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【4242字】2024.06.27(木)|桜桃忌を肴に、くっちゃべる。(八)

<前回までのあらすじ>

『千代女』に出て来る「和子」の「綴方」(つづりかた|文章作成能力みたなもの)の才能を周りが高く評価した話に紐付けて、小学生時代、ゲームで、ちょっとしたギャラリーが出来るぐらいには場を賑わせていた、そんな話を筆記している途中。「何を昔取った杵柄の如く得意顔で書いているのか…。」というセルフツッコミを入れつつも、『千代女』に惹かれる要素がココに眠っているのだと自らに言い聞かせ、今日も執筆の続きに臨む次第。


僕が小学生の頃って、誇張抜きで、暇さえあれば、ゲームをやっていたと思うの。家に居る時間は、家庭用ゲーム。移動中は、携帯用ゲーム。親が出かける時は、付いて行って、一人でゲームセンターに行って、アーケードゲーム。ホントにそんな感じ。何にも考えていなかった。今が楽しければそれでいいの精神。今も昔もゲームは大好きだけど、社会的責任みたいなものを考えずに、ただただ楽しめる時期は、かけがえのない時間だったんだなぁって、今更ながら考えさせられるというか・・・。

ただ、”今が楽しければそれでいい”って考えは、良いことばかりではなくって。一つのことを、中長期的なビジョンをもって、継続していくことはなかったの。ある程度の段階まで行くと、”まぁこんなもんだろう”と思って、飽きて、また別のゲームに移って、やり込んで、ある程度の段階まで行くと、飽きて・・・。その繰り返し。

当たり前っちゃ当たり前だけどね。ゆうても小学生の頃だったから。あと、何気に大きかったんじゃないかなって思うのは、当時、プロゲーマーって言葉が、今と比べて、幅広く認知されていなかった。自分自身、”ゲームで飯を食っていく”って考えを持ったためしが、一度も無いのよ。本当にそうするかどうかは別の話としてね。選択肢としてあがってこなかったよなー、とは思う。

あと、ゲームで飯を食うのが、どれぐらい大変なのかは、ゲーマーのはしくれとして、ある程度、想像は付くから。プロゲーマーの人の生の声とかも聞いたり見たりしたこともある。簡単にモノを言ってるわけじゃない、ってことは分かって欲しいんだけど。

けれども、メイプルストーリーだけは違っていて。他のゲームは、とっかえひっかえ、色んなソフトに触れて来たけども、常に、自分の中心にあるものは、メイプルだった。「なぜ?」と自らに問うと、多分、オンラインゲームってシステムが、僕をドハマリさせたんだと思う。

今だと特に珍しくもないけど、当時は、画期的なシステムだったんじゃないかなー。「オンラインゲームはNEXON!」ってね。色んなCMやってたでしょ。メイプル以外だと、テイルズウィーバーとか、マビノギとかも流れてたのかな。知らんけど。やってないし。

あの頃って、僕の周り、何かしら、やってる人が多くって。名前が挙がってないやつだと、アラド戦記、レッドストーン、あと、ラテールって名前も、少し遅れて聞き始めた記憶。「基本プレイ無料」っていう間口の広さもあるんだろうね。これもスマホアプリが一般化された現代社会だと真新しさの欠片も無いんだろうけど。

で、僕はね、自分で言うのもなんだけど、トップランナーを走っていたわけ。その周りの。いや、むしろ、その世代の。これは言い切って良いはず。一応、当時は、ランカーだったから。200レベルがカンストの時代だから、証拠も何にも残っちゃいないけどね。僕の記憶の中にしか残ってない。今のメイプルだと200レベルなんてあっという間だからなぁ・・・。隔世の感を覚える。

その頃、僕は、ランカー周りの「狩り友」を多数作って、毎日、レベル上げに精を出していた。いわゆる「効率プレイ」ってやつだな。俗っぽく言うと「効率厨」だろうか。「友達リスト」が完全に利害関係のモノになっていた。今だと多分そこまで振り切ったことは出来ない。良くも悪くも、小学生~中学生の時期だったからこそ、振り切れたんだと思う。

いや、でも、そう考えると、今の僕って、”人情”に足を引っ張られて、自分が望む成功を掴めない気質になっているんじゃないか。それってどうなんだろう。「成功」と「幸せ」の狭間で揺れる・・・。う~ん、人生って難しい。


・・・そういう話じゃなくって。

『千代女』に寄せるために端折るけど、僕は、メイプルのランカーとして、中学時代を過ごして、中学3年生になって、高校受験のシーズンに入ったタイミングで、「受験勉強に専念するために仮引退します」と宣言して、メイプルから一度、距離を置いたのよね。

まぁ・・・、この選択が、今振り返ると、自分の人生の中では、大きなターニングポイントだったのかなと。「第一線」から退いた瞬間でもあったから。叶うことはないけども、「ずっと第一線で居続けていたらどうなっていたのか?」って世界線は、正直、見てみたい気持ちはある。

『千代女』の「和子」にも、コレと(僕の感覚の中では)ちょっと似てる展開があったりするのよ。周りからの期待を一身に浴びて。ただそれが、プレッシャーというのか、ハードルが高くなったと感じたのか、それとも、僕みたいな天邪鬼気質が発動したのか、はたまた、全てが合わさったのか、正確には読み取れないけど、結果的に「綴方」の修養を積むことはなくって。

当時、僕が仮引退したのは、「高校受験」っていうのは、言ってしまえば、テイの良い言い訳で、ハッキリ言うと、しんどかったんだよね。それはもう、色んな意味で・・・。

ざっと箇条書きすると、単純に、ランカーとして、毎日、ランキングの上がり下がりを、目を通さないといけないのもキツかったし。メイプル内で繋がった友達にも「廃人」(当時ではレベル上げがメチャクチャ早い人のことを褒める最上級の言葉だったと思う)ともてはやされていたり。「今日は何%溜まった?」(レベル上げ作業で溜めた経験値のことを指す)ってストレートに聞かれることもあったり。あとはリアル界隈でも「アイツはメイプルやり込んでる」って噂が広まってたから、友達でもないクラスメイトにも色々聞かれたり。何気に一番最後のコレが一番面倒臭かったかも。友達に聞かれるならまだしも。お前何やねんって思ってた記憶・・・。

で、なんかもう、心身共に疲れちゃって、ちょうど良いタイミングでもあったし、一回、離れようと。離れるならココしかないと思ったよね。「仮引退」とは言ったけど、もしかしたらもう戻ることはないのかな、とも思ってた気がする。それぐらい、いっぱいいっぱいだったのは、覚えている。

「たかがゲームでしょ?w」と言われればそれまでの話。そういう価値認識をする人に、どうこう言うつもりはない。事実、そうなのかもしれない、とも思う。たかがゲーム。ただ、僕は、”たかが”と割り切れないナニカがある。人それぞれ考え方や感じ方が違う、それだけの話ではなかろうか、と。

ただ、一つだけ言えることは、曲がりなりにも、ランカー生活を経験したことで、プロゲーマーに対するリスペクトの念は、メチャクチャ強まったと思う。これは大変だよ・・・。プラスアルファ、職業にしているんだから。僕とは比べ物にならないレベルの大変さ。僕に言わせれば、スプラトゥーンのランクの話とかも、聞いているだけで、「うわぁ大変そうだなぁ…。」と思えてくる。当の本人はケロリとしていたりするので、僕が、ただただ、メンタルが弱いだけかもしれないけれど。


・・・で。

中学3年で、メイプルからは足を洗ったつもりで過ごして、無事に高校に進学出来て、ちょっと気が向いたからメイプルを再び触り始めたけど、やっぱり「第一線」を一度退いている以上、もう「ガチ勢」として、蛮勇を振るうのは、なかなか出来ないのよね。これはゲームに限らず、どの分野にも言えることなんじゃないかなぁ。そもそも「再び第一線に!」って気概も無かったし。それでも、周りの人と比べれば、結構やり込んでるレベルだったかもしれないけれど。僕に言わせれば「エンジョイ勢」そのものだった。自分がコントロール出来る部分は全てメイプルに捧げていた「ガチ勢」の頃と比べたらね。

高校を卒業して大学に進学しても、そんな感じの距離感が続いていた。”やっているけど、やり込んでない”みたいな感じ。多分、それで良いんだ、って思ってた。少なくとも当時は絶対にそう。他にも、やりたいこと、やらねばならぬこと、沢山あるんだろ?って。事実、そうなんだけどね。大学の頃は、高校よりもなお、プレイする時間が縮小された感はある。全然ログインしない時期もあったと思うし。

大学院にも一応進学したんだけど、その時にはもう、メイプルのことは頭には無かったと思うね。ていうか、ゲーム自体、プレイする時間を確保するのが困難というか。この時期は、結構、切羽詰まって過ごしていたので、あんまり思い出したくないことも多くって・・・。今回のテーマは「ゲーム」(メイプル)なので、詳しくは割愛させてもらう。

そんなこんなで、大学院は、紆余曲折あって、中途退学を決断して。で、お互いに結婚を約束し合って、数年間、同棲状態だった恋人とも、紆余曲折あって、別れることになって・・・。

思いもよらぬ出来事が立て続けに起きた僕は、結果的に、時間も労力も有り余る生活を送ることになる。加えて、”二兎(大学院&恋人)を追う者は一兎をも得ず”のことわざに倣(なら)ったつもりが、”一兎(大学院)を捨てて一兎(恋人)を追ったつもりが一兎をも得ず”の状態になり、強大な喪失感に太刀打ち出来ず、やがて現実逃避をするように、僕は、おもむろに、パソコンを開いて・・・。

「そうだ、メイプルストーリーをやろう・・・。」


「・・・あれっ?」

おかしいぞ。この話の流れ、なんか、デジャブを感じるような気が・・・。

でも、学校を卒業して時間ができると急に暇になり小説もよく読むようになり、自分から綴方を書くようになります。

時すでに遅し、といった感じでしょうか。書いてみても、あんなに熱心だった叔父さんすら苦笑しながら忠告めいたことを言うように。

太宰治『千代女』|「あらすじ」引用文(一部再掲)

ちゃんちゃん。


奇跡的に(?)キリの良いところで文字数の目安が来たんですけど、うーん、どうしましょう、これで終わるのも綺麗な気もするけど、ここまで来たら、もうちょい書きたいかなぁっていう気も・・・。

今日の自分には判断しかねるんで、明日の自分に任せようと思います。

~「九」に続く~

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