非常でも貪って。

「ごめんなさい。今の貴女に、愛をあげる事はできないわ」
 申し訳なさそうにそう言う先輩を前に、後輩は早くも、ヘドロのようなやりきれなさを感じていました。わかりきってはいましたが、やはりはっきりと拒絶されました。しかし後輩は自身の中で、諦めという終わりを全て受け入れることができず、こみ上げてくる涙を抑えて、乱暴に口を開きました。
「どうしてですか」その震えた声に、後輩は自分でも驚いてしまいました。
 目の前の先輩は答えません。答えたくない、とその目が言っていました。
 後輩はそんならしくない先輩に更に言います。「……女同士、だからですかっ」
「ええ、そうね……」先輩の目線は、やはり後輩の顔を捉えてはくれませんでした。
 先輩のその氷のような血相に、後輩は絶句してしまいました。
「それじゃあ……」先輩は何も言わない後輩に申し訳なさを込めた目を向けて、それきりで去ろうと脚を動かしましたが、しかし諦めという結果を迎えたくは無かった後輩は、「いやだっ」と小さくこぼしながら先輩の片腕を握ってしまいました。途端に先輩の低すぎる体温が、先輩が着ている制服であるブレザー越しに伝わってきました。
 後輩はすかさず、「あっ、ごめんなさい……」と言いながら先輩の細い腕、枝のような細さがある腕を離しました。
「私と、そういう関係になりたいのなら……」縮こまっている後輩に、先輩は言います。「私のお願い、一つ聞いてくれる?」
「お願い……」
 先輩のその発言は、後輩にとって救済でした。まるで暗闇に差し込まれた一筋の光か、あるいは地獄に垂れ下がってきた天に続く一本の糸のような、なんとしてでも有効活用しなくてはならないものでした。なので後輩はすかさず、「なんでしょうか」と先輩に訊ねました。
 しかし先輩は、「……聞いてくれる?」としか言いませんでした。
 後輩は察しました。お願いの内容よりも先に、まずは言う事を聞くのかどうかを問われているのです。それには相応のリスクがあります。聞けると言った後に出されたお願いが、もしも聞くことができないようなお願いだった場合、先輩を幻滅させるだけではなく、お付き合いすることすら叶わなくなってしまいます。後輩にとって、それは絶対に避けなくてはなりませんでした。なので多少のリスクを負うことになっても、ここはしっかりと、「聞きます」と言うしかありませんでした。
「そっか」どこか安心したような、ほんのりとした笑みを浮かべる先輩を見て、後輩は改めてこの人が好きだと思いました。
 そんなふうに見惚れていたせいで、後輩は先輩がブレザーの内ポケットからナイフを取り出すのを見逃していました。
「じゃあ、私に殺されて」
「え」
 後輩が先輩の持つ銀色を見て戦慄した瞬間、先輩は勢いよく後輩の胸を押し、そのまま屋上の地面に押し倒してしまいました。
「せんぱい……?」景色が目まぐるしく回転し、その後、後輩は背中にはゴツゴツとした違和感を、腹部には重みを感じていました。
「私、本当は貴女のことが好きなのよ……」
 青空を背にした先輩の顔。それは美しくも狂気に満ちていて、手元にあるナイフがとても良く似合っているなと、後輩は思ってしまいました。
「でも、私は人を愛しちゃいけないの……」
「先輩……」
 後輩は言いながら、やはり察しました。そしてできるだけ優しい目で、すべてを受け入れているよとわかるような声で、「いいですよ」と一言だけ言いました。
「ありがとう……本当に」ナイフを逆手で構える先輩の頬には、涙な線となって流れていました。後輩の唇にそっと自身の唇を乗せると、それからすぐに後輩の喉元にめがけてナイフを振り下ろしました。
「がはっ……」ナイフの刃が全て入った後輩は、すぐにかすれた声を出して、小さく吐血しました。痛みはありましたが、それも先輩からの贈り物だと考えれば苦しくはありませんでした。後輩にとっては、それで良かったのです。それで先輩から愛してもらえるのなら、たとえ命が無くなったとしても、なにも悲しくはありませんでした。
「ありがとう……ありがとう……」ナイフをしっかりと握っている先輩は、呟くように後輩への感謝を連呼しながら、荒れている呼吸をそのままにナイフを引き抜いて、そして再び後輩の喉に振り下ろしました。「ふんっ!」という低めな可愛らしい掛け声と共に下ろされた凶器は後輩の真っ赤な喉に再び刺さり、今度は根本までが喉の中に入っていきました。
 後輩はさっきよりも大きく吐血をしました。それから体の感覚が、少しづつ鈍くなっていきました。目の前の涙を流している先輩が、その存在そのものがどこか遠くへと行っているような感覚なのですが、それはどちらかといえば、先輩が遠のいているというよりは、自分自身が深い闇へと落ちているような感覚でした。
「あいしているわ……さようなら」瞳の美しい黒色が消えていく後輩に、先輩はニタリとした笑みを作りました。
「さ、よ、う、な、ら……せんぱい……」
 その瞬間後輩は、人生最大級の幸せを感じていました。

「素敵よ。……その姿なら、愛してあげられるわ」

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