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たまには正論に負けてもいい

たまにすべてを投げ出したくなってしまうときがある。水の中で、溺れそうな感覚。一時的な感情によって支配されるじぶんが、情けなくてたまらない。こういうときは、寝るに限るなんだけど、不思議と睡魔が襲ってこない。だから、もうなにがなんだかわからない状態が続いている。

じぶんに自信がないわけではないが、ぼくはじぶんに自信がない。なに言ってんだってお話なんだけど、じぶんでもなにを言っているのかがよくわからない。仕事では褒めてもらえる回数が増えた。だからじぶんの仕事に関しては自信を持っていいのであろう。いや、自信を持たなくてはならない。じゃないとじぶんを褒めてくれた人に失礼だ。

内から湧き出る自信がないのか。それとも外側の自信がないのか。根本的な原因がわからない。きっといまのじぶんには、内省が必要なんだろうな。じぶんに自信がない。でも、じぶんに自信を持ちたいという意思はある。自信のなさが、恋愛に現れてしまっているからなんとかしなくてはならない。でも、自信とはすぐさま身につけられるものではない。当たり前の話だ。

小さな成功体験を積み重ねて、その積み重ねが自信へとつながっていく。小さい頃は、じぶんに自信しかなかった。大きな活躍をすると信じてやまなかったし、自信だけでこれまで戦ってきた。でも、歳を重ねるに連れて、じぶんよりも、優れている人が多いと知った。そして、ぼくの自信は徐々に欠如していった。

2020年は、数人の異性からアプローチを受けた。じぶんで言うのもあれなんだが、モテ期に突入していたのであろう。でも、そのチャンスをじぶんで手放してしまった。自信のなさが、恋愛に現れた瞬間だった。情けない。

交際を申し込まれるたびに、「もっと他に良い男がいるのになぁ」と思ってしまう。でも、それを相手に伝えるのは失礼極まりないから、ぐっと胸の中に抑え込む。いまのじぶんには、きっと恋愛をする資格がない。恋愛をするよりも、じぶんにもっと必死になった方がいい時期だ。

じぶんに自信がないのであれば、自信をつける努力をすればいい。言いたいことも言っていることもわかるし、それが正しいことも頭では理解している。そして、過去に自信を少しずつ積み上げた経験もあるため、肌感覚でも理解している。小さな成功体験を積み上げれば、やがて大きな自信へとつながるのだろう。間違いない。

とはいえ、正論はときに、人を大きく傷つける。「正論に負けるな」というコピーが炎上したが、ぼくはいま正論に負けたい気持ちだ。そして、楽になりたい。でも乗り越えなきゃ、なにもはじまらない。わかっている。わかっているけど、いまは絶望の淵に立って、じぶん自身と向き合うべきだ。正論に勝てるときもあるが、正論に負けたい時もある。長い人生と戦っていくために、正論の使い方を見極められる人間でありたい。

年齢を積み重ねて、できた自信は1度壊れてしまうと脆い。そして、また自信を積み上げるには、以前よりも数倍の労力を要する。知識や知恵は邪魔になるし、見栄やプライドも捨てなくてはならない。1からやり直すには根気が必要だ。そして、根気を養うには休息が必要となる。

時間は勝手に進んでいく。止まれといくら願っても、関係なく進んでいく。二足歩行の人類は、立って前を向いて、歩くしかない。でも、歩くスピードは適宜見極める必要がある。疲れたらちゃんと休む。立ち上がるための時間も、無駄な時間ではないから、じぶんと向き合いつつ少しずつ前へ向く努力を続けたい。

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