タイムマシン渋滞【BFC5】【1次予選通過作】
タイムマシン専用道路クロノウェイは、ウェイというのは名ばかりの、完全な闇に覆われた空間だった。まっすぐ進んでいるのか曲がっているのかすら分からない。スマホにインストールしたナビアプリ以外に、目的地への接近を信じさせてくれるものは何もない。
「まだ着かないの?」助手席の彼女の表情も分からない。スマホのライトを向けるわけにもいかない。やっと漕ぎつけた三度目のデート。今日こそはきめようと、貯金を切り崩して、レンタタイムマシンを借りたのだ。
「もうすぐっぽいよ。ほら」見えないのに、思わず指をさしてしまう。闇の彼方に見えたのは小さな光。ナビの案内する方角とも一致している。肩の力が抜けた。
近付いていくと、光は一つではなく、ずっと先まで点々と繋がっていた。渋滞だ。光はマシンのテールランプだった。
「これ、何出口?」
彼女の質問に、ナビの詳細情報を確認する。「桶狭間の戦いだって」
「マジで! 二十七歳の信長、見たい!」
彼女が声を弾ませた。ここが真っ暗でなければ、さぞかし魅力的な笑顔が見られただろう。ようやく和んだ車内の雰囲気に、ほっと胸をなでおろした。
「何時間待ち?」
聞かれた僕はナビに目を落として、絶望した。「十二時間」
「ラッキー! 桶狭間が半日待ちなんて。やっぱり、有給取って正解だったね」
ラッキーだって? 半日待ってインターを下りたとして、そこから信長を見られるまで、何時間かかるか分からない。クロノウェイに乗るのにも、同じぐらいの時間がかかる。レンタタイムマシンは、一日借りて七十万。一泊すれば百万を超える。とても払えない。
「桶狭間、雨っぽいよ」ナビのタイムリアル情報をチェックする。「傘ないんだけど」
「何やってんの? 桶狭間が雨って有名じゃん。しっかりしてよ」
あからさまな非難の声。しょうがない。僕は彼女と違って歴史マニアではないのだ。ウィンカーを出して本線に戻った。
「あそこの出口は? すいてるよ」
「何出口?」
「長島一向一揆」
「地味ー。長篠の戦いが近いんじゃない」
ナビをチェックする。確かに出口は近いが、待ち時間は二十時間だ。
「合戦は人気があるし、観賞ゾーンも限られてるから、どこも混んでるんじゃないかな。そうだ。『鳴かぬなら殺してしまえ時鳥』って詠んだシーンとか、いいんじゃない」
「それ、後世の人の作り話だから」
気まずい沈黙が流れる。そうこうしているうちに、長篠インターを通り過ぎた。真っ暗闇がありがたい。怒りの表情を見なくてすむ。
「この先、本能寺の変しかないと思うけど」
織田信長、最期のイベントだ。渋滞していないはずがない。恐る恐るナビを覗いた。
――二時間待ち。
自分の目を疑った。タイムトリップでは、どんなマイナーなイベントでも、五時間以上待つのが当たり前。長島一向一揆でも八時間待ちだった。それが二時間待ち? 本当にそうなら、願ったりかなったりだ。
「どんなに混んでてもいいよ。行ってみよう。だって、信長が見たかったんでしょ」
「ほんとに? ありがとう!」
ちょっと心が痛んだが、懐が痛むよりずっといい。マシンを進めていくと、見えてきたテールランプの列は、明らかに少ない。
「あれ、すいてる? なんでだろう」声が上ずらないように注意して、困惑を装う。
「みんな、本能寺の変が混んでると思って、ここの前で下りちゃうのかもね」
それから二時間。彼女の信長への愛をたっぷり聞きながら、その愛が僕に向かう瞬間を思い描いた。
クロノウェイを下りてマシンから出ると、目の前には炎を上げる本能寺。大迫力だ。次元のはざまと現実世界の縁には、太めの白線が引いてある。この内側で鑑賞してください、という意味だ。
「信長、どこかな」彼女に尋ねた。
「中に決まってるでしょ。バカじゃない」
すいている理由はこれだった。やらかした。完全に不興を買ってしまった。この先、挽回のチャンスはない。僕は意を決して彼女の手を取ると、白線の向こうに飛び込んだ。
「何? まずいって」
「大丈夫だって。鑑賞するだけで、干渉しなければいいんだから」
冷たい視線を無視して、炎上する本堂を遠巻きに、ぐるりと回っていく。どこかから中が見えるかもしれない。あるいは、本堂の崩れる瞬間ならと、炎の隙間に信長の姿を探す。
体中があつい。炎のせいなのか、彼女の手を握っているからなのか、分からない。
やがて本堂の裏手にたどりついた。そこには、明らかに異質なオーラを放つ人物がいた。
「え? もしかして、信長……」
歴史が変わってしまった? そんなはずはない。僕らは白線を越えただけ。誰とも会話してないし、人に見られてすらいない。
「ヤバ。めっちゃタイプ」彼女はうっとりした表情を浮かべている。いや、問題ない。歴史上、彼はここで死ぬんだから。
彼女が吸い寄せられるように一歩踏み出した瞬間、信長が動いた。僕との距離を一気に詰め、刀を振り抜いた。僕は切られたとも分からない間に切られ、そのまま信長に担ぎあげられた。
何をされるのかは分かっていた。
燃え盛る本能寺に投げ入れられた僕は、薄れゆく意識の中で、彼女と信長が手に手を取って消えていくのを見ていた。最後に思ったのは、歴史が変わらなくてよかった、ということだった。
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