可惜夜
永遠を願う夜に限って、終わりが早くて、寂しい夜に限って、永遠だと錯覚する。楽しい夜は短く、寂しい夜は長い。時間の流れは一定で、これは体感速度の問題なんだけれど、この謎をうまく解き明かした人はまだこの世に存在しない。
「ねえ、浩二起きてる?」
翔子はいつもバイト終わりの0時ごろに、電話を掛けてくる。街は静けさを取り戻し、鳥は木々で眠る。風がゆっくりと時間を運び、地球はあいも変わらず回り続けている。
遠距離でたまにしか会えないぼくらは、電話があるから繋がっている。いや、電話でしか繋がれないと言ったほうが正しい。この繋がりがぼくを、そして、彼女を寂しさのマジックから癒し続けている。
「いや、浩二は寝てる」
「寝てるのに、電話できるんだ。ふーん。もういいもん。じゃあいま電話口にいるかたは一体、誰なんでしょうね!」
「ははは」と笑って、寝ぼけ眼をこすりながら彼女の声に付き合う。でも、これはただの照れ隠しで、本当は飛び上がるぐらい嬉しい。なんてことは翔子には絶対に言わない。
「浩二さ、可惜夜って言葉知ってる?」
「ん?聞こえなかったんだけど、もう1回言ってくれる?」
「可惜夜って知ってる?」
「可惜夜?」
初めて聞いた言葉だ。目にしたこともなければ、耳にしたこともない。誰かが作った造語なのだろうか。それすらもわからない。謎は深まるばかりだ。
「浩二、いま絶対造語だろって思ったでしょ?浩二の考えてることなんてお見通しだからね!」
完全にバレている。だって「知らないものは疑ってかかる」が人間のセオリーでしょ。知らない人は危ないから付いていかないと子どもの頃から親に刷り込まれているし、人間の本能に従ったまでだ。それにまだ「可惜夜」という言葉を、ぼくはまだなにも知らない。
「可惜夜って言葉の意味は、今日みたいな夜のことだよ。明けてほしくない夜。ちなみに万葉集に載っている言葉だから、造語じゃないよ。わたしたちは遠距離でたまにしか会えないじゃん。だから、この夜がいつまでも明けませんようにって星にお願いするの」
「翔子はそういうポエミーな言葉を、堂々と恥ずかしげなく言えることが何よりもすごいよ」
「ふふふ。でも、電話ってすごいよね。誰が発明したかは忘れたけど、姿形が見えなくても、わたしたちはいま声で繋がっている。それに時代の進歩のおかげで、顔を見ながら通話もできるようになった。昔の人は電話もなかったのに、どうやって遠距離恋愛をしていたんだろうね」
確かに昔の遠距離恋愛は、いまよりも難易度が高かったような気がする。恋愛は信頼関係のもとで成り立つ。そして、相手を無条件に信用しなくてはならない。でも、遠距離恋愛はすぐに会えないため、疑心暗鬼になりがちだ。
好きな人を疑いたくはないけど、なにをしていて、どんな人と会っているのかがわからない。それはぼくにも同じことが言えるんだけど、いまは電話が普及しているため、その不安を少しだけ払拭することができるのだ。
電話をしている時間だけは、翔子と繋がっている。そして、空を見れば、同じ月や星を見ることもできる。どれだけ離れていても、繋がっている感覚。そして、その体験を声で共有する。文明の利器には、大いに感謝したい。
それにきみから不意にくる電話を、楽しみにしているぼくがいる。でも、なぜかこちらからは電話を掛けることができない。じぶんでも、本当にへたれだと思う。だからこそ、翔子の電話を嬉しく思うじぶんがいるのだ。
以前翔子が、「私のほうがあなたに惚れているね」と言っていた。でも、それはちょっと違う。ぼくはただ愛の表現に長けていないだけだ。本音を言えば、ぼくもきみに愛情表現をしたい。でも、勇気が出ない。今度きみと会ったときに、きみにありったけの愛情表現をしよう。
君には、ぼくのぜんぶをあげるよ。時間も愛も憎しみも、このあらゆる感情も。でも、君のぜんぶがほしいわけじゃないんだよ。ぜんぶをほしがるなんてただの傲慢やろうだし、ぼくにはきみのすべてを受け止める自信がない。でも、この好きな気持ちは正真正銘、ほんとうの気持ちだから、そこだけは疑わないでおくれよ。
午前4時。弾丸トークをし続けたきみが、受話器越しに眠りについた。受話器からはきみの寝音が聞こえる。ああ、なんて幸せな夜なんだろうか。そして、この幸せな夜がいつまでも明けないことを願う。
夜の長さは寂しさの前借りで、夜の短さは愛しさの大きさに比例する。きみから電話が掛かってくるたびに、夜が明けなければいいと願い続けている。
「可惜夜」という言葉は遠距離恋愛をしているぼくたちにぴったりな言葉だ。なんてロマンチックな言葉なんだろうか。
明けない夜はない。でも、明けてほしくない夜はたくさんある。
可惜夜