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辛さの比較なんてしないでよ

「こんなことがあって辛いんだよね。」

「そっかぁ。確かに辛いよね、でももっと大変な人がたくさんいるからさ」

おそらく「もっと大変な人がいる」なんて比較の言葉を善意や励ましの言葉だと思って無意識に使ってしまっているのかもしれない。

辛さを乗り越えたあとは、「なんでこんなことで悩んでたんだろう」って、悩みが小さかった事実に気づけるんだけど、悩みを抱えているそのときは、自分の悩みが自分にとっては世界の終わりを迎えているかのような気分になるときもあるよね。

当事者の辛さの大小は他人には推し量れないものなのに、人はどうして辛さを比較してしまうんだろう。

以前ベーチェット病にかかった際に、僕も「生きていることに感謝しなさい」「世の中にはもっと大変な人がいるからね」なんて言葉をよく掛けてもらっていた。

励ましの言葉はもちろんありがたかったんだけど、当時は「いや、難病の辛さの何がわかるんだよ。もしかしたら目が見えなくなる可能性だってあるんだそ」って、善意ある励ましの言葉を素直に受け取れなかったんだよね。

今では励ましの言葉だって理解はできるんだけど、当時は辛すぎて、他人の辛さまで考える余裕がありませんでした。

悩みや悲しみを抱えている人には他人の辛さと比較されて、楽観的になることができる余裕がない人が多い。

そもそも辛さとは他人とくらべるものではないし、辛さの大きさは当事者が決めるもので、他人のものさしで推し量ることができないんだよ。

どんな言葉をかければその人が前を向くことができるのか。もしかしたら言葉は不必要で、傾聴や共感を求めているのかもしれない。

どの手段が最適解なのかはわからないけど、当事者の辛いという気持ちに寄り添う姿勢が必要なんだと思う。


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