7年間の闘病生活

2013年8月(高1)、発症。
2013年10月、近所の精神科を受診、強迫性障害と診断される。
2015年8月(高3)、紹介状を持って某大病院精神科を受診。
2016年5月(大1)、3人目の精神科医へ逆紹介。以降、現在に至るまで通院継続。
2018年6月(大3)、彼女と交際開始。
2018年9月、彼女が統合失調症発症。
2019年12月(大4)、(僕)電気けいれん療法(ECT)を受ける。
2020年4月(大5)、(僕)認知行動療法のためカウンセリング開始。

強迫性障害では、自分でもつまらないことだとわかっていても、そのことが頭から離れない、わかっていながら何度も同じ確認をくりかえしてしまうことで、日常生活にも影響が出てきます。意志に反して頭に浮かんでしまって払いのけられない考えを強迫観念、ある行為をしないでいられないことを強迫行為といいます。たとえば、不潔に思えて過剰に手を洗う、戸締りなどを何度も確認せずにはいられないといったことがあります。(厚生労働省より。https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_compel.html)

そもそも、僕は小学生の頃から前駆症状があった。「鍵を閉め忘れた気がする」「停まっている車を傷付けてしまった気がする」という妄想が振り払えず、何度も確認してしまっていた。中学生になってからは、母親が幼い頃から「学歴がないと就職もままならず人生終了する」と何度も繰り返し言い聞かせていたことから、学歴を手に入れられない恐怖から毎日勉強していた。受験期になると、志望校の受験資格を喪失することを恐れ、「自分が犯罪をするのではないか」と不安になり、エスカレートした結果、「自分は犯罪をしたが不都合な記憶として無意識に記憶を抹消していて、明日には警察が来るのではないか」と怯えるようになった。受験当日は、電車内での犯罪(例えば痴漢)が怖くて1人で電車に乗れないから、親に着いてきてもらったりした。

大学附属校に入学してからは、エスカレーターで大学に進学できる安心感から、強迫観念は穏やかになっていた。僕は吹奏楽部に入学して、トロンボーンという楽器を始めた。中学時代はユーフォニアムという楽器を吹いていたので、スライド操作には苦戦したが鳴らすのはスムーズにできた。夏休みにある吹奏楽コンクールに向けて、練習を開始した。自由曲は、ゴリゴリの現代音楽。陰鬱な曲だった。夏休みは毎日毎日暑い中朝から夜まで練習。亜熱帯な暑さと練習が体力を奪い、陰鬱な曲が延々と繰り返され、精神力を奪っていた。疲弊していた。

ある日、部活の前にコンビニで買い物をしようとした時のこと。狭い通路の中、他の客を避けようとする時、たまたま手が自分のポケットを掠った。「万引きを実行しようとしていたのではないか」、そんな妄想に囚われる。学校に着いてからポケットを調べ、カバンをひっくり返して確認する。もちろん、ただの妄想なので商品があるはずがない。しかし妄想の肥大化は止まらない。「自分が万引きした後、証拠隠滅のため商品をどこかに捨てたんだ」、そう考えてコンビニから学校までの道路に商品が落ちてないか確認する。まだ妄想は終わらない。「誰かが捨ててしまったから見つからないんだ」、そう思い、結局コンビニ内で実際に万引きしたかどうかを検討するしかない。自宅で15分程記憶を辿った。次の日も同じ不安のため30分確認した。徐々に確認が長引いていった。

そこから2ヶ月かけて、不安になる犯罪が増えていった。窃盗・器物破損・傷害暴行・性犯罪・殺人・銀行強盗など。本当にしたいわけじゃない。"した気がする"という妄想が打ち消せない。遂には6時間ぶっ続けで確認するようになってしまった。

おかしいと気がついた母親が、精神科に僕を連れていった。すぐに病名がついたが、僕は投薬を拒否した。精神病に偏見があり、治療薬にも体に害があると偏見を持っていた。けれども、2ヶ月後には症状の苦痛に耐えきれず、投薬を受け入れた。

成績はガタ落ちで、高校生なのに本当に留年しそうになった。勉強なんてとても手につかない。毎日毎日不安で仕方なく、妄想に狂い確認行為を止められず、苦しくて自殺しようと思い立ったこともあった。

大病院を紹介されてから、医者との相性が合い、症状が快方にむかった。ただ完全には症状を無くすことはできなかった。大病院は高校生までしか受け入れていない小児科だったこともあり、その医者の先輩を紹介するということで、オフィス街にある町医者を逆紹介。

しばらく、症状は安定していた。そして大学3年生の6月に、今日に至るまで交際している彼女と付き合い始めた。

付き合って3ヶ月経ったある日の晩に、突然彼女は号泣しながら自殺したいと訴えた。原因は彼女の両親にある。彼女の親は毒親だった。彼女は優秀な余り、某超有名私立中高に入学した。しかし、親は退学届をパソコンの中に保存して、事ある事に「退学」のカードをチラつかせて精神的に脅迫していた。夏は熱帯夜の余りエアコンを付けなければ熱中症で死んでしまうところ、両親はエアコンを付けることを禁止してリモコンを取り上げた。彼女は実際に熱中症になって毎日痙攣していた。彼女もまた疲弊していた。だからその日に、「糸が切れて」「壁を超えてしまった」。
その時、僕はゼミの合宿で河口湖のホテルにいた。彼女の自殺願望は強固で、なんとか説得し、寝るように伝えた。寝たら気持ちが落ち着いて、ケロッとしてるかもしれないと期待したのもある。
一方で、僕は翌日朝にゼミ合宿を早退して特急で東京に向かった。彼女は翌日もやはり自殺する意志があったからだ。彼女に僕が通院している精神科を受診するように説得してが、最初は渋られた。自分が精神病にかかるのは嫌だったから、診断が下るのを敬遠した。しかしずっと説得し続けて、ようやく彼女は受診を受け入れてくれた。お陰で、自殺には至らず、すぐに医師の処置を受けることができた。

ここから僕らは、長く、濃く、厚い月日を送ることになる。

彼女は統合失調症だった。眠れずに深夜2時頃まで電話で話を聞き、これまた眠れず朝4時に彼女からの電話で起きる。電話に気が付かず手遅れに──ということは決してあってはならない。2時間睡眠で、彼女のバイトも見守り、看護した。2ヶ月後には、ほぼ安定した。

2時間睡眠が1週間続くとさすがに僕も体調を崩した。彼女の病的な不安心理を取り除くために僕は付きっきりで行動した。金銭的にも肉体的にも精神的にもキツかった。

ただ、彼女が寛解していく一方で、今度は僕が坂を滑り落ちって転がり始めた。今度は彼女がキツく辛い思いをした。しかも2ヶ月では済まされず、年単位でしんどい思いをしている。

僕の新しい強迫観念のトピックは、「彼女の過去に嫉妬する」というものだった。彼女の元彼に嫉妬して、「自分は彼女の中で""過去最高に""好かれている人間か?」など、最も優越していることを確認するようになった。彼女の元彼よりも自分は優れているか、最もカッコイイか。なんでも1番にならずにはいられなくなった。故に、彼女にとっては思い出したくもない元彼との性行為について根掘り葉掘り聞かずにはいられなくなり、モヤモヤが晴れず自暴自棄になることばかりだった。

1年かけてエスカレートしていき、患者を見捨てない主治医がとうとう匙を投げた。その頃には、僕の強迫的な彼女への性的質問は、尋常ではない程の著しさを持ったセクハラ・モラハラ・DVの域に達していた。彼女は日々苦痛を感じていた。僕はどんな薬を法定最大量投与してもビクともしなかった。主治医は僕を大病院へ──しかも通院ではなく、閉鎖病棟に入院するように勧告した。

昨年2019年12月。僕は「精神科(クリニック)」ではなく、「精神病院」を訪れた。電気けいれん療法(ECT)を受けるためである。

電気けいれん療法は、全身麻酔をかけて、眠っている患者の頭に電流をビリビリ流すと、あら不思議!なぜか症状が良くなってる!というもの。程度は患者によって異なるが、記憶が欠けたりする副作用がある。昔はガチモンの記憶喪失になった人もいたらしい。メカニズムも不明で記憶も消える……。恐ろしかった。しかも2週間で6回が1クールで、1クールの費用が3割負担で6万円ほどかかる。高額でもあった。
閉鎖病棟は、スマホが持ち込み不可で、外部との連絡手段は一切ない。しかも全面禁煙で、ヘビースモーカーの僕には厳しい条件だった。通院でもECTが出来ることを知り、入院を強く拒否して、通院形式にした。

劇的に効いた。精神疾患において、ある1種類の薬が効果を上げる確率は20%だが、ECT(電気けいれん療法)は40%もある。本当に効いた。症状が95%消失した。しかし、記憶をある程度喪失した。名前を思い出せなくなった人もかなりいた。音楽が好きだったが、かなり好きだったアーティストが思い出せなくなった。もちろん、一過性のもので、名前を訊ね直せば、ああ!〇〇さんか!と思い出せるけれど、未だに思い出せない記憶もある。

年が明けて、僕の強迫のトピックは「彼女へ不誠実を働いた気がする」に推移した。

例えば、彼女がプレゼントしてくれたリュックを背負う時に、爪が引っかかってしまったとする。僕は「悪意を持って彼女がくれたものを傷付けようとした」と錯覚して、懺悔する。「自分が浮気した気がする」「自分が浮気しようとしている気がする」という妄想に囚われる。彼女以外の女子を可愛いと思ってしまったことに強い罪悪感を抱き懺悔する。
学校で知り合いの女性に挨拶することや、SNSで女性の投稿に""いいね""をすることが下心の表れのように錯覚して、女性恐怖症になり、SNSは見られなくなり、女性を避けて行動するようになった。妄想による自分への疑心暗鬼と罪悪感で胸がいっぱいになる。また悪化してきた。

そして、今日に至る。

これが僕の7年間の闘病生活。

まとめ①
僕の時も彼女の時も、そしてここには書いてないが今も僕らと同じクリニックに通っている友人も、突然精神病になった。その日は突然やってくる。それが精神疾患の恐ろしさ。精神疾患の治りやすさ(正確には寛解のしやすさ)は、処置までのスピードに強い相関がある。そして、精神科医には、患者に親切ではない医師もいるし、医者との相性もある。精神科医選びは素早くかつ慎重に行わなければならない。僕は今は通院に1時間かけているが、信頼出来る医師にかかっている。

まとめ②
彼女には恩返しをいくらしても足りない。甚大な苦痛を与えたのにもかかわらず、今でもそばにいてくれるし、日に日に愛情が大きくなっている。感謝が尽きない! 調子のいい時──健康面でも仕事でも学業でも、上手くいっている時は、当然人は寄ってくるし、みんな良くしてくれるが、病める時にそれでもそばにいてくれる人というのは掛け替えのない存在だ。僕は素敵な彼女を得たし、彼女とは婚約していて、毎日早く結婚してえと言っている。にゃーん。

まとめ③
自殺すれば苦痛からは解放される。それは苦痛の最中にいる人間からすれば救いだが、マイナスが0になるだけで、プラスには転じない。僕も彼女も自殺を真剣に考えたが、結果死ななくてよかった(これはマジ)。そもそも人が真剣に死にたいという状態は動物として異常事態なので直ぐに病院にかかること。偏見は僕にもあったが、なってしまえばどうってことない。友人や家族からの理解は得られなかったが、精神病仲間ができた。周囲からの理解が得られないという方は、一緒に闘病しましょう。友達にはなれなくても、知り合いにはなれるかもしれません。

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