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自己は言葉では語れない

「それでは自己紹介をお願いします」

29年も生きているくせに、いつまでたっても自己紹介が苦手だ。名前、年齢、職業など簡潔な言葉ですぐに済ませるのは、まだまだ自分を知らないからかもしれない。もっと膨らませようがあるはずなのに、僕の自己紹介は自分で聞いていてもつまらないし、相手も同じ感想を抱いているはずだ。

自分のことを話しなさいと言われた途端に、目に見えない不安が襲ってくる。頭の中は真っ白になり、帰り道で「あれも言えばよかったのに」といつも後悔するくせに、次に活かせない。

僕が毎日文章で自分のことを書いている理由は、自分をちゃんと知りたいからなのに、おそらく半分も自分のことをわかっちゃいない。しかもわかったつもりになったこともあるから自己分析は非常に難しいものだと思う。

ライターなのか、編集者なのか、それともディレクターなのか。文章のジャンルも様々で、エッセイやコピー、コラムなども書いているから、特定のジャンルに絞ることもできない。人によっては難病と闘っている人と映る場合もあるから自分を短い言葉で説明することができないできないでいる。

仕事に対しても、ずっと仕事ばかりしているけれど、「死ぬほど仕事を愛しています」ってほどではない。むしろプライベートを充実させるための仕事だと言っても過言ではないし、やりたいことならたくさんあるけれど、たいそれた夢などとうに捨ててしまった。世間からすると、一般的な生き方をしていないのは事実だけれど、自分がそこまで変な人だとは思わないし、一般常識なら持ち合わせているつもりだ。

学生時代の就職活動では自己紹介だけでなく、強みや弱みなどあらゆる自身に対することを答えてきた。とはいえ、それが本当に正しいかどうかはわからない。自分が強みだと思っていたものが、他人から見れば弱みの場合だってある。自己分析をすればするほど、わからなくなるという無限ループにハマった人は多いんじゃないだろうか。

自己紹介はわかりやすく簡潔な方がいいんだろう。でも、自身を語るにはいつだって時間も語彙も不足していて、僕はいつも自身の魅力を1/3も伝えられずにいる。

それは魅力的な作品を読んだり、見たときにその感想をうまく言葉にできないそれに似ている。

僕は面白い映画や小説ほどそれをうまく言葉にできない。映画で言えば、か宮崎あおい主演の「ただ、君を愛してる」、小説で言えば、吉本ばななさんの「キッチン」だ。これまでにこの作品を文章にしてみようと何度も試みても、うまく作品の魅力を伝えられずに、下書きに残してきた。

どの言葉を選んでも、作品の魅力は伝わらず、安っぽいものになってしまう。だからこそ、何も言えずに、「自分の目で見なきゃ良さはわからないよ」と表現することを放棄する。放棄といえば言葉は悪いかもしれないけれど、その作品の魅力は受け取り方によって変わるため、すべてを伝える必要などないのだ。

だから、自分の魅力はあえて言葉にしなくてもいいのかもしれない。簡単な自己紹介は必要かもしれないけれど、言葉にしてしまった途端に、魅力は半分になってしまう可能性がある。それは自分が魅力的だと言いたいのではなく、自分の可能性を信じているが正しいのだ。

自分ことなど一生わからないかもしれないし、死んだ後にわかるわけでもない。それでも理解できる範囲の自分は理解する努力をしていたいし、たとえそれが正しくなかったとしても、そう思って生きていけたならきっと幸せに生きることができるんだと思う。


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