他人のためにしか頑張れない

じぶんのために頑張ろうとした2020年。1年かけてじぶんのために頑張る道を模索したけど、全然ダメだった。いくら足掻いても、頭を捻ってもそれらしい言葉しか出てこない。

じぶんが納得いく答えなんてあるのだろうか。自問自答をいくら繰り返しても、求めている言葉は返ってこないまま。じぶんが嫌いなわけじゃない。むしろじぶんのことは好きな方だと思うし、自己肯定感も低くはない。

そして、じぶんの機嫌もじぶんで取れるぐらいには大人になったし、個人事業主としてちゃんと生きてるし、じぶんを責める部分があんまりない。あ、恋人がいないのは、「しっかりしろよ」ってじぶんにいつも言い聞かせてる。

2020年はじぶんのために頑張ろうと決意した年だった。決意とは裏腹に、じぶんのために、頑張れない事実に自己嫌悪を抱く日々。そして、じぶんのために頑張っている人を見るたびに、うらやましく思ってしまう。どうやったらじぶんのために、頑張れるのだろうか。考えても答えがわからないし、ありきたりな言葉では納得できないじぶんもいる。

完全に拗らせてしまった。じぶんを喜ばせる方法を考えれば考えるほど、好きな人の喜ぶ顔が見たいの一点張りだ。どうやら他者の喜ぶ顔を見ることが、じぶんの喜びになってしまっている。人はひとりでは生きられないと知っているから、関わってくれる人にはなるべく笑顔でいてもらいたい。

ちなみにこれは、依存ではない。喜ぶ顔を見たいのは、ひとりの人に限った話ではないからだ。じぶんの文章を誰かが読んで、喜んでもらうこと。誰かの話を聞いて、「スッキリした」と言ってもらえること。友達と遊びに行って、「楽しい」と言ってもらえること。もうぜんぶ他人ありきだ。じぶんのために回り回ってなっているけど、じぶんを満たすときはいつも誰かがそばにいる。

じぶんのために頑張れないのであれば、もう諦めてもいいのではないだろうか。誰かのために頑張るも立派な動機だと思う。いや、じぶんを守りたいだけかもしれない。それでもいい。自己防衛万歳だよ。じぶんを正当化する理由は、じぶんで勝手に作る。じぶんが納得できる答えが出たのであれば、そいつを盲目的に信じたらいい。

他人のためが回り回って、じぶんのためになるのであれば、他人のために頑張るのも悪くないと思えたのが2020年の1番の収穫だ。無理なものは無理と諦めるのも、ひとつの勇気であり、大いなる前進だ。

コンビニの雑誌コーナーに「じぶんのために生きなさい」という文言を見かけた。ああ、もううるさい。人にはそれぞれ考え方があるから、無理矢理ひとつの枠に収めようとする、自己啓発が嫌いだ。譲れないものは譲りたくない。それでいい。その方が生きやすいに決まっている。他人に迷惑をかけているわけではないんだし、じぶんの考え方を大事にして生きていきたい。

ぼくはじぶんの首をじぶんで締めるのではなく、じぶんの首をじぶんで守ってあげられる人間でありたい。

他人のために頑張る万歳。他人のためにしか頑張れないから、もう開き直って、他人を喜ばせるに注力した人生を生きていこう。

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