていいですかね。もう夜でやることもないし・・・。睡眠時間が削られちゃうのが痛いけど、忘れた自分が悪いですもんね(苦笑)」と、独り言のように吐き捨てて、でも、おばさんが同じ部屋に居ることもあって、グチッぽくならぬよう、自嘲混じりで結んでみた。

おばさんは、やっぱり軽い調子で「別に居てもいいけど、それこそやることないんじゃないの?この部屋は雑誌の一つも無いんだから。その間に寝ちゃったら、今度は三度手間になっちゃうねぇ(笑)」と言ってきた。

僕は、おばさんの軽い調子に合わせるように「なんてこと言うんすか。やめてくださいよ(笑)」と返したのだが、僕の、やんわりとした否定がいけなかったのか、おばさんはむしろ、”この若者をもっといじめてやろう”、みたいな、良からぬスイッチが入ったらしかった。

その直感は、外れてしまった方が良かったのだが、どうやら正しいらしかった。おばさんは「そういえば、今、二人きりだね・・・?」と、それこそ軽い調子で言ってくれれば笑って流せるようなセリフを、ココだけは真に迫るような重い調子で、僕に語り掛けてきたのである。

僕の脳内には「マズイ・・・。」「ヤバイ・・・。」という言葉が飛び交っていて、防衛本能を働かせるべき時だと指令を送って来ていることを敏感に感じ取りながらも、金縛りにあったかのように、体が動かなくなっていた。

おばさんは、目に見える状態では抵抗の色を見せない僕を見て、”OKサイン”、と受け取ったのか、それとも、”性本能”、に従ったのか、あるいは両方なのかもしれないが、事実として、僕の眼前まで寄って来て、ほっぺたをツンツンとしてくるなど、軽い愛撫を仕掛けて来た。

僕は、おばさんが間近まで近づいてきて、最初、拒否反応を覚えた。だが、それはあくまでも心の中で起きているだけであって、行動として示すことは出来なかった。なので、”やられるがまま”、になっていた。

だが、その拒否反応は「最初」だけだったのである。

僕は、おばさんと物理的距離が近づいたことによって、女性のことを「体全体ボンヤリと眺める」のではなく「顔をハッキリと認識する」ことが出来たのだが、おばさんは、確かに年を召されてはいるが、”若い頃はモテたんじゃないかなぁ”、と思わせるほどに、美人な方だったのだ。

有名人で例えるならば、現在の石野真子と形容しても、あながち的外れではない気がする。それぐらい美人な方と言えよう。

想像してみて欲しい。石野真子が田舎のおばさん役を演じている姿を。決して浮いている感じにはならないはずだ。田舎特有の、ほのぼのとした空気感に溶け込みながらも、彼女にピントを合わせれば、美人であることに気付いて、ハッとする。目の前に居るおばさんは、まさにそんな感じだったのだ。

おばさんが石野真子似の美人さんであることに気付いた途端、僕の拒否反応は、少しずつ沈んで行った。そして、”やられるがまま”、から、”されるがまま”、に変わって行ったのである。

”やられるがまま”、と、”されるがまま”、とは、目に見える部分では、何ら変わりないかもしれない。だが、僕の心は、明らかに違っているのだ。前者を「拒絶」と形容するのであれば、後者は「容認」と言って然るべきだし、より心情に即するならば「欲情」も含まれていったと言っても差し支えないであろう。

とにかく僕は、自分と倍ぐらいの人生体験を積んできている年齢であろう、と思われる美人なおばさんに対して、身も心も委ねていた。それは疑いようのない事実なのである。

僕とおばさんは、洗濯機が稼働している、”場違いなBGM”、を背に、”二人きりの情事”、に耽っていった・・・。

・・・・・・。

・・・・・・・・・。

やがて、目が覚めた。

起床後の朝勃ちが、いつもの1.5倍ぐらいの逞しさになっていることに気付きつつ、淫夢の内容を振り返りながら、僕は、思った。

「『おばさん』だったら拒否反応を示すのに『石野真子似のおばさん』だったら、むしろ喜んで求めに応じる、それが人間の性(さが)か・・・。」


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