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〈愛〉とは何かに関するメモ

〈愛〉とは何か。

感情的、あるいは、身体的に紐づいた物語の結晶だと思っています。それは、佳きことも、悲しきことも、病める時も、健やかなる時も、互いの間に流れた時間であり、感情の揺らぎの蓄積です。それはそれぞれのナラティブ(物語)となり、生きる支えとなります。

ゆえに、「愛が深い」とは、その物語の総量(あるいは濃度)が高いことを指し示します。おそらく、それは特定の「誰か」に限ったことではなく、複数の「一対一」を集積した物語の総量として算出されます。

物語の発酵、熟成が相手への印象に影響を与えます。たとえば、その人物の長所に惹かれることは自然な傾向ですが、愛(物語の発酵、熟成)はその人物の短所を愛おしいものだと感じさせます。

そこに時間や感情の蓄積がなければ、短所は単なる「短所」に過ぎず、欠点を含めたその一個体が「個性」であると認識することはできません。それを「愛おしさ」や「個性」だと思わせる力が、物語にはあるのです。

ギフト

基本的に〈愛〉はギフトの概念で機能します。

つまり、それは「贈与」という形式であり、「交換」される対象ではありません。無償で授かるものであり、見返りを抜きに渡すものです。「交換」の概念しか頭にない者にとっては、〈愛〉を循環させることはできません。膨大な物語の結晶を持ち合わせていても、それを渡す方法を知らなければ、扱うことはできないのです。

一つのヒントとして、〈愛〉を授かることは重要な体験です。見返りを求められないギフトを手にした時、その者は〈愛〉について考えます。〈愛〉をたくさん受けた人が、〈愛〉を贈ることに慣れていることはそのためです。

〈愛〉は「交換」とは異なると書きましたが、その仕組みは経済と似ており、循環させた方がより大きな効果が生まれます。それは、物語のきっかけとなり、世の中の〈愛〉の総量を増やすことにつながるからです。

ダイアログ

〈愛〉とは、感情的、あるいは、身体的に紐づいた物語の結晶と述べました。その物語をなめらかに導入する方法が〈対話〉です。

〈対話〉とは、関係性を構築する営みです。つまりは物語が生まれるきっかけとなる行為。〈愛〉の種になり得るのではないかと考えています。

それぞれのナラティブ(物語)を紡ぎ、合わせ、編み上げる。それが〈愛〉のカケラに精製できるのではないか?

そのようなことを考え、日々、実験しています。


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