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【読書感想】ギリシア哲学30講 人類の原初の思索から

非常に刺激的な本を読み終えました。日下部氏著作の「ギリシア哲学30講 人類の原初の思索から」です。副題に「存在の故郷を求めて」とある通り、古代ギリシアの伝統的深層意識であった「存在」を軸に古代哲学史を論じていきます。私は哲学者でも、哲学を勉強しているわけでもないので、理解が不十分なところだらけかとは思いますが、頭の中の整理も兼ねて、感想を書いてみたいと思います。

「存在」とは?

日下部氏が本書で解説している通り、「存在」とは「対象に取れないもの」であり、「デポジット構造」であり、「ピュシス(自然)」でもあります。対象に取れないが故に、完全に主観性の社会に生きている私としては、なんとなくイメージはできるものの、捉えどころのない存在でした。とは言え、言語の根本的な意味が「差異性」でしか無いのと同様に、我々の存在の根本的な意味が「存在」なのかなぁ、と考えています。

所詮、私たち人間は、いかに努力しようとも「人間」という枠組み、更には「民族」の紐帯や、「自然の中の存在」という枠組みから外れることはできません。そしてそれはあまりにも大前提過ぎて、意識することもできません。目の前の物を見ることはできますが、その大前提となる眼球そのものを見ることができないようなものです。昨今の我々が「自然」と聞くと、環境問題やら環境破壊やら、なんとなく保護の対象というようなイメージがありますが、それは極めて傲慢と言わざる得ないでしょう。人類は自然に依存しており、都市にいようが田舎にいようが、自然の威力は無意識的に作用しているのです。だって自然の上に成り立っているのが人間社会ですからね。基本的には自然は隠れていますが、そこに「ある」のです。

「存在」 VS 「主観性」

そのような人類の基礎中の基礎である「存在」を主軸に哲学をしていた頃の哲学者が、古代ギリシアの初期自然哲学者であると日下部氏は言います。「万物は水である」と説いたタレスからなるイオニア派の哲学者のことですね。これには目から鱗でした。他の哲学史では、イオニア自然哲学者の扱いは「傍流」に過ぎませんでしたが、日下部氏はむしろこちらがメインストリームであり、ギリシア世界に伝統的であったと言います。むしろ皆が崇め奉っているソクラテス・プラトンの哲学こそ、伝統的で正統な「存在」に反して「主観性」の勝利を決定的に導いてしまった戦犯級の哲学だと告発をしています。

「主観性」は、読んで字の如く、主観をベースにした個の意識下の概念です。したがって、意識できるもの・対象化できるものに大きく限定されます。ニコス・カザンザキス文学のゾルバの言うように「理性というロープに捕まって行ったり来たりしているだけ」(うろ覚え)に過ぎない状態です。

「存在」の哲学と「主観性」の哲学の違いは、端的に言うと「自然を基準に考える」か「人間を基準に考えるか」の違いなのかなぁ、と思いました。「主観性」をギリシア世界に初めて導入したと考えられるピュタゴラスや、それをギリシア世界に定着させたソクラテスの哲学の特徴は、自然存在と遊離しているということにあります。ピュタゴラスは「数」、ソクラテス・プラトンは「イデア」というわけですね。自然を見ずに意識下の概念で考えを理論的に構築していくと、自然存在が置いてけぼりになります。意識とは畢竟言語の集積ですから、日下部氏が「言語世界と実在世界は基本的には別」と論じているように、「主観性」を突き詰めていくと、自然存在からどんどん遊離した理論になっていきます。「存在」側のアナクシマンドロスが、「ト・アペイロン(ある無限な自然)」を運動性そのものとして原因性を完全に排除したり、アリストテレスが実体を一種の原理として見たりするのと対照的です。ソクラテス・プラトンが「主観性」の哲学に傾倒していった理由づけに「都市育ち」を挙げていることからも、この理解は当たらずとも遠からずではないでしょうか。

私は生まれも育ちもド田舎で、田畑・雑木林・ザリガニとタニシとヒルだらけの用水路・遊泳禁止の海辺・草木ボーボーの空き地・たまに玄関に現れるヘビ等々、自然に囲まれて育ちました。そのせいかは分かりませんが、ソクラテス・プラトンやヘレニズム期の「主観性」哲学よりは、イオニア自然哲学やアリストテレスの「存在」哲学の方に親近感を覚えます。かつて、プラトン哲学を読んだ時のなんとも形容できないむず痒さは、私の田舎での原体験における「ピュシス(自然)」が叫んでいたのかもしれません。

神々よりも古い「ピュシス」

個人的には、ギリシアの伝統的な太古的概念「ピュシス」を語る際に、哲学だけではなく神話や習俗にももっと踏み込んでほしかったとは思っています。やはり、当時において哲学的見方はまだまだ一般的ではなかったので、多くのギリシア人を真に拘束していたのは自然哲学ではなく神話や習俗でした。特に教科書的な存在であったホメロスやヘシオドス、あるいは宗教行事や慣習の内実を例として挙げた方がすんなり理解できたのではないでしょうか。まぁ、こうなると哲学の範疇からは少し逸脱するので、難しいところではありますが…。

とはいえ、ギリシア神話の根底にも「ピュシス」が流れているのは例示するまでもなく明白であり、代表的なのはヘシオドスの「神統記」における「ピュシス」が大前提となっているその世界観でしょう。「ピュシス」は、オリュンポスの神々よりも太古に自生した「存在」であり、神々の地位すらも脅かす(例えばギガントマキアやテュポエウス)、決して消すことのできない深層概念だったのです。自然がただの被造物に成り下がっているヘブライズムとは根本的に異なっています。

「主観性」の芽生えと運命

本書では、ギリシア世界への「主観性」の導入をピュタゴラスとし、ヘブライズムの「主観性」の萌芽を砂漠での生活としています。都市部同様、砂漠は自然性が希薄であるために、自生的な存在は考慮されることなく、全てが被造物となる、と。多神教を「存在」側、一神教を「主観性」側とも定義しています。

ただ、宗教社会学のレザー・アスラン教授によれば、ヘブライも元々は多神教でした。確かに、ヤハウェは民族の守護神として第一等の地位を占めていましたが、他の神々の存在を否定する「一神教」には到達していませんでした。中近東の神話世界の一部だったのです。中近東は自然性が希薄とは言え、自生的な自然無くしては文明は栄えることができません。「主観性」の芽生えの全てを生活環境に依拠するのは困難な気がします。

それでは、一神教に至る契機は何かというと、バビロニアによるイスラエルの敗北(つまり、バビロニアの守護神マルドゥクの方が、イスラエルの守護神ヤハウェよりも強大という証になってしまった)であったとアスラン教授は言います。この敗北を正当化するために、イスラエル人の一部で「他に神など存在しない」という一神教への改革が起きたらしいのです。「存在」に打ちのめされたが故に、「主観性」に逃避せざるを得なかったと言うこともできそうです。

私個人としては、ヘブライズム以前の「主観性」の原初の芽生えは、「定住」にあったと考えています。先史時代、まだ人々が定住する以前、崇拝されていた神は「獣たちの王」、つまり擬人化すらされていませんでした。フランスのレ・トロワ=フレール洞窟群で発見された、もののけ姫の「シシガミ様」のような半人半獣のイメージは、世界最古(紀元前18,000年頃)の神のイメージであるとされています。神々ですら人ではない、「主観性」など微塵も存在しなかった「存在」の黄金時代です。

しかし、定住が始まると、神々に異変が起こり、一気に擬人化されます。紀元前12,500頃のギョベクリ・テペ神殿は、農耕以前に人々が定住していたことの証左となる重要な遺跡ですが、レ・トロワ=フレール洞窟群とは異なり、人格化された神が崇拝されています。定住とは、自然を自分の好きなように作り替えることを意味します。つまり、「存在」を対象化していく過程と言えます。未だに「存在」は強大なままですが、その一部が「被造物」に成り下がった決定的瞬間です。

日下部氏は、近代社会の始まりをソクラテス哲学とし、そこから「主観性」の飛躍が始まったとしています。しかし、人々が狩猟採集生活を捨て、定住を決意した時点で、「主観性」が「存在」を脅かすこと、近代社会が生まれてしまうことは、運命づけられていたと言えるのではないでしょうか。

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