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雑感#13 ウィズコロナの世界

プロローグ

新型コロナウイルスが世界中に猛威を振るっているが、これはいつまで続くんだろうか。

ワクチンができるまで最短で18ヵ月とか、指数関数的に伸びている感染者数の増加ペースを緩やかにすることが大事だとか、立場によって様々な文脈で情報発信されているが、その中で“アフターコロナ”“ウィズコロナ”という言葉も見かける。

アフターコロナは分かりやすい。終息した後の世界がどう変わるかという話だ。

しかしウィズコロナはいまいちイメージがつきにくかった。

ただ最近、なんとなくこういうことなんだろうかと思うことがあったので、自分のイメージを発信することで、「そういうことはあるかもね」とか「こんなことも考えられるよ」とかコメントがもらえるんじゃないかと期待して書き留めておこうと思う。

ウィズ風邪、ウィズインフルエンザという言葉はない。

毎年流行し、少なくない死者を出しているインフルエンザは、すでにこの世界にあって当たり前のものであって、わざわざウィズインフルエンザの世界だよねとは言わない。

ウィズコロナの世界でも同様に、毎年感染する人がいて、毎年いくらか死ぬということなんだろう。

小さい頃に一度打てばいいのか、インフルエンザの予防接種のように毎年なのかは分からないが、ワクチンを打つのも当たり前。

ワクチン接種していない人は「え?やってないの!?」とビックリされるレベルまで当たり前になるんだろう。

その頃には、もはやウィズコロナという言葉はない。

そう考えると、漠然とした恐怖しかなかったウィズコロナという言葉に対する印象が変わってきた。

感染症に対するリテラシーがあがり、マスク、手洗い、流行時は3密を避けるなど、新型コロナの影響でこれはもう常識になった。

咳・くしゃみなどの飛沫に敏感になったり、不特定多数の人が触るものに触れたくなくなった。

小銭すらあまり触りたくない。(紙幣はなぜか平気。不思議)
キャッシュレスはさらに進むだろう。

オンライン化と生産性の可視化が進む

誰もが認識しているように、リアルで対面しなくてもオンラインで全然いけることもたくさんの人が気づいた。昨年度からグロービス経営大学院で学んでいて、通学とオンラインを組み合わせていたが、今は全てオンラインクラスに切り替わっている。

オンラインだと学びが薄いのでは?と思うこともあったが、全然そんなことはない。そもそも学びの深さというのは、変数が多すぎてリアルかオンラインかという二項対立で語ることがナンセンスだ。

強いて言えば、リアルでクラスメイトに会えなくて寂しいということくらいだ。

仕事が在宅勤務やオンラインに変わっている人も大企業を中心に増えている。中には、在宅勤務中に暇をもてあまし、それでも動いている会社や社会を眺めながら「自分の価値っていったい…」と悩んでいる人もいる。

リアルでの対面や会社への出勤、通学というスタイルが、移動という生産性のない時間にどれだけ自分の時間を費やしていたか思い知った。

日本では、だいたい1日8時間の週5日、週40時間が平均的な労働時間だが、そのうち直接的に生産性のある仕事をしていたのは何%くらいだろう。生産性のある仕事に付随する生産性のない時間のほうが多かったんじゃないかと思うくらいだ。

実際自分も大学院で3時間のクラスを受けるために、車と新幹線で往復4時間の移動、ホテルのチェックイン/アウト、バッファの時間などを含めると、本当に必要な3時間のためにその何倍もの生産性のない時間を費やしていた。

その移動時間が強制的にカットされた今、有効に時間を使えるようになった。

そして、リモートワークが当たり前になると、「おい!お前サボってんじゃねーぞ!」と目視で監視できていたものが、見えなくなる。

そこはすでにテクノロジーが解決してくれていて、パソコンでどんな作業を何時間やったかはモニターできるらしい。ごまかしはきかなそうだ。

テクノロジーでモニターできないものは自己申告で業務報告になるが、大抵のものは生産性を測定する(できる)ようになるだろう。そうすると会社にとって負の資産と化す人も出てくるかもしれない。

ファイナンスクラスの講師が、「会計基準の変更により使用権も資産計上しなければならなくなった(オペレーティングリースの資産計上)。そのうち社員の価値を資産計上し、給与以下の働きだったら減損処理するようになるんじゃないか。」と冗談半分で言っていたが、マジであり得るんじゃないか…。

少なくともその人が生み出す付加価値と整合した給与体系を作らなければならないだろう。終身雇用や定期昇給の時代は終わった。

リアル体験はますます価値あるものになり、人間関係の悩みは減少?

移動しなくてもオンラインで会えるし、仕事もできるようになると、人と会う機会も減ってくる。実際リアルで会う数も頻度も激減した。

会社で8時間も一緒に仕事をしていると、人間関係の摩擦も出てくる。しかしあまり会わない人とは摩擦も少ない。

自社でフレックスとリモートワークを取り入れた時、副効用として不要な感情の対立が減ったように思う。これは社員も言っている。たまにしか会わないから、リアルで会う時間に希少性が産まれ、人を大事にするようになるのかもしれない。

また、モノ消費よりコト消費が重要になってきているが、これがさらに価値あるものになると思う。

本を読み、ネットで検索し、静止画や動画で色んなことを知ることはできるが、実際にその場所に行き、人と会い、触ったり、匂いや味を感じたり、現場ならではの空気感や雰囲気を感じたり、音に耳を澄ませてみたり風を感じたり、生で体験する価値というのは代替品がない。

進化したVRなどでリアルと変わらない体験をできるようになるのかもしれないが、それはもう少し先の話のようだ。

思いつくままにつらつらと書きなぐってきたが、不可逆的な変化の真っ最中にいながら、どこかで「終息したら今までと同じじゃない?」という思いもある。

友人の、医師でジャーナリストの森田さんはブログでこんな思いを吐露し、危惧している。

これも大事な視点だ。

それぞれの文脈があるので、絶対解があるわけではない。

出元が不明な情報を鵜呑みにしておろおりしたり、ここぞとばかりに政権批判に終始するようなものは見飽きた。これを機にそれぞれが自分の頭で深く考え、社会が進化していけばいいなと思う。

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介護サービスの会社を経営しながら、経営学を学ぶため大学院に通っています。起業前の13年間は特養で働いていました。介護現場と経営と経営学、時々雑感を書いています。記事は無料ですがサポートは大歓迎です(^^)/