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毎日更新をしたところで一体なんになるのだろうか

850日間、毎日欠かさずにnoteを更新し続けている。noteで書いている内容は、自身の経験を交えた赤裸々な内容もあれば、妄想を綴った創作もある。そのほかにもポエミーなことも書くし、音楽や映画についてのコラムも書いていて、いつも思うことは「そんなものに一体誰が興味を持つというのだろうか?」ってこと。

いわば自分の脳内を垂れ流している状態のこのnoteは、自己満足だと言われてもまったく差し支えない。こんな時に限って、「人生なんて所詮は自己満足だ」と思える単純な性格で良かったと安堵する。

でも、文章が特別うまいわけでもなければ、SNSのフォロワーさんがたくさんいるわけでもないし、ましてや有名人でもないただの一般人の文章を誰かが求めているとでもいうのだろうか?

noteで毎日更新をしているからといって、それが直接お仕事に影響しているわけでもない。もちろん毎日更新がお仕事に直接繋がれば嬉しいし、できる限りそうなるように持っていきたい、

僕はお仕事でも文章を書いているのに、noteでも毎日文章を書き続けていて、それがたまに重荷になる場合もある。仕事の納期が重なったときは、「今日は無理」って毎回なるし、「なんで毎日更新を続けているんだろう?」って頭に疑問符が思い浮かぶ。ときに辛い思いをしながらも、毎日更新を続けている理由は自由に書けるこの場が楽しいからだ。

誰かに頼まれたわけでもないのに、くそみたいな体調のときも毎日欠かさずnoteを書いている。最初はストック記事的な方法を採用していたんだけれど、いまはその日に書いた文章をアップするようになった。そして、現在は病院に入院中の身でありながらも、限られた時間内で執筆時間を捻出して書いている。恵まれた環境とは言えない環境の中で、昨日の夜に「なんでここまでして毎日更新にこだわっているんだろう」って思ってしまった。

とはいえ、毎日更新自体は楽しいからまだまだ続けたいって気持ちの方が強い。いまはきっと先の見えない不安に押しつぶされそうになっているだけ。いざ退院してしまえば、この疑問は解消するにちがいない。うす暗いトンネルの中で、その契機が見つからないから毎日更新が辛く感じる。でも、ここでやめてしまったら絶対に後悔するのは目に見えているので、なんとか毎日PCを開いて、文章を書いているのだ。

本当は毎日noteを書きたいのに、書きたくないと思わされるいまの環境が心苦しくて悲しい。自由を奪われている現状が辛い。毎日更新が苦痛になっている現状が憎い。病院にいると心がどんどん荒んでいく。その原因は悪いものを治すために人が集まるからだ。スピリチュアル的な話になるけれど、病院は負のオーラが漂っている気がする。みんな辛そうだし、辛そうな姿を見るだけで自分のテンションも下がってしまう。

だからといって病院が悪いわけではなくて、みんなが病気を治すために必死になっているその姿に勇気をもらう場合もある。いまはテンションの浮き沈みが酷くて荒んでいるだけだ。それは治療とちゃんと向き合っている証拠で、退院の日が近づいていると前を向いていこう。そして、一刻も早く退院して、毎日更新が楽しいと思える日が来るといいな。

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