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お前が書いた「文章」なんか誰も読まない

「お前が書いた文章なんか誰も読まない」

これは友人に居酒屋で言われた言葉である。この日は朝からずっと胸騒ぎがしていました。いつもは小鳥が鳴いているのに、今日はカラスが鳴いている。昨日ご飯を食べた食器はまだ洗っていない。普段なら朝食を作るだけでいいのに、今日はマイナスからのスタートを切った。食器を洗い、朝食を食べ、満員電車に揺られ、何事もなく職場に着いた。「サトウさんおはようございます」と部下が言う。機械的な動作に、機械的に「〇〇さんおはようございます」と返す。

今日は学生時代の友人との飲みである。友人は、僕が最近文章を書き始めたことをよく思っていない。と、風の噂で聞いた。うわさ話など信じない主義の僕は、友人の飲みの誘いをあっさり承諾した。

部下の書類のミスがあった。課長に呼び出され「部下の後始末はリーダーがつけろ。お前が悪い」と言われた。反論するのもめんどくさかったため「申し訳ありません」とだけ伝えて、部屋を後にする。今日はなんだか胸騒ぎがする。そもそも今日はマイナスからのスタートである。加えて、いつもならミスをしない部下がミスをした。友人との飲み会もきっとこんな感じなんだろう。

仕事の終わり際に「おい、サトウ、書類のミスはちゃんと修正したんだろうな」と課長に言われた。「終わってますよ」と伝えると「いまどきの若い連中は基本がなってない」と、いまどきそんな言葉を口にする人が本当にいるんだなと、胸の中でつぶやきながら「今後はミスがないよう気をつけます」と逃げるように言い放って、会社を後にした。

仕事終わりでくたくたになった体で、待ち合わせ場所の梅田のビッグマン前に向かう。集合時間の5分前に「悪い。仕事が長引いて30分遅れる」とLINEが入った。社会人は5分前行動が基本である。まさかこんな形で5分前行動を実行されるとは思ってもみなかった。

友人が遅れるのであれば、どこかで時間を潰さなくてはならない。近くにあったマクドナルドに入り、アイスコーヒーを注文する。席でPCを開いて、文章を書くことにした。ところが、書きたいネタがまったく見つからない。頭を抱え、悩んでいる間に「もう着くわ」と連絡が入った。この30分間でしたことは、PCと睨めっこだけである。またもや胸騒ぎがする。

友人と合流し、東通りの居酒屋に入った。どうやら海鮮が美味いらしい。「とりあえず生で」と友人が2人分の生ビールを注文した。僕の意見を聞かないところが、実に友人らしい。最初から出鼻を挫かれた僕は、とりあえず生で友人と乾杯した。仕事や学生時代の懐かしい話に花を咲かせている間に、友人はどんどんお酒を飲んでいく。

上機嫌になったのか、周りの友人がいまどんなことをしているのかを聞かせてくれた。僕は中学時代の友達とはほとんど連絡をとっていない。仲がいい友人とだけ連絡を取れればいいと思っているため、他の同級生がどうなっているかなんて知らない。Aは結婚して子どもができたとか、Bはブラック企業に勤めて新卒1ヶ月で辞めたとか、どうでもいい話ばかりを延々としてくる。

ああ、どうでもいい話ばかりだ。同級生の話をひとしきり終えた途端に「そういえばお前いま文章を書いているらしいな」と僕の話になった。「そうだけど」と返すと「お前が書いた文章なんか誰も読まない」と友人が言った。ああ、朝の胸騒ぎの正体はこれだったのか。その他の嫌な出来事はただの序章に過ぎなかったし、伏線はちゃんと回収された。相手に怒りをぶちまけそうになったけれど、もう立派な大人である。トイレに駆け込んで「ひどいことを言うよなぁ」と友人の言葉をトイレに思い切り流した。

友人が何気なく言った言葉を受けて、いつもは美味しいと思える生ビールが途端に不味くなった。すっかり気まずくなった僕たちは、終電になる前に解散した。家に着いてすぐにお風呂に入って、悔しさをシャワーと一緒に流す。当時は友人の言葉が許せなかったけれど、いまとなっては友人に掛けられた「誰も読まない」という言葉に感謝している。

文章は誰かに読まれなければ意味がない。自分のために書いている場合は、読者は自分だけでいいのかもしれない。でも、書いたからにはたくさんの人に読んでもらいたいと、すべてのライターさんが思っているのではないだろうか?

僕自身も読まれたいという思いを込めて、文章を書いている。たくさん読まれたら嬉しいし、誰にも読まれなかったら悲しい。読まれたいからつい力が入って、あれもこれも情報を詰め込んでしまう。しかし、努力は報われるとは限らない。努力は方向性を間違えた途端に、いとも簡単に水の泡となる。

文章は読者が求める内容ではない場合は、とことんまでに読まれないのだ。読まれないは誰かが悪いわけではなく、完全に書き手の問題である。どうやったら読まれるのかを考えなければならない。読まれているタイトルを参考にしてもいいし、読まれているエッセイや小説、コラムを参考に構成を組んだっていい。

友人の言葉が悔しかったのは事実だけれど、友人を見返したいとは正直思わなかった。あんな言葉をかけられた自分がただただ情けない。どうやったら文章を書いて生きていけるのかを必死に考えて行動に移した。

ある日「誰にも読まれないのであれば、肩の力を抜いて書けばいいのではないか」と気づいた。特にきっかけがあったわけではない。ただの直感である。それまでは読まれたいという思いが先行して、あれもこれも詰めたいと詰め放題パックのような文章になっていた。伝えたいことはなんなのか。表現は適切だろうか。友人の言葉を受けて、無駄に入っていた力がスッと抜けて、文章に自然体で向き合えるようになった。

友人からきつい言葉をかけられてからもう3年以上の月日が経つ。おかげさまで、いまでもなんとか文章を書いて生活ができている。友人の言葉の裏には、文章で生きていく僕を想像できない事実があった。きつい言葉を掛けられたときは言い返すのではなく、結果で見せてやればいい。きつい言葉で腐るか、それを原動力に変えられるかどうかは自分次第である。

「お前が書いた文章なんか誰も読まないよ」

この言葉があったからいまの僕がいる。友人とはあの日以来一度も会っていないし、この先も会うことはないかもしれないため、感謝の言葉を伝えられないかもしれない。もうこの際だからにありがとう」と僕の文章を読まないであろう彼にいまここで伝えるよ。

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