中学2年の秋。うつ病との生活が始まりました。

こちらの記事の続きです。

小学生の頃の私はサッカーやテニス、書道に水泳などいろいろなことを学んでいました。両親は私がやってみたい!ということは何でもやらせてくれ、挑戦を何度もさせてくれました。

その中でもテニスとサッカーは小学校卒業まで続けていました。(嫌な時もすごく多かったけど...笑。)
中学生になったら勉強と部活を頑張るぞ!と決意して中学校生活をスタートさせました。

部活はテニス部を選び、勉強は理数系が好きだったので毎日ではないですがテスト2週間前からは平日で6時間、土日で13時間ほど勉強をしていました。ただひたすらに勉強に励み、順位も上位15%以内には入ることができていました。

部活では小学生時代のテニス経験があったこともあり、先輩の試合に連れていってもらい試合に出させてもらったり、団体戦では一緒に戦わせてもらったりしていました。

そのような学校生活を送って無事中学2年生に進学しました。

中学2年生では、部長になることも決まり、勉強も順調でこのままいけば偏差値68くらいの高校へ進学しようと考えていました。

ですが、そのような中、11月に体調に異変が起こります。

最初に起こった異変は泣き続けるということでした。当時交際していた彼女と揉めて一度泣き出すと涙が止まらなくなり、勉強机の上が一面濡れるくらい泣いて泣いてそれでも収まりませんでした。

テスト前になると、勉強をやらないといけない、事前に決めた勉強時間は必ずやらなければならない、やらなかったら罪悪感に襲われるくらい気を引き締めていたので、そのストレスも併せて背負いました。

塾にも行けなくなり、そのことを両親、祖母からも責められてこのままだとやばいよ、高校いけなくなるなど不安も募っていきました。

ついには学校にも休むことが多くなりました。休みを取る日は朝起きると体が重すぎて「あ、今日も学校行けないな」と頭の中では思い浮かぶのですが体調を親に聞かれても返答することもできず、目線で伝えて休みをとっていました。

一日中横になってトイレに行きたくなっても我慢をし、我慢の限界がきたらやっと身体を動かしてトイレに行き、すぐに自分の部屋に戻って横になる、またはゲームをする、という生活になっていました。

幸い、友達には恵まれており、ゲームで一緒に遊んだり時々体調を気遣ってくれてうれしかったことを今も覚えています。本当に感謝しています。

そのような日々が続き、父親もうつ病を経験したことがあるということもあり、一度精神科を受診することになりました。

親と一緒に受診をし、最初に家族構成や悩み事、親族でうつ病になったことがある人がいるかなどの通常の内科などでは行わないようなことをしたのを覚えています。

診療を終えて医師と会った際に言われたときは「うつ病であろうと、思います。」とのことでした。

私は受診する前からこれは絶対うつ病だ、お父さんもそうだったし僕もうつ病になったんだ、と謎の確信があり、やっぱそうだったんだと思いました。

だけど、医師の方からうつ病です。と言われると精神的に少しダメージを受け、向き合っていかないといけないんだな、無理をしちゃいけないんだな、完璧主義を変えていかなきゃいけないんだなと、これからしていかなければいけない考え方や飲み続ける薬も出て、これはこれで大変になるんだなと思いました。

今回はここまでにさせていただきます。うつ病に初めてなってから診断をされるまでを簡単に書かせていただきました。次回は、治療開始から落ち着くまでのことを描きたいと思います。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

RYOTA

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