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人の努力は、決して嘲笑うものではない

自分は「人の努力を否定しない」ことを気をつけています。もちろん相手のすべてを賞賛する必要はありません。賞賛できないものは賞賛しない。無理矢理賞賛したとしても、相手にその気持ちはおそらく伝わるし、嫌な気分にさせてしまう可能性だってあります。

決して努力を否定しないこと。そして、嘲笑わないこと。相手に対して何か思うのであれば、思ったことをきちんと相手に伝える。ときには厳しい意見を投げかけることもありますが、最後は相手が前を向けるように持っていくということを心がけています。

誰しもが心の中で誰かをマウントする視点を持っていて、相手に勝てる要素で相手に勝とうとする節があります。相手よりも優位に立った方が相手をねじ伏せやすいし、自分のプライドを保つこともできます。相手を否定するのも、相手よりも優位に立ちたいという気持ちや嫉妬心から来ていることはまず間違いないでしょう。

以前、後輩が「YouTuberになる」と息巻いて、MacBookを購入したと報告があったんです。挑戦自体はとても素敵なことだし、上手くいけばいいと思っていました。だから、面白いYouTuberの動画を送ったり、参考になりそうな情報を見つけたときは、後輩に共有することにしていました。自分の知り合いが活躍できるってすごく魅力的なことだと思うんです。周りの人にも自慢できますし、悪いことなんて何ひとつとしてありません。人の挑戦は野放しで称賛すべきなんです。

そして、後輩が1発目の動画をYouTubeにアップしました。でも、後輩の作品のクオリティは素人目から見ても、あまりにも低かったんです。もちろん最初から上手くいく人間なんてもちろんいません。だから、自分の今の最高を勇気を出して、世の中に送り出したことはとても素晴らしいことだと思いました。改善を重ね、少しずつクオリティを上げていく。それが成長のセオリーだし、どんな人もその道を例外なく通っています。

でも、動画をアップすればアップするほど、後輩は周りの人から馬鹿にされるようになっていったんです。もちろん動画のクオリティの低さは本人の問題だから、自分で解決しなければいけません。僕も率直に自分が思っていたことを本人に伝えていたし、本人も改善するために、自分なりに勉強して、良いものを作る努力をしていました。本人が頑張っているのを知っているからこそ、努力そのものを否定してはならないと思っていましたし、励ましの声を掛けたり、参考になりそうな情報をLINEで送るようにしていました。

でも、後輩の周りの人は後輩の行動を嘲笑ったり、否定するだけで、なんの改善点も伝えようとしなかった。ついには周りの人で後輩のアップした動画をLINEで共有して、馬鹿騒ぎをしていました。ああ、世も末だなって思いましたし、悲しい気持ちでいっぱいでした。周りに拡散して笑いのネタにする行為をやめるように伝えたこともありますが、こういう下劣な行為をする人って、相手の気持ちなんてお構いなしなんですよね。

周りから笑いのネタにされていると知った後輩は、YouTuberの活動自体をやめてしまい、今は何をしているのかはよく知りません。YouTuberをやめた理由が自分に向いていないと感じたのか、それとも周りから馬鹿にされる自分が嫌になったのかはわからない。でも、周りから自分の努力を笑われた事実は活動を辞めた一因になっていると思います。

誰かの努力を周りの人が嘲笑い、努力をネタに楽しんでいる様子が悲しかった。もちろん結果を残せなかった本人にも原因はあります。でも、人の本気を嘲笑うような人には僕はなりたくない。

もし、自分の挑戦を誰かに笑われたらどんな気持ちになるでしょうか?

人を生かすのは人で、また人を殺すのも人です。

自分の振る舞いが相手を傷つけていないか。きちんと考えながら生きていきたいものですね。

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