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見るのが100倍オモロくなる西洋美術史 PART-12【後期ルネサンス美術】1530年~1590年

一般的にマンネリというと、「ワンパターン」だとか、「新鮮味がない」、「ありきたり」など、どうしてもネガティブなイメージがあると思います。

日本語の「マンネリ」は英語の「マンネリズム」を略したものです。「マンネリズム」の語源はフランス語の「マニエリスム」が由来で、これは後期ルネサンスの美術様式を指します。

マニエリスムはざっくり言うとルネサンスの巨匠ミケランジェロたちの手法を徹底的に模倣したものです。そして19世紀までは型にはまった生気のない美術作品群という評価をされており、絵画の衰退時期などといわれていました。そういったことから、マンネリという言葉が日本でもマイナスイメージで使われるようになったわけです。

しかし20世紀に入ってから、マニエリスムは再評価をされることになります。

奇怪なマニエリスム

マニエリスム(後期ルネサンス)は1530年ころから1590年ころまでの時期にイタリアを中心に栄えた美術の様式です。盛期ルネサンスの巨匠の様式(マニエラ)を手本として、それを習得するため反復し、さらには誇張することで、技巧を凝らした奇想で奇抜な表現形態となっていきました。

長い首の聖母/パルミジャーノ 1535頃

マニエリスムの特徴は、奇妙なほど引き伸ばされ、曲がりくねったようにねじられた人体がまず挙げられます。また、極端な高さに配置された遠近法の消失点の配置、奥行きのない平面的な構成などもその特色といえるでしょう。さらには人間に重量感がなく、まるで浮いているような描写、明暗のコントラストの非常に激しい色彩も人工的で不自然です。

もうひとつマニエリスムの特徴として、マニエリスムの画家は宮廷のパトロンを得たことから、市民でもわかりやすい芸術から離れ、宮廷の学者や識者などインテリ好みの作品を作りました。これらの作品には一部の教養ある者にしか通じない謎の多い寓意表現がほどこされ、人体の不自然な誇張、人物の表情には仮面のような冷たさが見られます。

結果としてマニエリスムの作品は、自然を手本とせず、ルネサンスの巨匠を模倣しつつ奇をてらっただけの、創造性に欠けた退廃芸術という烙印を押されることとなってしまったのです。

マニエリスムの再評価

無原罪の御宿り/エル・グレコ 1607~13

しかし1956年の『ヨーロッパ・マニエリスムの勝利』展などをきっかけにマニエリスムは評価されはじめます。当時、ドイツ表現主義や抽象主義の勢いが盛んとなっており、そこでマニエリスムの表現主義的、あるいは抽象主義的な側面に光があてられました。

芸術の目指すものがいつでも自然の模倣であった時代にあって、マニエリスムは自然を超えた精神表現を目的としているものと考えられたのです。この精神表現にまで到達したのがミケランジェロら盛期ルネサンスの巨匠であり、彼らの作品から高次元の技法を学ぼうとしたのがマニエリスムの作家たちであったと見なされるようになりました。

作家性の芽生え

十字架降下/ヤコポ・ダ・ポントルモ 1526~28頃

マニエリスムは盛期ルネサンス期に確立された均整と調和を大胆に崩し、極度の作為性や主観性と技巧を追求した様式です。特にその抽象性は評価に値すべきものとされています。さらに、この時代には作家性ともいうべき、美にたいする自我の芽生えがみられることが注目すべき点です。そういった意味でマニエリスムは美術史において、無視することのできない重要な時期だったといえるでしょう。

※参考文献:西洋美術史(美術出版ライブラリー 歴史編)/鑑賞のための西洋美術史入門(リトルキュレーターシリーズ)/Wikipedia

※タイトル画像は「ガブリエル・デストレとその妹」/フォンテーヌブロー派 1594年頃




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