記事一覧
大入りで言おうとしていることの9割は言えない
かと言って原稿を用意するのはクサい。こういうのは大入り後にやるべきだろうが、温めて大入り後に出すものでもない。今の感情は今出したい。
寺腰脚本を外から見るのは初めてだった。だから、正直見るのが怖かった。
本番まで楽しみにとっておきたいから!と言って脚本も稽古もゲネも見ずにいた(音照稽古の横で折込作業やってたときはさすがに目を奪われたが)が、楽しみに取っておきたいなんて考えは無くただ見たくなかっ
意図はインフラのように
その信号機の待ち時間は少し長く、その商店街にチェーン店の面影はない。その橋からは無数の線が伸びており、その先にはやけに丁寧に舗装された、しかし誰も通らない道路がある。競艇場。その中のコンビニの品揃えは、やけにアルコールの類に偏っていた。
大抵の街は、画面を見ながら歩く。この通りに同じチェーンのコンビニが2個も立ち並んでいるなんて、10数年暮らしてきたのに今の今まで気づかなかった。そもそもコンビニ
公演後に稽古場日誌のようなものを作るかもしれないと聞いたので、覚えているうちに勝手に下書きを書いてみて途中から雲行きがあやしくなって没にしたもの。
タイトルが下手くそである。
千秋楽の第五幕。出番が終了し、カーテンコールを除いて舞台に出ることはもう無い。二度と月岡米次郎を舞台で演じることはできない上、余程のことがない限り(寺腰脚本なら有り得るが)この役を誰かがやることはない。キャラクターとしての月岡米次郎は終わった。寺腰玄に作られ、蓮池龍慈が演じて終わった。余りにも良いキャラクターだった。三ステージ目で出番がもう少し多ければな、と思い始め