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探偵神宮寺マキヒコ、スケッチブックの君

探偵なんて仕事をやっていると時々よく分からない依頼が来ることがあるものだが、その日神宮寺のところに舞い込んできた依頼はとりわけ変なものだった。亡くなった旦那の遺品であるスケッチブック、そこに繰り返し描かれている女性が誰なのかを調べて欲しい、という依頼であった。

依頼人は吉田ヨシエ67歳。亡くなった旦那のヨシオは大学時代のひとつ上の先輩で、3年前に病で亡くなった時は65歳だった。吉田は小さな部品工場を営んでいた。典型的な仕事人間であったが、仕事の無理が祟ったのか脳に腫瘍が見つかり、そのままコロリと逝ってしまったそうだ。家業は長男のヨシハルが引き継ぎ、次男のヨシジもそれを支え、経営も順調であるらしい。

件のスケッチブックは、工場の一角にあった社長室の机の鍵のかかった引き出しの中から見つかった。ヨシオが亡くなってからも鍵が見つからずにずっとそのままになっていたのだが、机を買い替えるにあたってこじ開けた際に発見された。3冊あり、そこに描かれていたのは全て同じ女性だと思われる、髪の短い人物であった。40年以上連れ添った妻のヨシエも、ヨシオに絵を描く趣味があったなんてことは全く知らなかった。絵の腕前は素人に毛が生えた程度でお世辞にも上手いとは言えなかったが、3冊に渡って繰り返し描かれたその人物に対してヨシオが並々ならぬ思い入れを持っていただろうことは明白であり、ヨシエは浮気を疑っていた。神宮寺は途方に暮れながらも、その調査に着手することとなった。

まず神宮寺はそれが描かれた年代を特定することから始めた。驚くべきことに、1冊目のスケッチブックは20年も前のものであることが分かった。絵はその筆致や状況から見てほぼ間違いなく同じ描き手によって描かれたものであり、ヨシオは20年も前からコツコツと同じ人物を描き続けていたことになる。絵は全て黒1本で描かれた写実的な絵柄で、彩色はされていなかった。画材は鉛筆やボールペン、サインペンや筆ペンなどの一般的なものから始まり、3冊目の途中からは漫画用の丸ペンも使われていたが、丸ペンは上手く使いこなせなかったようで、すぐにボールペンに戻っていた。

次はいよいよモデル探しとなったが、それこそ雲を掴むような調査となった。スケッチブックが購入された20年前からのヨシオの交友関係をしらみ潰しに当たることとなったが、会社にも、学生時代の友人知人にも、該当するような髪の短い女性はいなかった。当然妻のヨシエも、こんな髪型だったことはなかった。ヨシエが疑っていた浮気の痕跡も全く見つけられず、どうやらその線はないようだった。身近な人物ではなくアイドルや女優などの有名人かとも思われたが、そこに繋がる手がかりも何も見つけられなかった。もはやこれまでかと神宮寺も匙を投げかけたが、ヨシエの部屋の本棚にあった『ある本』と壁に貼られたポスターを見て、神宮寺の灰色の脳細胞にある推理が閃いた。そうだ、そうだったのだ…!謎は全て解けた。

「奥さん、これは全て、『あなたのために』描かれたものだったのです」
「え…?」
神宮寺の言葉に、ヨシエは目を丸くした。
「これは、あなたの大好きな『あの人』なんですよ。『HUNTER × HUNTER』の、クラピカなんです」
「そんな…でも…」
「そう、とてもそうは見えない。でもね、ヨシオさんは、『絶望的に絵が下手だった』だけなんです。特にこういう、アニメマンガっぽい絵柄がね。だからこんな写実的な絵になっていただけなんです。それでもヨシエさん、あなたのために、あなたに喜んでもらおうと思って、ヨシヒコさんはずっと練習していたんですよ。20年もの間、こっそりとね…」
「あなた…!」
ヨシエは泣き崩れた。ヨシオへの愛ゆえにヨシエが抱いた疑念は、こうしてヨシオの愛の深さを証明する結果となった。20年間、そんな途方もない期間ずっと、妻のためにクラピカの練習をし続けるという愛の深さに、神宮寺は深く感じ入りながらも、一人キャスターマイルドをくゆらせるのであった。

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