リアルでのコミュニティ、どう作る?
お疲れっす。建築学科3年目の夏休みからお届けしております。課題が落ち着き、自分が一体何に興味を感じるのか。色々考える中で、改めて都市や地域における「コミュニティ」はどうあるべきなのかを考えてみたいと思いました。
今、地域の付き合いは失われつつある
僕は埼玉の住宅街で育ちましたが、正直言って、地域の人々との交流はほとんどありませんでした。同年代の近所の友達と遊ぶことはあっても、異なる年齢層の人とはほとんど接することもなく、どう話すかもわからないまま育ちました。
現代ではネットやSNSがありますから情報の収集には困らない一方、現実世界に頼れる人や心の拠り所になるような人がいないと、心許なさも感じるのが現実です。他にも自宅にいるときに被災すれば、お互い助け合うのは近隣の人ということになります。そのため、今の時代に必要ない、とバッサリ切り離すことができるものでもないのが現状です。
では、「近所付き合い」が失われつつある現代、どのようにすれば生きたコミュニティを取り戻すことができるのでしょうか?
「社群」という概念
そうした問いに対して、大学で講義を聞く中で興味深い観点を与えてくれたのが「社区」と「社郡」といった考え方です。
平たくいうと、「社区」とは地縁型(=距離)こコミュニティであり、「社郡」はテーマ縁型のコミュニティになります。
社郡の事例について、ニューヨークのハーレムのなかで「Community Garden 」というものがあります。住宅街の中に空き地を作り、市民が庭いじりをできる空間を作ったものですが、研究によるとこれによりその地域の犯罪率は低下したそうです。これは、「庭いじり」という共通の目的を持った人が好きなように集うことで、その地域の質が改善されたことを示しています。
マンハッタンでは、街路に散乱するゴミを行政に処理させるのではなく、その路地に面するビルのオーナー複数人が資金を出し合うことで、清掃員を雇ったり、観光用の掲示物を配置したりすることで衛生面での向上に成功しました。
他にも台湾では「オープングリーン」という企画で、都市の空き地や小さなスペースを緑化する運動をスタートアップが行い、都市の中に緑を感じる空間を増やすことに貢献しています。
このように、特定のテーマを持ち寄り、共通の目的を持つ人同士で、小さな視点から環境を改善していく動きは、今後より活発になっていくと同時に、必要なことではないかと考えています。
コミュニティに触れずに暮らしていると、自分の力で自分の暮らす環境を改善していこうという、ある種の自己効力感を感じられる機会がありません。
例えば、今日本でも散見される都市農園などに、子供を連れていけば、子供は都市の中にいながら自然にすれ、植物を育てたり自然に触れるといった機会に出会う事が出来ますし、異なる年齢層の人々と接するきっかけにもなるでしょう。また、そうした経験が人生を豊かにし幸福度を高めるという事は、数々の大学の研究でも明らかになっています。
コミュニティづくりにおける今後の動向(予測)
人口減少により行政の収入も減少傾向にある中で、住環境の改善を政府に求めることは難しくなっており、最近では企業や個人が主体となってアクションを起こしている事例が増えてきているとも言えるでしょう。
今後、このトレンドが加速していくと考えると、その中で自分は何をしたいのか、街がどうなったらより嬉しいのか、を、自分なりの視点の中で考え、行動を起こしていくことが重要だと言えるでしょう。
僕の関心は、電力に頼りすぎずに、高い生産性を保つことのできる快適な空間を作る、というところにあるので、今後そうした空間を建築のスケールにとどまらず、都市など、様々な次元で考えていきたいと考えています。
(前々回の記事でもそうした事を考えているので、興味のある方はぜひ読んでみてくれると嬉しいです)