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なんで不登校にならなかったの?

僕は学校には行っていたけど、本当にいやでたまらない時期があった。
というか長かった。

一番最初にそれを自覚したのは小学校2年生の時。
担任が、現在ではニュースに載るくらいの体罰教師だった。
どのような体罰かはここでは省くが、とにかくことあるごとに痛い思いをした。

当時はそんな時代だったかというと、ちょうど体罰が問題になり始めた時代。
「体罰」という言葉の存在もその時知った。
ではその担任は問題になったかというと、

「教育委員会に連絡しようか?」「いやでも他の保護者も何も言っていないし・・・」

と言った空気が保護者の間で流れていることを、子供ながらになんとなく感じ取っていた。
(教育委員会という言葉もこの頃知った)

現在だったら完全にアウトだ。
そう思うと、現在はずいぶん優しくなった・・・
と言うつもりはないが、そんなことよりも昔の自分はそんな中なんで学校に行けていたのか、そちらに興味を感じている。

実際なんで不登校にならなかったのか?
いくつか要因が思い浮かぶ。

友達がいる

担任もいやなら勉強もいや。人とそんなにしゃべる方でもない。
そんな僕でも友達の存在はあった。
彼らとゲームやマンガの話をするのは好きだった。

ズル休みという言葉

この言葉に表されるように、学校を休むということ自体がネガティブな時代だった。
それは学校も親も世間も、そして自分たちでさえもそう認識していた。

ひとたび学校を休めば、世間の目が気になる。
それは小学生だった自分にも感じられた。

もともと鈍臭い自分だ。
学校に行けば怒られることなんていくらでもある。
前の日の夜は決まって行きたくない気持ちになる。
そんな時に思い浮かぶ言葉は、「学校に行かなきゃ」

社会の中にいたい

「不登校」という言葉がなかった。つまり、みんな学校に行っていた。
学校には行くものだと言う理解だった。
学校に行かないという発想がなかった。
それが社会だった。
親も、自分も含めて。

この社会の中にいたい。
そう思ったら、学校の外に道があることなど思いのほかだった。

なぜ不登校にならなかったか?

なんで不登校にならなかったか?
と聞かれると、
「ガマンしたから」
と言う答えにしかならないことに、自分でも書いていて気がついた。

ではなんでガマンしたのか?
と聞かれると、
「ガマン以外の道を知らぬ」
と答える。

この話は、ユクスキュルの環世界の話に似ている。

小学生にとっては、学校は人生と同じ意味だった。

人生の外の世界なんて、そこに世界があることも知らない。

ある意味、学校という人生の中に生きていただけなのかもしれない。

今では、学校だけが人生ではないことは、社会の認識になった。
人生の外に、道を拓いたようだ。
僕もそんな想いをしてきたからこそ、思い込みの外に道があることを強く意識している。

たとえ社会がそう言ったとしても、その外にだって道がある。

そんな考えに辿り着いたのだから、そしてこの経験が誰かのお役に立てれば、この頃の経験も悪くはなかったと思ってしまう。

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