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世界から僕が消えたなら

もし、世界から僕が消えたなら。

何も世界は変わらないだろう。すぐに忘れ去られ、当たり前のように日常は過ぎていく。

そんな刹那の中を生きることに、何か意味があるのだろうか。

どんな命も例外なく朽ちていく。寿命を全うして朽ちていくものもあれば、突然朽ちていく場合もある。


もし、世界から僕が消えたなら。


誰が悲しんでくれるだろうか。誰も悲しんでくれなかったらそれはすごく寂しい。

でもあまりにも悲しまれすぎると、そんな大げさなって気持ちになってしまう。なんてありえない妄想をしてみたけれど、世界は誰かの死をいちいち悲観しない。

たくさんの人に死を悲しんでほしい気持ちはあるけれど、悲しまれすぎるのも少しちがう。もしも歴史に名を残すような偉業を達成すれば、後世にも語り継がれるのだろうけれど、死んだあとの世界なんてどうだっていい。なんて嘘だ。関わりがあったすべての人に幸せに生きてほしい。傲慢な願いなのかもしれないけれど、僕はそれでも幸せを祈り続ける。

もし、好きな人が死んでしまったらどうだろう。

それはきっと僕1人の涙では、足りないぐらい悲しい出来事で、好きな人のために、たくさんの人に悲しんでほしいし、世界を巻き込んだお葬式を開催してほしいまである。好きな人が死ぬなんていまは考えたくない。だから、好きな人が死ぬその隣で、僕も一緒に死にたい。

そういえば、先日「世界から猫が消えたなら」を観た。佐藤健が演じる主人公が、突然病による死の宣告をされる。死という絶望の淵に立ったときに、突然悪魔が現れ、「この世から1つものを消す代わりに、1日の命を延ばす」と宣告する。

「何かを得るためには何かを失う」

知りたくもない事実に、誰もが打ちひしがれる。電話、映画、時計。でも、なくしたものには思い出があるものだ、どんなものにも物語が存在して、そこには人が介在する。思い出や人間関係がなくなる事実は、人生そのものがなくなってしまうに等しい。

悪魔との契約のもと、毎日、思い出がなくなっていく主人公。絶望と戦いながらも、人生すなわち生きてきた証がなくなるその事実を受け入れながら、生を永らえていく。最終的には大切なものがこの世にはたくさんあると気づき、悪魔との契約を打ち切って、死を選ぶ。そんな悲しくて儚い。それでいて少し温かい物語が「世界から猫が消えたなら」である。

もし、自分が主人公の立場だったらどうするだろうか。

ものを消して、思い出を消して、生き延びるだろうか。でも、突然受け入れるなんて無理だと思う。まだ死にたくないし、やりたいこともたくさんある。いま死ねば後悔ばかりが残る。

僕は2年前にベーチェット病と呼ばれる難病になった。その事実を受け入れるのに、1年半もかかってしまった。その辛さを知っているから、きっとものを消して生きる選択をするだろう。そして、主人公と同じように、思い出がなくなる事実に寂しさと虚無感を覚えながら、最終的に死を受け入れる。

でもこの映画と出会ってから、思い出がなくなる事実が辛いと知った。学生時代に友達とバカをやったこと。その友人とはいまも友達だし、こんな自分を「親友」と呼んでくれている。SNSで出会った友人。一緒に仕事をしている友人もいれば、遊びに行ったり、雑誌を作ったりしている。

過去の思い出が1つでも欠けてしまったら、いまの自分は絶対にいない。だから、世界からものを1つなくしてまで生きようとは思えない。それに自分の命にものを1つなくすほどの価値はないと思う。

ものがなくなれば、例外なく消える思い出。その代償を支払ってまで生きようとは思わない。僕が消してなくなったものを作った人もいれば、愛している人だっている。自分の命たったひとつのために、すべての物語を消してしまうなんて傲慢な考えだ。だから突然、死を宣告されても、僕はその事実を受け入れる。

どんな命も例外なく終わってしまう。たとえ偉業を達成しても、その偉業は天国へは持っていけない。死が明日かもしれないし、50年後かもしれない。

毎日のように誰かが死んで、誰かが生まれる。どんな命にも物語があって、そこには大小なんてない。そもそも命の重さは比べるものでもないし、他人の人生よりも自分がどう生きたかのほうが大切だ。

もし、世界から僕が消えたなら。

なくなる命は70億あるうちのたった1つの命だ。自分が死んでも、世界は何事もなかったかのように回り続ける。でも、生きた証はちゃんと残ると信じたいし、僕が死んだあとの世界では、なんらかの変化があってほしいと願う。

いつ死んでも、この世に生まれて本当に良かったと思える生き方がしたいし、またこの命で人生をやりたいって思う生き方がしたい。

もし、世界から僕が消えたなら。

僕が死んだ事実なんて、身近な人にもきっと忘れられるだろう。思い出は少しずつ薄まっていくから、仕方ないし、死んだあとの世界は見れないからどうしようもない。

でも、少しわがままを言っていいなら、ふとしたタイミングで思い出してもらえたらなって。悲しいときに、「あいつとバカなことしかしてないよな」とか「ああ、毎日妄想ばっかしてたやつがそういえばいたな」みたいな感じで、思い出してもらえたら、それだけでこの世に生まれてきた甲斐があるってもんだよね。

もし、世界から僕が消えたなら。

いまは自分が死ぬ事実から目を背けたいと思う。逃げなのかもしれないけれど、生きることに必死になりたい。死んだら骨だけ。天国には何も持っていけないけれど、それでも生きた証をきちんと残したい。

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