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命にふさわしい

花が咲いて、そして、散っていく。

誰かに頼まれたわけでもないのに、勝手に見事な生き様を見せる花。

街中にはたくさんの花が咲いている。街に彩りを加える花にもちゃんと命があって、きちんと役目を終えてから命が朽ちていく。踏まれても踏まれても息絶えることなく咲き続ける花たちから学ぶことは多い。

僕たち人間も花と同じように役割を終えてから一生を終えていく。

泣いた。笑った。怒った。悲しんだ。

自分が何かに直面した時に抱いた感情は全て命にふさわしい。

希望を連れてくる絶望。そして、絶望を連れてくる絶望。絶望するたびに希望を抱いてしまうし、希望を抱くたびに絶望してしまう。

人生に絶望してしまった時に、前に進むために涙が必要ならその時は涙を流しても良いだろう。でも涙の数だけ強くなれるなんて真っ赤の嘘だ。涙を流すだけでは人は強くなれないし、めそめそして前に進めない自分に嫌気が差すだけだ。

涙を流すだけで強くなれるほど人生が簡単なら一生泣き続ければ強くなれる。「涙の数だけ強くなれる」なんて嘘をどこの誰が言ったんだろうか。人は強くなろうと変わろうと行動した時にしか強くなれないというのが現実だろ。

全てが報われることがないこの世界。努力は大概報われないし、人の希望は簡単に消えてしまう。それでも腐らずに前を向いて必死になれる人にしか夢を掴み取ることができない。

夢を掴みたいなら努力する自分を肯定しなければならない。そして、努力する自分のことを好きになることが大切となる。隣の芝はいつだって青いままだし、自分の命に希望を抱かなきゃだし、絶望しながらも生きていくしかない。

生きることで起きること全てが命にふさわしいんだよ。

生まれたからには何かの役割がある。その役割がなんなんのかはわからない。役割がなんなんのか理解している人なんて誰もいないんだよ。

人生はうまくいかないことばっかりだし、その度に絶望してしまう自分が現れる。絶望してしまった自分とうまく付き合いたいけど、醜い部分が露呈するあまりに、そんな自分に嫌気が差してしまう。

結局欲しいのは誰かの共感だけなんでしょう。共感されたいという欲望を誰もが抱き、そして、共感されないという絶望を抱きながら今日も生きているんだよ。

欲に塗れた醜い自分を受け入れるしかないし、絶望しながらも少しずつ前に進むしかない。

醜い自分を愛しなよ。その感情は命にふさわしいものだよ。絶望と希望。その刹那の中に、生きる価値を自分で見出しなよ。自分が抱いた感情は全て命にふさわしいよ。

今日も明日も変わらず生きるから。

生きることはもうそれだけで命にふさわしいんだよ。


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