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愛をください

愛されたいなぁということを最近よく考える。思えば求める愛がこぼれ落ちてすり抜け続けていく人生だった。自分は愛されぬのだと、愛されぬのはつまり自分に愛される価値がなからだという思いが、胸の中に黒い染みのようにずっとある。

愛とは何なのだという問いは、人類が4000年をかけてなおはっきりと答えが出ないでいる問題だ。僕の求める愛を明確にするために他の言葉に置き換えてみることにしよう。求められたい、必要とされたい、触れられたい、受け入れられたい、尊重されたい……そういう思いの集合体が僕にとっての愛であるようだ。愛されたい、それはつまりこの辺の構成要素が足りていないことになる。求められたい、必要とされたい、触れられたい、受け入れられたい、尊重されたい……イコール愛されたい、なのだ。

何故愛されないのだろうと考えると、結局自分に愛されるだけの価値がない、愛されるに足るメリットがないのだという答えに辿りついてしまう。そうやって少しずつ卑屈になり続けたことで、僕はより愛から遠ざかったように思う。どうせ愛されないなら愛さない方がいい。愛されないことで培われた卑屈は愛することすら遠ざけた。今はそうやって愛のようなものをくれていてもどうせいつかは離れて行くんだろう?愛されない日々を過ごすうちに僅かな愛さえ拒絶してしまう頑なさに至ってしまった。これでは愛されぬのも当然だ。愛されない無限ループの誕生である。愛を拒絶しながら、それでも愛することはやめられず、愛されたい気持ちは捨て切れず、狂おしいほどに愛を求める孤独な獣がここにいる。

愛されたいなぁと思う。こんな自分でもまるっと愛してくれる誰かがいつかやってくるのだろうか?塔の上に囚われた姫のように、ひとり遠い空を見ながら愛を想う。姫は姫だから愛されたんだよ。鏡を見てご覧なさい。お前のような醜い獣を誰が愛すると言うんだい?そんなことを囁いてくる悪い魔女を一刀のもとに切り伏せる。そんなことはない。僕だってきっといつか誰かに愛されるのだ。そうに決まっているのだ。愛から見離され塔の上で孤独に過ごすうちにいつしか僕は異形の姿に成り果てていた。それでもきっと、いつか、誰かが僕のことを愛してくれるんだ!僕の叫びは誰かに届くのだろうか?愛に飢え声にならない声をあげて咽び泣きながら、僕は今日も糞を垂れ流すのだ。

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