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考えることと動くこと

最近になってやっと行動しながら考えることの大切さがわかってきた。

読者のみなさんは「いまさら!」という感じかもしれないが汗、僕にとってはそれをやっと「体感」できたという感覚がある。

このところ自分の働き方を「考える」時間が多く、どうにか自分の強みを仕事に活かせないかと何かパズルのように、頭の中で組み合わせて眺めたり、ちょっと期待したりしていた。例えば、アートを展開できないかな、自分の英語力はもっと生かせるのかな、それらと幼児教育において自分が感じている課題感と掛け合わせられないかな、などなど。

そこで、自分のアートを売ったり依頼を受け付けたりしてみた。英語のオンラインレッスンを開始してみた。するとこれまで考えたことがなかった「具体的な疑問」が生まれた。波打ち際の色は何色?be動詞ってどう説明する?領収書って何を書けばいいの?そうして波打ち際をよく観察したり写真を見たり、be動詞をもう一度意識して英文を読んだり、「領収書 書き方」とGoogleで調べたりした。するとこれまで知らなかったことを知るようになった。

「りゅうくん、行動の積み重ねですよ。行動を積み重ねると、それがノウハウになるんですよ。そうしてるうちに考えも変わるかもしれない。コンセプトは後からついてくるんですよ。」

これはつい最近友人が言った言葉だ。そこに自分の弱点が言語化されている気がした。

「コンセプトは後からついてくる」

この言葉は一見逆説的だけれど、そうなのかもしれない。よく考えると、小さい頃に夢中になっていたことが、自分の中に思想を創り出している。いわば自分が生きていく上での「コンセプト」みたいなものだ。何も生まれた瞬間から生き方を決めて、それに従って動いてきたわけじゃない。

これまで自分は行動をする前にコンセプトに固執しすぎていた気がした。しかし、コンセプトは始まりでも、かと言って終わりでもなく、景色みたいなものなのかもしれない。景色は止まらないし、急に変わることもない。写真とも映画とも違う。変わり続けながら、つながり続ける。

そして動いているようで動いていなかった自分がさらけ出された。
イギリスの大学に行くという大きな行動をした自分だからこそ、自分の行動力を過信していたのかもしれない。
「まずはやってみよう!」と日々子どもたちに言っている自分だからこそ、自分は行動を意識できていると思い込んでいたのかもしれない。
多動で落ち着かない、「待て」ができない自分を認識しているからこそ、自分は行動しているのだと勘違いしていたのかもしれない。

とはいえ確かに行動はしていただろう。でもそこには具体性が欠けていた。抽象的なコンセプトに、抽象的なステップでたどり着こうとしていた。でもそれではいつまでたっても抽象的なまま。「いつか」のまま。

そうではなく、具体的な行動をして、それから考える。そうすると、足元から景色が伸びていく。その景色は辿り着けるに違いない。そのために、歩き続けなければいけない。


そんなことを、今になってやっと体感的に気がついた。

Thinking through Making

この言葉を知ったのは、高校1年生だったんだけどなあ...笑

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