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【夢日記】元カノと仲睦まじく過ごす夢を振り返る(昨日のリベンジ)

タイトルに「昨日のリベンジ」と書いてみたものの、これだけだと「?」だよな、と思いつつも、他に表現する手立てが思いつかなかったので、もうそのままにしておいた。

とりあえず昨日の記事がコチラ。

まぁ、なんだろう、記事の終わりに「タイトルと関係ないことを書きたくなる日」とか書いた覚えがあるんだけども。

有り体に言うと、関係ないことを書きたくなる、と言うよりも、夢の内容を直視して描くのが困難だ、と言った方が、より真実に近いんじゃないかな、と思われる。

要するに、現在お付き合いしている彼女とも仲睦まじく過ごしておきながら、未だに、元カノと仲睦まじく過ごしていた頃の夢を見る自分に、嫌悪の念や、辟易とした感情だったりが、渦巻いたのだろう、と。

こういう感情表現を形容する言葉に「照れ隠し」なんてのがあるが、今回のケースは当てはまらないのかな。「見てみぬフリ」とか「誤魔化し」と形容した方が良いんだろうか。そこら辺はちょっと分からない。

とまぁ、昨日の記事のセルフ解説みたいなことを述べた上で、今日こそ、少なくとも昨日よりは、夢の内容と向き合ってみようかなと思う。

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コホン。

というわけでね。

・・・。

(やっぱりどこか気まずさが残る)

まぁねぇ・・・。

昨日も「元カノというカテゴリーで一括り出来ない存在」みたいなことを書いた覚えがあるんだけど、やっぱね、同棲した時期もあって、将来子どもを授かったらこんな名前を付けたいとか、割と真剣なレベルで話し合ったりした仲なわけで。

だから、音信不通になってから、そうだな、もう5年とかになるのかな、それぐらいの年月が経ったとしても、今なお、夢の中に出てくるっていうのは、頷ける部分もありつつ、驚きもありつつ、みたいな感じでさ。

夢の内容に関しては、大体、一緒なのよ。
凄い幸せそうな感じのやつ。
二人とも笑顔で。
肌と肌が合わさってることも多いね。

で、大体、起きるパターンも決まってる。

夢の中では一緒にベッドで寝ているの。
ちなみに当時も同じベッドで寝起きしてた。
昔の現実世界とほとんど同じ風景。

で、僕が、横で寝ている彼女をハグしながら、頭を撫でていたら、目が覚めるの。

で、現実世界は、クマの抱き枕を抱いて、クマの頭を撫でている。毎回決まってコレ、と言って良いぐらいの、お決まりパターンなの。

ちなみに、抱き枕のクマは、同棲していた当時からの相棒。今夜は一緒にベッドで眠れないね、という日の、お助けマンみたいな位置付け。

今は一人で寝起きしているけど、それが今も続いている感じ。何もないと手持ち無沙汰で寝付きが悪い。クマが居ないと落ち着かない。

こうやって書いていると「同じ抱き枕のクマを使っているから未だに元カノの夢を見るんじゃないのか?」とも思えてくる。

まぁ実際、それは有り得そうな話だけど、だからと言って、クマを手放そう、とは、僕は思わない。思えない、と言った方が正しいのだろうか。

恋人と別れた際、その人を連想させるような物を全て廃棄してしまう、なんて話も良く聞くけれど、個人的には反対だ。

その理由として「物に罪はないだろう?」と良く言うのだけど、さっき書いたように、罪の有無は、あくまでもテイの良い言い訳に過ぎず、単に、捨てる勇気がないだけ、なのかもしれない。

今回の抱き枕のクマを例に挙げると「くまごろう」という名前を付けてしまったのもあり、元カノとの思い出にプラスアルファして、愛着心も、かなり強くなっている。余計に手放せないのも無理はない。

また、同棲していた当時、人形劇のように、クマの体や手足をブラブラさせて「遊ぶクマ〜」とかなんとか言いながら、彼女の体に突進していたりもしたものだ。

こうやって改めて書いてみると、完全にバカップルのソレやないか、と、我ながら、冷めた目で過去を見つめてしまうのだが、そういうのも含めて、仲睦まじい日々を送っていたわけだ。

そう。お互いに学生の身分でありながら、一つ屋根の下で暮らす。良くも悪くも、現実を見ることなく、今この瞬間を楽しむことに全神経を注ぎやすい時間をともに過ごしていたのだ。

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一段落ついた気がしたので波線で区切っといた。

自分の手が動くままに取り留めもないことを書いてしまった気がする。なんやらよく分からん文章が続いてしまっていたら申し訳ない。「ポエム乙(笑)」の一言で読み飛ばしていただければ幸いである。

まぁ、そうだねぇ・・・。

この元カノの夢を見ると、毎回、物思いに耽るのは「今カノとの夢よりも見る頻度高いよなぁ」ということなんだよね。

特に他意はないんだけどね。それでもやっぱり、心のどこかで、申し訳なさというのか、なんなのか。夢から目が覚めて、誰に求められるでもなく「一人自己弁護」みたいなモードに入ることが、しばしばある。

「浮気」を「気持ちが浮つく」と読む癖がある僕としては「自分の気持ちが今カノではなく元カノに向いているのか?」などと、一人で邪推してみたり、とかね。

ただ、これまた一人で弁明するわけだけど、未練がましい思いがあるわけではない、と、断定口調で言い切ることは出来る。

その理由としては、もう一度ヨリを戻したとしても、まぁ上手く行かない点が多々あるんだろうな、とも感じる自分が確かに存在するからだ。

言い方が適切か分からないが「なるべくしてこうなった」とか「遅かれ早かれこうなってた」などといった思いが、僕にはある。

ただ、付け加えるとすれば、「ヨリを戻したい」という気持ちは皆無だとしても、「縁が完全に切れるとは思ってなかった」という気持ちが無い、と言えば、それはウソになるのかもしれない。

たとえ別々の道を歩むことになったとしても、節目節目で、結婚しました、だとか、子どもが生まれました、だとか、そういう、一本のLINEぐらいは送り合える仲では、いたかったかな、って。

正直な話、これまでお付き合いしてきた元カノ達の誕生日がやってくると、似たような心情を抱くことが多いのだけど、とりわけ、同棲経験も経たこの子に対しては、ダントツで、そんなことを漠然と考えて、感傷的や気分に浸る自分が居る。

「そういう感情のことを『未練がましい』と言うんだよ」と説明されたら「そうですか・・・」と力なく頭を垂れるしか無いのが、我ながら、情けない。

実際問題、どこかで縁が再び繋がって、定期的に連絡を取り合うようになると、今の自分の気持ちに変化が生じてもおかしくはないのかもしれない。おそらく、そんな世界線はやってこないんだろうな、とは思うけれども。

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そうやって考えていくと「どこからが浮気になるのか?」というのは、甚だ難しい問題だ。

よく「異性の人と二人で会ったらアウトでしょ〜」だとか「いや、それを浮気にすると自分も遊びづらくなるから二人で会うだけならセーフ」だとか、そんな会話が、特に飲み会の席で、なされたりする。

だけど、そういうのじゃなくて。
目に見える部分じゃなくて。
目に見えない部分、心の面での、話。

だから、他者からすると、セーフ・アウトの判定以前に、そもそも、浮気を疑うような行動ではないのかもしれないけれど。

自分の中で、引っかかるのだ。
元カノの夢を何年も見てしまうのは。
今カノに失礼に当たるんじゃないかって。

だけど、悲しいかな、どんな夢を見るかは、自分ではコントロールすることが出来ない。

見方を変えれば、夢を見る内容に誤魔化しはきかない、自分の心に嘘をつくことが出来ない、そう捉えた時に、どこか、ハッとしてしまう自分が居るわけで。

でも、だからと言って、今現在、お付き合いしている恋人に対して、愛情が無いわけでもない。断じてない。これも言い切れる。

敢えて、モラルに欠けた言葉をチョイスすれば、ぶっちゃけた話、二人とも、好きなんだろう。「好き」のベクトルが、それぞれ異なるだけで。

うん・・・。

(沈黙が流れる)

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・・・という感じですねぇ。(どういう感じだよ)

いつになく、文章構成が破綻した感が否めないけど、良い風に言うと、体裁を気にせず、ありのままの心情を吐露した文章になった気もします。

そうねぇ・・・。

まぁ、なんでしょう、浮気ってヤツは、世間一般では、良く思わない方が大多数だと思われるんですが、僕は、ちょっと変わった物の見方をしているのも、あるんでしょうけどね。

なぜそういう価値観が根付いたのかと考えた時に、太宰治好きが高じて、というのは無関係では無さそうだな、と、思ったりも。

太宰治もまた、好きな人とそうじゃない人とで、イメージが大きく変わるお方だなあって。

そういえば、昨日、6月19日は、桜桃忌でした。

命日ということを考えれば「合掌」で締めるのが良いのかな、と思ったんだけど、6月19日は、太宰治の誕生日でもあるんでね。毎年、迷うんですよ。これ。

個人的には「誕生日おめでとう」の方が綺麗に締まる気がするので「🙏」よりも「🎂」ですね。うん。おめでとうございます。

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P.S.

最後、太宰治エンドになるなんて思いもよらなかったんだけど、それも踏まえて、今日の文章を思い返すと、なんだろう、誰にも言われないから、自分で言っちゃうけど「俺って太宰と似たトコあんのかなぁ」って、ちょっと思っちゃいました。

なんか、すいません。

とりあえず謝っとこ、みたいな癖もあります。

すいません。

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