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サン=テグジュペリと澁澤龍彦

快晴、ゴルフのレッスン。

昨年からはじめた運動。趣味でもなく、もちろん仕事でもなく、ひとえに運動。職業柄、机の前で座っていることが多い。カタカタとキーボードを打って日々が過ぎてゆく。ベビー用のハピネスウォーカーみたいに、あるいは、フリーザが乗っていた小型ポットのように。机と椅子はわたしの一部となっている。多角的な検証を試みたが、どの視点から考えても不健全である。「太陽を浴びて動かなければ」と妻が勧めてくれた。

妻の父がゴルフレッスンの運営をしている。利益は求めず、ほぼ社会貢献に近い。参加者から幾ばくかの会費を集め、レッスンプロを招いて教わる。義父自身も80半ばを超えてなお、いまだにコースを回っている。昨年、人生で二度目のホールインワンを達成し、にぎやかにパーティをひらいた。

わたしが机と椅子とのケンタウロスとは言いつつも、もちろん取材でいろんな場所を訪れている。歩く、歩く、歩く。新幹線の発車時刻に間に合わないおそれがある時には小走りもする。だが、レッスン初日、練習場で100球打っただけでくたくたになった。想像はしていたが、現実はさらに厳しかった。そうか、ここまで体力がなかったのか。わたしは、ゴルフを続けることを決めた。趣味でもなく、ひとえに運動として。

空が青い。

朝から身体を動かすと、気持ちがいい。透き通る空気が、細胞一つひとつをぴちぴちと弾けさせる。人生というゲームの成功者になった気分だ。「朝」はそれだけで価値がある。命が尽きる時を選べるならば、朝がいい。きっと身体も死にたくなくなるだろうから。

ゴルフは、奥が深い。そんな浅いことばは、ゴルフというスポーツが発明されて以来、有象無象がさも自分が思いついたかのように口にしてきたことばだと思う。かくいうわたしも、もっともらしい表情でそんなことを言ってしまえる厚かましさがある。

何が良いかと言えば、クラブだ。道具を扱うスポーツが、わたしは好きだ。ゴルフとは、身体とクラブとの対話なのである。クラブを扱おうとしてはいけない。上手に操ってはいけないのである。不便な道具を軸に、“わたし”がどう関わるかを考えなければならない。まさに対話なのである。

相手を管理しようとすると、人は離れてゆく。それと同じこと。“わたし”と“あなた”が同一の生物となり、関係性を築いてゆくはたらきが対話的な姿勢となる。この場合、“わたし”は身体であり、“あなた”はクラブとなる。身体とクラブが対話的関係を結んで共存する。すると何が起こるか。クラブを通して、わたしは“わたしの身体”を知るのだ。これは、「クラブをうまく操ってやろう」と思う態度では到達できない。

ぼくら人間について、大地が、万巻の書より多くを教える。理由は、大地が人間に抵抗するがためだ。人間というのは、障害物に対して戦う場合に、はじめて実力を発揮するものなのだ。もっとも障害物を征服するには、人間に、道具が必要だ。人間には、鉋が必要だったり、鋤が必要だったりする。農夫は、耕作しているあいだに、いつかすこしずつ自然の秘密を探っている結果になるのだが、こうして引き出したものであればこそ、はじめてその真実その本然が、世界共通のものたりうるわけだ。これと同じように、定期航空の道具、飛行機が、人間を昔からのあらゆる未解決問題の解決に参加させる結果になる。

『人間の土地』 / 訳:堀口大學

サン=テグジュペリの『人間の土地』の冒頭。わたしの大好きな一節を、ことばの採集とした。彼が職業飛行家だったことは有名な話。わたしたちは、道具を通して真理へと到達する。それは、道具との対話によって導き出されるものだと、わたしはそう考えている。

ゴルフは、奥が深いのだ。まだ、レッスン四回目だけれど。

黄昏時にひらいた対話パーティ(TwitterのSpacesでのインタビュー)。

ゲストはフォトグラファーの丹野徹さん。創作についてのライフヒストリーを伺いながら作品づくりのプロセスを聴いた。丹野さんは、10代から20代にかけて音楽を制作していた。「今までにない音楽を」と志して、精力的に楽曲づくりに励んでいたという。ただ、「まったく新しいものは、人には受け入れられない」とその道を断念する(「圧倒的なものをつくることができれば話は別だが、自分にはその才能はなかった」と謙遜されていた)。

十数年前、何気ないきっかけからカメラを手にして、仕事で培ったデザインの技術で写真を素材とした空想の世界を作品へと昇華させてゆく。それは、限りなく現実に近い虚構の世界。リアリティのある動物たちは、素材を重ねたり、加工したり、デザインしたりしたこの世には存在しない姿。陶芸家が土をこねるように、素材をコンセプトと合わせてこねてゆく。まるで、現実世界に生を預かり、緑翳で静かに鼓動を打つ野生動物のような息づかいを感じる。

これは、わたしの想像だが、音楽を制作していた時の「まったく新しいものは、人は受け入れない」という発見の獲得から、「知っているけれど存在しない(ある種の懐かしさ)」をつくり出したのではないだろうか。だから、人は丹野さんの作品の前で足を止める。違和感を覚えるのだ。“知っているけれど、知らない”ということに。それは無意識の中で発生することであり、鑑賞者はそれに気づくことなく目の前の幻想世界へとダイブしてゆく。

現実の仕組みに、精緻に組み上げられた虚構。

澁澤龍彦

そのことを伝えた時に、丹野さんは澁澤龍彦氏のことばを引用してくれた。いしかわじゅんの小説を読んだ氏が、作品を評したことばだ。この一節が、丹野さんのこころに深く刻印された。「写真を撮るならば、このコンセプトを土台に組み上げていこう」。そうして、今の作風が生まれてきた。

虚構におけるリアリティは、時にリアル(現実)を超えて真理へと到達する。

その後も、人間の感知によって静寂の感じ方は変わる。つまり、多様な静寂についても盛り上がった。この話を書くと、日記が終わらなくなるので今日はここまでとする。


「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。