誰かの支えになる文章を書くこと

誰かを救ったり、支えになるような文章を書きたい。

うん、でも腹の底は違う。他人の心を救ったり、支えになるような文章を書きたいって気持ちは本音だけど、いつも救ってあげたいのは自分自身。自分が可愛くて仕方ない僕は、自分を救うために文章を書いている。

いつだって文章を書くことで、自分の心の平穏を保ってきた。前向きになりたいときに書きなぐる文章。何か嬉しいことがあった時に書く文章。ネガティブ要素しか盛り込まれていない文章。そのどれもが自分の本音で、嘘は一切書いていない。そして、そのどれもが自分のために書いた文章だ。

第一前提として、自分を救って、その上で、誰かの心を救ったり、支えられるようになりたいんだって、最近気づいた。誰かのためとか綺麗事を言って、本音は自分の心の平穏を保つため。自分のために文章を書いている自分は、もしかしたら愚か者なのかもしれない。まあでも愚か者だとしても、文章を書くことはやめられないのは事実。

誰かに文章を読んでもらえるたびに、「いいね」って言ってもらえるたびに、自分の承認欲求が満たされて、常に何かの刺激を求めて、文章を書き続けている。自分の文章が下手なだけなのに、何も反応がもらえない時は寂しい。あまりにも身勝手だ。届ける術も、書く技術も拙いのに、ああだこうだ嘆くだなんてもっと努力しろよって感じだよね。

承認欲求が外に溢れ出さないよう必死だけど、たぶんその承認欲求は見え見え。

とある先輩に「自分の欲をどんどん出していこう」と言われたことがあるんだけど、それにしても自分は欲を出しすぎていると思う。

とはいえもっといい文章を書けるようになりたいし、誰かの声が欲しくて、自分の存在を認めてもらいたい気持ちは止まらない。

文章にすがり続けている自分がいるのも事実だし、毎日更新を続けているのも、誰かに「すごいね」って言ってもらうためもある。文章は自分の存在証明をするための手段でもあるから、僕は文章を書き続けているんだろうね。

「すごいね」って言ってもらうたびに悦に浸って、熱が冷めてから何も成長していないよなって、自己嫌悪に陥って、めんどくさい性格してんなって自分でも思う。でも直らないからと開き直ってしまっている自分もいる。

「自分には文章しない」って焦りがあって、文章以外で何ができるのかわからなくなっている自分がいるし、かと言って文章もそんなにうまくない。自分に自信がないんだろうね。文章を仕事にしているんだから自分に少しでも自信を持てばいいのに、自信のなさが顕著に現れてしまっているのがすごく悲しい。

「文章しかないことはない」と頭で理解しつつも、文章がない自分が怖くて、想像できないから今日も今日とて文章を書き続けている。

文章で誰かを救いたいとか支えになりたいとかいって、周りに都合のいい体裁を並べて、文章に救われているのはいつも自分自身。

そんな自分にも誰かに届けたい言葉があって、救いたいと思う人もいる。もう自分の心にとことん正直になって、開き直ってやりましょうかね。

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