縞々乃燕

60歳を機に、龍神様が祀られている神社をボニーで周る企画をスタートさせるが、現在は様々…

縞々乃燕

60歳を機に、龍神様が祀られている神社をボニーで周る企画をスタートさせるが、現在は様々な神社、さらに寺院も加え参拝を続けている。仕事であるグラフィックデザインは、あと10年少しは続けなくてはならない・・。

最近の記事

  • 固定された記事

龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る

私は、「ライダー」と呼ぶにはおこがましい程度のバイク経験しかなく、どちらかというと「造形としてのバイク」に惹かれるタイプのようです。 最近、気に入ったバイクがありました。 しかし、日常生活では全く不要で、購入することなど考えられませんでした。 にもかかわらず、あることが起点となり、まるで何かに後押しされるように、現在、9月の納車待ち。 それでも頻繁に乗る姿が想像できません。 せっかく所有するのだから、何か無理にでも乗る理由はないものか。 しばらく考えた後、ふと10

    • 令和六年十月十六日 青山熊野神社(あおやまくまのじんじゃ) 東京都渋谷区

      このところBonnyと休日に参拝する時間が取れず、今回は通勤途中の参拝である。外苑前より徒歩5分の場所にあるこちらの神社は、元和五年(1619)紀州藩初代藩主・徳川頼宣が赤坂の藩邸内に熊野権現を勧請したことを起源とする。御祭神は、五十猛命(いだけるのみこと)・大屋津姫命(おおやつひめのみこと)・抓津姫命〔つまつひめのみこと)・伊弉冉命(いざなみのみこと)の四柱。 狛犬は左右一対を合わせて「狛犬」と称するが、正確には向かって右側の阿像が「狛犬」、左側の吽像の「獅子」である。狛

      • 令和六年九月八日 思金神社(おもいかねじんじゃ) 神奈川県横浜市

        『思金大神は、国譲り、天孫降臨、天岩戸開きといった重大な局面で大活躍され、金融や金銭資産などの金運・財運に大きく関わり、その御威徳から学業や資格、経営、商売、出世、開運、工芸、技芸に御利益が高く、とりわけ知恵、思考、思慮を神格化した神として崇められております。今でいうプロデュースやディレクション、マネジメント、エンターテイメント、クリエイティブの分野にも御神徳の高いマルチプレイヤーの神様であります。』 公式サイトからだが、仕事柄見慣れたカタカナが並ぶ、珍しい解説。 また思

        • 令和六年八月十三日 戸隠神社(とがくしじんじゃ) 八月十四日 鬼無里神社(きなさじんじゃ) 長野県長野市

          12日から2泊で戸隠キャンプ場へ(見出し写真は、途中、志賀草津道路見晴台付近からの景色)。こちらのキャンプ場は、洗い場ではお湯も使え、トイレも清潔、シャワーも完備、さらに近くに温泉有りとなかなか快適なキャンプ場であった。 そしてこの場所から徒歩30分程度で戸隠神社の奥社に行けるため、翌日早朝より参拝に向かう。 戸隠神社は、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなるが今回は全てに参拝する時間はなく、奥社の他に中社のみの参拝となった。 奥社の御祭神は天手力雄命(あ

        • 固定された記事

        龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る

        • 令和六年十月十六日 青山熊野神社(あおやまくまのじんじゃ) 東京都渋谷区

        • 令和六年九月八日 思金神社(おもいかねじんじゃ) 神奈川県横浜市

        • 令和六年八月十三日 戸隠神社(とがくしじんじゃ) 八月十四日 鬼無里神社(きなさじんじゃ) 長野県長野市

          令和六年七月二十二日 厳島神社(いつくしまじんじゃ) 静岡県賀茂郡

          家族で伊豆松崎海岸に1泊で海水浴。翌朝、海岸近くにある御祭神が「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」の厳島神社へ。 「松崎海岸(海水浴場)の北側に突出した高さ30メートル余の巨鯛島(こだいじま)に祀られ、社名の厳島は祭神「いちきしま」のなまったものといわれる。祭神は弁財天に擬せられているが、弁財天はもともとは河川を神格化したもので、吉祥天と共にインドで最も尊崇された女神である。七福神の一神として福徳賦与の神として信仰されている。当社も「弁天さん」として親しく尊崇されている

          令和六年七月二十二日 厳島神社(いつくしまじんじゃ) 静岡県賀茂郡

          令和六年七月七日 篠原八幡神社(しのはらはちまんじんじゃ) 神奈川県横浜市

          『創建八百年。当神社は後鳥羽院建久三年(1192年 鎌倉時代)九月鈴木村の鎮守として仝村字会下谷に勧請奉斉し、鶴崎八幡と称す。寛永八年仝村字表谷に社殿を建立して奉遷し、其後寛文七年時の代官伊奈半十郎手代新井孫兵衛により社殿を再建し若宮八幡と称した。武蔵風土記稿に鶴崎八幡と称したるいわれを知らずとあり、鈴木村は篠原村となり若宮八幡宮は八幡大神と奉称するにいたった。』 (公式サイトより) 御祭神は應神天皇。日本神社百選にも選ばれている神社である。 また境内は、2016年公開TV

          令和六年七月七日 篠原八幡神社(しのはらはちまんじんじゃ) 神奈川県横浜市

          令和六年五月五日 秩父神社(ちちぶじんじゃ) 埼玉県秩父市/渋川八幡宮(しぶかわはちまんぐう) 群馬県渋川市

          どちらの神社も捨て難く、二つの神社の距離が70km強と梯子ができそうだったため、欲張る。日帰り下道300km程度のちょっとしたツーリングとなった。 最初は秩父神社へ。 「創建は、平安初期の典籍『先代旧事紀-国造本紀-』によれば、第十代崇神天皇の御代に知知夫(ちちぶ)国の初代国造に任命された八意思兼命(やごころおもいかねのみことの)十世の子孫である知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)が、祖神をお祀りしたことに始まるとされており、武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に

          令和六年五月五日 秩父神社(ちちぶじんじゃ) 埼玉県秩父市/渋川八幡宮(しぶかわはちまんぐう) 群馬県渋川市

          令和六年四月二十日 大光山 本圀寺(だいこうざん ほんこくじ) 京都市山科区/滝尾神社(たきおじんじゃ) 伏見区/伏見神寶神社(ふしみかんだからじんじゃ) 伏見区

          何かと色々あって続きを書くのにえらく時間がかかってしまった.. さて京都二日目、本圀寺へ。宿泊場所の最寄駅から地下鉄で御陵(みささぎ)駅で降り、琵琶湖第一疏水沿いを歩く。ただ緑。 朱塗りの「正嫡橋」を渡る。 建長五年(1253年)八月に日蓮聖人が鎌倉松葉ヶ谷に建立した法華堂が本圀寺の起源という。貞和元年(1345年)四祖日静上人の時に鎌倉から京都へ移る。 本圀寺にゆかりの深い人物の一人に、日蓮宗の熱心な信者だった加藤清正が挙げられるが「開運門」(別名赤門)とも呼ばれる

          令和六年四月二十日 大光山 本圀寺(だいこうざん ほんこくじ) 京都市山科区/滝尾神社(たきおじんじゃ) 伏見区/伏見神寶神社(ふしみかんだからじんじゃ) 伏見区

          令和六年四月十九日 神泉苑(しんせんえん) 京都市中京区/平安神宮(へいあんじんぐう) 左京区/建仁寺(けんにんじ) 東山区

          この日は夜、京都でクライアントと会食。折角なので一泊二日で主に龍にゆかりのある寺社参拝の予定を組む。今回は初日分。 朝8時過ぎに京都駅に到着。ここから嵯峨野線に乗り換え二条駅で降りる。先ず目指すは神泉苑。 神泉苑は、延十三年(794)、桓武(かんむ)天皇により禁苑(一般庶民は入苑を許されない天皇のための庭園という意味)として造営された。 平安京(大内裏)の南東隣りに位置し、 南北四町東二町の規模を有する苑池だったらしい。 鳥居をくぐると庭園に朱塗りの「法成橋」。一つだけ願

          令和六年四月十九日 神泉苑(しんせんえん) 京都市中京区/平安神宮(へいあんじんぐう) 左京区/建仁寺(けんにんじ) 東山区

          令和六年四月六日 新倉富士浅間神社(あらくらふじせんげんじんじゃ) 山梨県富士吉田市

          忍野八海浅間神社、北口本宮冨士浅間神社、富士山本宮浅間大社に続き四つ目の「浅間神社」参拝。神額には、平城天皇の勅筆と伝承されている「三國第一山」の文字。ここで称される三国とは、日本・朝鮮・中国のことと考えられている。その三国の中でも富士はNo.1という意味だそうだ。 人皇第四十二代文武天皇の御代慶雲三年(西暦七〇五年)九月九日、甲斐国八代郡荒倉郷の氏神として祀られる。 御祭神は、木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)、大山祗命 (おおやまづみのみこと)、瓊瓊杵尊 (

          令和六年四月六日 新倉富士浅間神社(あらくらふじせんげんじんじゃ) 山梨県富士吉田市

          令和六年三月三十日 鷲宮神社(わしのみやじんじゃ) 埼玉県久喜市

          自由になる時間があったので少し遠出をした。片道2時間強、少し走った気になる。 鷲宮神社は関東最古の大社でありお酉様の本社である。さらによくは知らないが「らき☆すた」というアニメの聖地のため多くのファンが訪れるらしい。 御祭神は、天穂日命(アメノホヒノミコト)、武夷鳥命(タケヒナトリノミコト)、大己貴命(オホナムヂノミコト)。 天穂日命。知識不足のためか、あまり聞きなれない神様。天照大御神と須佐之男命が誓約をしたときに生まれた五男三女神の一柱。天照大御神の右のみずらに巻いた勾

          令和六年三月三十日 鷲宮神社(わしのみやじんじゃ) 埼玉県久喜市

          令和六年三月十日 亀ヶ池八幡宮(かめがいけはちまんぐう) 神奈川県相模原市

          応神天皇を主祭神とし、比売神(ひめかみ)、神功皇后(じんぐうこうごう)、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)、素戔嗚尊(すさのをのみこと)、建御名方神(たけみなかたのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、火産皇神(ほむすびのかみ)が一緒に祀られている。創建は不詳だが、元弘元年(1331年)頃とされる。 往時より社殿の東崖下の池に多数の亀が棲んでいたのが社名の由来とのこと。 鳥居をくぐると右手に「祓戸大神」。唱え言葉を奏上したのち手水舎へ。 手水舎では龍を目にすることが多いが

          令和六年三月十日 亀ヶ池八幡宮(かめがいけはちまんぐう) 神奈川県相模原市

          令和六年三月二日 走水神社(はしりみずじんじゃ) 神奈川県横須賀市

          創建は不詳。御祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)と御后の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)二柱を祀る。 景行天皇即位四十年、東国の騒動を静める勅命を受けた日本武尊は、上総国へ軍船でいっきに渡ろうと船出したが、突然強い風が吹き海は荒れ狂い軍船は波にもまれ進むことも戻ることもできず転覆するかの危機に。その際、弟橘媛命が「このように海が荒れ狂うのは、海の神の荒ぶる心のなせること、尊様のお命にかえて海に入らせて下さい。」と告げ、「さねさし さがむのおぬにもゆるひの ほなかに

          令和六年三月二日 走水神社(はしりみずじんじゃ) 神奈川県横須賀市

          令和六年二月三日 鈴鹿神社(すずかじんじゃ) 神奈川県座間市

          人気の神社と聞いていた上に節分祭の日であったため混雑を予想していたが、 豆撒きが午後からだったこともあってか午前の参拝は十分スムーズに行えた。 「鈴鹿神社は、第二十九代欽明天皇の御代に創祀されたという。伝説によると、伊勢の鈴鹿郷の神社例祭に神神輿が海上を渡御した折、にわかの暴風に襲われ、漂流して相模国入海の東峯に漂着した。里人が社を創立しこれを鎮守とし、鈴鹿大明神を崇め奉ったと伝えられている。」(公式サイトより) 御祭神は、伊邪那伎命(いざなぎのみこと)と素戔嗚尊(すさの

          令和六年二月三日 鈴鹿神社(すずかじんじゃ) 神奈川県座間市

          令和六年一月二十六日 來宮神社(きのみやじんじゃ) 静岡県熱海市

          何かの記事で辰年に参拝すべき神社の一つに挙げられていた來宮神社へ辰年生まれの妻子と。 來宮神社は、古くから來宮大明神と称され、熱海郷の地主の神であって來宮の地に鎮座し、来福・縁起の神として信仰されてきた。 御祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)、素盞鳴尊(すさのおのみこと)の御子である五十猛命(いたけるのみこと)と同じく大己貴命(おおなもちのみこと)。 見どころはこの神社のシンボルともいえる樹齢二千百年以上の「大楠」。幹まわりは23.9m。「幹を一周すると寿命が一年伸び

          令和六年一月二十六日 來宮神社(きのみやじんじゃ) 静岡県熱海市

          令和六年一月六日 雑記

          新年。今年は万年筆で字を綺麗に書くことができるようになろうと思う。 そんなことはさておき、年末二十八日はお焚き上げと八方除・交通安全祈願に寒川神社へ。年が明けて三日は自宅の氏神様である山田(やまた)神社に初詣、四日は会社の氏神様である代々木八幡宮に参拝した。 そして本日は、辰年なので龍のたくさんいるところに行こうと思い、五龍が坐す「田無神社」をボニーと共に目指す。ほぼ二年ぶり、二度目の参拝である。三が日が過ぎたにもかかわらず大安のこともあってか、鳥居に至るまでの歩道にまで

          令和六年一月六日 雑記