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龍之介
2021年12月27日 21:54
誰しもが、膝の内に、胸の内に、思い出に、こころに、欠乏を抱えて、生きている。欠けていることに満たされて、満たされることに、飢えている。自分はきっと、いつまでも、満たされないのだと気が付いて、はじめて、愛することができる。誰かを満たすことで、己の欠乏を、忘れるならば。
2021年12月23日 11:52
かつて、神と呼ばれた子供たちがこの世界にはいた。彼らは、神として称えられ、その血肉を神の為に捧げられた。胎盤が剥がれ落ちる過程は、神から子供が「堕ちる」ものだと言われた。それゆえ、彼らの母親は、腹に宇宙を抱えていた。神話は人を形作る。神話が人の生まれを語るとき、人はそこに自らのアイデンティティを見出す。神と呼ばれた子供たちは、いつの日か神を称え、また子供を天から降ろし、神へと返すために
2021年12月13日 23:00
太陽が支配者ならば、月はその陰に隠れた賢者だろうか。だが、道化師であるかもしれない。日ごとに姿を変え、形を変え、死と再生を繰り返す。その様を神に例えた古代の人々は、そこに神聖なるものを見出した。太陽が光ならば、月は闇だろうか。だが、その身で照らすこの夜は、やはり太陽の光の演出であって、さながら月は間接照明のようだった。僕の机の上にもあるそれは、神話には似ても似つかぬ便利さを秘めている。太陽
2021年12月12日 18:12
私が息を吸うと共に、私が神を流れ込ませる。すべては光となって闇に落ち、隠れていた物は明らかになる。私は一切の無なる有として、神の前にひれ伏し、ただその言葉をもって神の御前に跪かん。あぁ、我らが神”実存”よ。どうかその力をもって我らを導き給え。生きる意味とは、生きながらえることの本質なのか。それとも投企された一縷の細い糸なのか。縋ることでしか、この世という地獄から逃れ得ぬ、災厄なのか。あぁ、「
2021年12月11日 23:46
人間は時々、いろんなものを見落とす。僕の場合は、自分の存在意義だった。どうしてこんなに苦しい思いをして、それでも1日を生きなきゃいけないのか、まったく分からない。盲目の賢人が、なお盲目で在ろうとする理由はそこにあるのかもしれない。見ることができなければ、見落とすことなどありえないのだから。冬の寒空を眺め、アスファルトのジャングルを歩きながら、こんなことを考えていた。寂しさが路肩を通り過ぎて、風とな
2021年12月9日 12:10
明け方の空のぼんやりとした風景は、落ちぶれた人生の一場面を切り取る時、最も効率的かつ容易に想像しうる不明瞭な臨界点を迎える。それは、午前2時に意味もなく入れたコーヒーのようであって、飲むか飲まないか、喉を潤すか潤さないかというよりは、むしろ自然に、それを必要としたから用意したというような雰囲気に満ちている。不明瞭な日々をどうやって切り取っても、それは焦点の合わないネガの現像のようであって、決し
2021年12月8日 16:25
生きている理由なんて分からない。傾きかけた生活は、斜陽のようであって、それでいてただひたすらに美しい。どんな世界の在り方だって、それそのものが特別であって、その中に溺れていることが何より幸せだった。日々も傾くのだ。太陽のように。いつの日か地平の向こうへ沈んでしまって、それっきり二度と戻ってこなくなることもある。そのことに気づくようになるまで、僕らは途方もない時間を必要とした。一度沈んでしまった