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北海道に居た頃2

前回も書きましたが、北海道編は暗い内容が多々あります。
なので、暗い内容でも大丈夫な方のみの閲覧でお願い致します。







読んで下さるのですね。
勇者です(笑)
前回よりも暗いと思います。
宜しくお願い致します。



北海道に引っ越してから、何が一番辛かったのか?と問われれば、母からの過大な期待が1番の苦痛でした。
「うちの娘はこれぐらい出来る!出来て当たり前だ!」という期待が凄く凄く辛かったです。
追い詰めようとしていた訳ではないと思います。
ただ単純に、純粋に期待していたんだと思います。
期待に応えたくでも、出来ない。
どうしたら期待に応える事が出来るのだろう?
どうすれば…どうすれば…どうすれば…
そして、私は壊れました。

仕事に出てはいても、ほぼ引きこもり状態。
そして、不眠。
虚脱感。
希死念慮。
全てが嫌になり、どうすれば期待に応えられるのだろうか?という事すらも考えられなくなりました。

元々居る従業員からの言葉の暴力も数え切れない程言われました。
いい歳したオッサンが吐く言葉なのか?いい歳したオバサンが吐く言葉なのか?
その言葉たちは、いつも母が居ない所で投げ付けられていました。
なので、母は実態を知らない。
もちろん、その当時の私は言うつもりもありませんでした。

そして、どんどん落ちて行く私を見て、母はイライラするようになりました。
そして、兄も。

兄とは1つ歳が違うだけでしたが、幼少の頃からよく殴られ、蹴られ、もちろん、言葉の暴力もたくさんたくさんありました。
青痣なんて、ほぼ毎日のようにありました。
私の兄は怒りやすく、怒りだすと必ず殴られ、蹴られ。
もちろん、私もやられっぱなしではありませんでしたが。
殴り返す事もありました。
でも、腕力では勝てるはずもない。

私は、北海道での仕事では、主にフロント業務と売店業務。
そして、厨房業務の手伝いやレストラン業務の手伝い。
宴会場の設置図を作ったり。
防火管理者もしていたので、その書類作成をしたり。
客室清掃は手が空いていれば手伝ったりしていました。
そして、お客さんの送迎もしていました。

無理を無理だと感じなくなっていたのは、幼少の頃からですが、北海道で更に悪化していました。

従業員も総入れ替えする事になったりもしました。
支配人が元々居た従業員を全員引き連れて退職しました。
その当時居た、経理のオバチャン、料理長、副料理長を含め。
で、居なくなった次の日に新しく料理長が来ました。
その人も後に辞めますが、何故かは知りませんが、2代目料理長には何故かもの凄く嫌われていました。
その理由は今でも解りません。
理不尽な事もたくさん言われました。
そして、その時の2代目料理長の時に自傷を初めてしました。

嫌われ者が1人居ると、何故か業務って進みますよね。
そんな感じで自分は生贄みたいなモノなんだろうなぁーって思ってました。
その頃には、日に何度も自殺を考えては辞め。を繰り返していました。
自分自身の存在理由・存在意義を日に日に感じなくなりつつありました。
その当時流行っていたmixiに毎日のように「死にたい。」って呟いていましたね。

とりあえず、小休止します(笑)

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