自分を大切にすること

予定を埋めないことに人生の無駄を感じ、暇な時間のほとんどを仕事に費やしていた。

会社員時代も会社員をやりながら、文章を書いたり、バイトやイベントスペースの運営もしていた。とにかく予定を埋めることに必死で、暇な時間を極端に嫌っていた。

仕事が終わってから、別の仕事をする毎日。深夜を過ぎてから自宅に帰宅する。深夜は街も人も静かだから、あの風景を眺めるのは嫌いじゃなかった。そして、朝の9時前には家を出る生活を、2年ほどずっと繰り返していた。

暇を持て余さない生活を過ごしていたのは、常に誰かに必要とされたいという欲求の表れが望んだ結果なのかもしれない。自分自身を大切にせずに、社会や人から求められることに必死だった。

人から感謝されるのは、気持ちのいいことだ。誰かのためという名目で行動を起こせば、誰からも咎められることもないし、喜ばれることも多い。僕はそこに快楽を覚えていた。承認欲求を満たすことに、快楽を覚えていたくせに、自分の体や精神とは向き合ってこなかった。

その代償が過労で倒れて、難病が発覚につながったに違いない。多分、「もっと自分を大切にしなさい」という神様からのお告げだったのであろう。

仕事だけでなく、生活もままならない状態。そのため強制的に社会から追い出されることになったんだけど、何もしない生活は最初は不安でいっぱいだった。

「みんな頑張っているのに、なぜ自分は頑張れないんだろうか。」

焦りと苛立ちが隠せず、夜中に急に号泣してしまうこともあったし、発症してから1か月は精神的に不安定な状態で過ごす日々。

何もできないから、自分の人生について見つめ直す時間が強制的にできた。その時間は「過去の自分の生活習慣の見直し」をする良い機会になった。

自分を見つめ直していると、複数の仕事をしながら、休む間もなく時間を過ごしている自分が馬鹿らしくなってきた。どうして自分を大切にしなかったんだろうとなんども自分を責める。でもやってしまった行為はもう取り戻せないから、次にどうするかを考えなければならない。

難病になってから、自分を大切にしない僕は1度死んだ。

絶望にも似た開き直りなのかもしれない。そうでもしないと新しい自分にはなれないから、過去の自分とはおさらばする決意をしたのだ。

決意した日からなるべく働きすぎないよう、定休日を設けた。納期に追われている時は休めないから、そのぶん1日の労働時間を削るなどして工夫する。働く時間も減らし、単価の低すぎる仕事も断った。

仕事を断ると、もう依頼されないかもしれないという恐怖もあったけど、それよりも自分のことを大切にしたかった。

休みの日や仕事の時間を短縮する日を設けることで、仕事の生産性が上がったから、もっと早くやればよかったと後悔もしたような気もする。

自分を大切にすること。

これが今の自分のテーマで、今後ずっと続けていこう。

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